対象読者
- ゲノム科学やDNA・RNAシーケンシングの基礎知識があり、技術がどのように産業化されているのかを知りたい方。
- Oxford Nanopore Technologies(ONT)の技術的な強み、競争環境、経営戦略について理解を深めたい研究者・技術者の方。
- ゲノム解析技術が、今後の臨床診断やバイオ医薬品開発をどのように変えていくのかに関心のある方。
要約
- Oxford Nanopore Technologies(ONT)は、革新的なシーケンシング技術を提供する企業から、臨床診断・バイオ医薬品製造・大規模ゲノム解析を支える産業プラットフォーム企業への転換を進めています。
- ONTの最大の技術的強みは、長いDNA・RNA分子を直接読み取り、塩基配列、構造変異、ハプロタイプ、塩基修飾などの情報を統合的に取得できることです。
- 2026年には経営戦略が大きく変化し、研究市場中心の事業から、ClinicalとBioPharmaの高付加価値アプリケーションへの展開を加速しています。
- 2030年までの成長を左右するのは、シーケンシング性能だけでなく、臨床的な有用性、製造品質管理への導入、継続的な消耗品需要、そして収益性の改善です。
- ONTの将来を決めるのは、単にIlluminaやPacBioより優れたシーケンサーを開発できるかではなく、従来は複数の検査を必要としていた生物学的情報を、単一のワークフローで利用可能にできるかどうかです。
1. Oxford Nanopore Technologiesはいま、重要な転換点にあります
英国のOxford Nanopore Technologies(以下、ONT)は、2026年現在、革新的なシーケンシング技術を提供する企業から、臨床診断・バイオ医薬品製造・大規模ゲノム解析を支える産業プラットフォーム企業へ移行しようとしていると捉えられます。
ONTといえば、MinIONに代表される小型シーケンサーや、長いDNA分子を直接読み取るナノポアシーケンシング技術を思い浮かべる方が多いでしょう。
これまでONTは、従来のシーケンシング技術とは異なる原理によって、リアルタイムでDNAやRNAを解析できる独自のプラットフォームを確立してきました。
しかし、現在のONTを理解するには、シーケンシング技術の進歩だけを見ていては不十分です。
同社はいま、研究用の革新的な機器を販売する段階から、病院や製薬企業の日常的な業務に組み込まれる技術を提供する段階へと移行しようとしています。
この変化の成否を考えるうえで、特に重要なポイントが5つあります。
1.1 技術的な競争優位は明確で、さらに拡張しています
ONTは、ultra-long reads、native DNA/RNA解析、direct methylation detection、リアルタイム解析、adaptive samplingを、単一の技術プラットフォーム上で実現できます。
これらを組み合わせられることは、現在でもONTの大きな競争優位です。
1.2 Long-read sequencingの競争軸が変化しています
これまでlong-read sequencingでは、どれだけ長いDNA分子を読めるか、どれだけ正確に読めるかが重要な競争軸でした。
しかし今後は、単にread lengthやaccuracyを競うだけではなく、そこからどれだけ臨床的・産業的に価値のある情報を得られるかが重要になります。
具体的には、structural variants(SV)、repeat expansion、haplotype、DNA modification、transcript isoformなどの情報を、安定的かつ経済的に取得できるかどうかです。
1.3 2026年に経営戦略が大きく変化しました
2026年3月にCEOに就任したFrancis Van Parysの下で、ONTは研究市場を中心とする幅広い技術展開から、ClinicalとBioPharmaの高付加価値アプリケーションに経営資源を集中する方針を明確にしています。[1]
1.4 財務状況は改善していますが、課題も残っています
2026年上期の売上高は前年比10.5%増加し、売上総利益率は62.2%まで改善しました。
一方、依然として赤字であり、2027年の調整後EBITDA損益分岐、2028年のフリーキャッシュフロー黒字化を目指しています。[1]
1.5 最大の機会は、複数のゲノム検査を1つのワークフローに統合することです
ONTが今後大きく成長できる可能性があるのは、がんの分子分類、希少疾患、感染症、cell & gene therapyの品質管理などの領域です。
これらは、short-read sequencingに対して単純な価格競争をするのではなく、ONTならではの情報価値を示せる領域です。
ONTの将来を決めるのは、IlluminaやPacBioより優れたシーケンサーになれるかどうかではありません。既存技術では複数の検査や解析を必要とする生物学的情報を、1回の測定で臨床的に利用可能な形へ変換できるかどうかです。
以下では、ONTの事業の現在地、技術的な競争力、競合企業との違い、今後の成長戦略を順に見ていきます。
2. 事業の現在地:2026年の財務・市場動向
2.1 直近の業績
まず、ONTの財務状況を確認します。
2026年8月19日に公表された2026年上期決算によると、主要指標は次のとおりです。[1]
| 指標 | 2026年上期 | 前年同期との比較 |
|---|---|---|
| 売上高 | £116.7m | +10.5% |
| 売上総利益率 | 62.2% | +4.0ポイント |
| 調整後EBITDA | −£22.1m | −£48.3mから改善 |
| 現金・流動性投資 | £234.5m | 2026年6月末時点 |
売上高は成長しており、特に収益性の改善が進んでいます。
調整後EBITDAの赤字幅は大きく縮小し、売上総利益率も改善しました。
一方で、売上成長率は必ずしも一貫して加速しているわけではありません。
2025年通期の売上高は£223.9mで、為替一定ベースでは24.2%の増収でした。[2]
これに対し、2026年上期の為替一定ベースの成長率は12.3%に減速しています。[1]
上期売上高を比較すると、次のようになります。
| 期間 | 売上高 |
|---|---|
| 2025年上期 | £105.6m |
| 2026年上期 | £116.7m |
この成長率の鈍化には、中国での輸出規制や販売環境の変化、大型研究案件の終了、地域的な混乱などが影響しています。[1]
ただし、これを単純にONTの技術需要の減速と解釈するのは適切ではありません。
大規模研究プロジェクトでは、案件の開始・終了や売上計上のタイミングによって業績が大きく変動することがあります。
また、研究市場と臨床・製薬市場では、成長構造そのものが異なります。
2.2 成長の中心はClinicalとBioPharmaへ移り始めています
2026年上期の顧客市場別の売上成長率を見ると、興味深い傾向が見られます。[1]
| 顧客市場 | 前年同期比売上成長率 |
|---|---|
| Clinical | +35.4% |
| BioPharma | +25.0% |
| Industrial | +6.2% |
| Research | +5.4% |
Researchは依然としてONTの最大市場であり、売上高の約65%を占めています。
しかし、成長率が高いのはClinicalとBioPharmaです。
2026年上期時点の売上構成比では、Clinicalが15.1%、BioPharmaが8.1%を占めています。[1]
これは、ONTの将来を考えるうえで非常に重要な変化です。
研究機関にシーケンサーを導入するビジネスと、製薬企業のGMP環境や病院の診断工程に組み込むビジネスでは、要求される能力が大きく異なります。
後者では、sequencing accuracyだけでなく、次のような要素が決定的になります。
- Lot-to-lot consistency(製造ロット間の一貫性)
- 装置稼働率
- Sample-to-answer turnaround time
- Software version control
- Analytical validation
- 規制対応
- データのトレーサビリティ
つまり、技術的に優れたシーケンサーを開発するだけでは不十分になります。
日常業務で安定して使える製品として、品質・性能・供給体制を確立する必要があります。
ONTの次の成長フェーズは、これらをどこまで実現できるかにかかっています。
3. 技術的な競争力:ONTはどこまで進化したのでしょうか
3.1 シーケンス精度は、もはや単純に「ONTはエラーが多い」とは言えません
Nanopore sequencingの基本原理は、DNAまたはRNAがタンパク質ナノポアを通過する際に生じるイオン電流の変化を測定し、機械学習モデルによって塩基配列を推定するというものです。
この方式には、PacBioのSMRT sequencingやIlluminaのsequencing-by-synthesisとは本質的に異なる特徴があります。
ONTは、MinIONのような小型装置からPromethIONのような高スループット装置まで、さまざまな解析規模に対応する製品を展開しています。
かつて、ONTの大きな技術的制約はread-level accuracyでした。
しかし、R10.4.1 chemistry、改良されたmotor protein、Doradoによるニューラルネットワーク型basecallingなどによって、精度は改善してきました。
ONTは、Dorado v5系モデルによるraw-read accuracyとして、99.75%(Q26)を公表しています。[3]
ただし、この値は特定条件での性能であり、すべてのサンプル、配列文脈、塩基修飾で保証されるものではありません。
また、シーケンシングのaccuracyを評価する際には、少なくとも次の4つを区別する必要があります。
| 精度の指標 | 意味 |
|---|---|
| Simplex read accuracy | 1本のDNA鎖から推定する塩基配列の精度 |
| Duplex accuracy | 同じDNA分子の両鎖から得た信号を利用する高精度推定 |
| Consensus accuracy | 複数のリードから生成したconsensus配列の精度 |
| Variant calling accuracy | 特定のvariant classに対するprecisionやrecall |
特に重要なのは、Qスコアだけではclinical-grade performanceを評価できないことです。
例えば、次のような要因は、解析対象によって異なる影響を与えます。
- Homopolymer-associated indels
- Low-complexity region
- Allele balance
- Mosaic variant
- Modification-induced signal shifts
- Reference bias
したがって、ONTの今後の技術競争では、single-read accuracyの改善だけでなく、variant classごとの誤差構造をどれだけ安定化できるかが重要になります。
3.2 最大の差別化はnative molecule sequencingにあります
ONTの最も重要な競争優位は、long-read sequencingそのものよりも、native moleculeから複数の生物学的情報を同時に取得できる点にあると考えられます。
例えば、同一DNA分子上で、次の情報を関連付けることができます。
- Single-nucleotide variants(SNV)とsmall indels
- Structural variants(SV)
- STR/VNTRやrepeat expansion
- Haplotype phasing
- CpG methylationなどのDNA modification
これは、塩基配列の情報だけでなく、その配列の構造、由来するハプロタイプ、エピジェネティックな状態を統合できることを意味します。
例えば、ある遺伝子座の発現異常を解析する場合を考えてみます。
従来は、プロモーターのメチル化率、DNAの構造変異、配列変異などを別々の解析で調べる必要がありました。
しかし、native long-read sequencingでは、どちらのhaplotypeがメチル化されているのか、さらにそのhaplotypeにcis-regulatory variantやSVが存在するのかを関連付けて解析できます。
これは、次のような領域で特に有用です。
- Imprinting disorder
- Repeat expansion disease
- Allele-specific methylation
- がんにおける複雑な構造変化
ONTは5mC、5hmCなどのDNA modificationに加え、複数のRNA modificationの検出モデルも提供しています。[3]
ただし、modified-base callingの精度は、修飾の種類、配列文脈、機械学習モデルの学習データなどに依存します。
そのため、すべての塩基修飾が同じ精度で検出できると考えるべきではありません。
3.3 RNA sequencingでは、ONTの独自性がさらに大きくなります
ONTのdirect RNA sequencingは、RNA分子をcDNAに変換せずに直接読み取れる点で特徴的です。
この方式には、次のような理論的・実用的な利点があります。
- Full-length transcriptおよびisoform構造の解析
- Poly(A) tail lengthの推定
- RNA modificationの解析
- 逆転写やPCRによるアーティファクトの回避
- RNA分子単位での配列、修飾、transcript structureの関連付け
例えば、同じ遺伝子から生じる複数のtranscript isoformを区別し、それぞれのRNA modificationとの関係を調べることが可能になります。
一方で、技術的な制約も残っています。
RNAの分解、必要な入力量、スループット、3′側への測定バイアス、修飾検出モデルの校正などは、依然として重要な課題です。
特にsingle-cell transcriptomicsのように、非常に多くのRNA分子を低コストで解析することが求められる領域では、ONTがshort-readベースの高スループット手法を全面的に置き換えるとは考えにくいでしょう。
むしろ、short-read RNA-seqで発見した現象を、full-length transcriptやRNA modificationのレベルで詳しく解明する用途や、特定の臨床・製造アプリケーションに統合する方向が有力です。
4. PacBio、Illuminaとの競争はどうなるのでしょうか
ONTの競争環境を理解するには、「シーケンシング市場」という大きな市場の中に、異なる競争軸が存在することを整理する必要があります。
主要な3社の技術的な位置づけを比較すると、次のようになります。
| 比較軸 | ONT | PacBio HiFi | Illumina |
|---|---|---|---|
| Read length | 長い〜ultra-long | 長い(一般に十数kb程度) | 短い |
| Single-read accuracy | 改善中、条件依存 | 非常に高い | 非常に高い |
| Native methylation | 強み | 対応可能、解析法依存 | 標準SBSでは別工程が一般的 |
| Real-time sequencing | 非常に強い | 限定的 | 限定的 |
| Adaptive sampling | 可能 | 同等方式は標準ではない | 同等方式は標準ではない |
| 臨床導入基盤 | 拡大途上 | 拡大途上 | 非常に大きい |
| 主な強み | 統合情報・速度・柔軟性 | 高精度long reads | 成熟度・大量処理・エコシステム |
なお、これは定性的な比較です。
実際の精度、コスト、スループットは、装置世代、ライブラリー調製法、解析パイプライン、解析対象によって変化します。
4.1 対PacBio:技術的には近いものの、価値提案が異なります
Pacific Biosciences(PacBio)のHiFi sequencingは、高いper-read accuracyとlong-range informationを組み合わせる技術です。
ONTとPacBioを比較するとき、SNVやindelのF1-scoreだけを見ても十分ではありません。
例えば、複雑なゲノム領域では、次の要素によって評価が変わります。
- 解析対象となる分子長の分布
- Haplotype blockの長さ
- SV breakpointの解決能力
- Repetitive regionのmappability
- Modification detectionの性能
- 1サンプルあたりの総解析コスト
2026年9月に公開されたlong-read SV callerのベンチマークでも、検出性能はplatformだけでなく、variant type、解析アルゴリズム、coverageなどに強く依存することが示されています。[4]
今後の方向性として、PacBioは高精度long-readの品質を前面に出し、ONTは長さ、速度、修飾情報、柔軟なスループットを統合する方向で差別化していくと考えられます。
両社は競争関係にありますが、すべての用途において完全な代替関係にあるわけではありません。
4.2 対Illumina:全面的な置き換えより、検査価値の再定義が重要です
Illuminaは、short-read sequencingに関して、大規模な設備、試薬、解析ソフトウェア、臨床検査基盤を持っています。
Routine WGS、targeted oncology panels、高スループットRNA-seqなどの多くの用途では、short-read sequencingは引き続き高い競争力を持つでしょう。
ONTが市場を獲得できる可能性が高いのは、既存の複数の検査を統合できる場合です。
例えば、ある疾患の包括的なゲノム解析について、次のような違いが考えられます。
従来の検査ワークフロー
Short-read WGS + methylation array + repeat expansion assay + 特定SVの追加検査
ONTが目指す検査ワークフロー
Native long-read WGS + 統合variant/modification解析
このような統合によって追加検査の数が減り、診断率が改善し、臨床的意思決定が早まるのであれば、sequencing cost per Gbが多少高くても採用される可能性があります。
つまり、競争単位が変わります。
従来の中心的な指標は、cost per Gbでした。
しかし、臨床応用では、cost per clinically actionable answer、すなわち臨床的に有用な答えを1つ得るための総コストが、より重要になります。
ただし、すべての疾患や検査でこの統合が実現できるわけではありません。
実際の採用には、診断感度、再現性、経済性についての前向きな検証が必要です。
5. 今後の成長を牽引する4つの領域
ONTの将来を考えるうえで、特に注目すべき成長領域は次の4つです。
- Clinical Genomics
- BioPharma Quality Control
- Population-scale Genomics
- Molecular Sensing
これらは成長の時間軸も、求められる技術的成熟度も異なります。
5.1 Clinical Genomics:最も大きな戦略的機会です
臨床応用の中でも、脳腫瘍のmethylation-based classificationは、ONTの将来性を評価するうえで特に重要な事例です。
2026年9月25日、英国NHSは、ONTを使った脳腫瘍の迅速ゲノム検査について、大規模パイロットを発表しました。[5]
この取り組みでは、一部の症例について、手術中に2時間以内で分類結果を得ることを目指しています。
この事例が重要なのは、単にシーケンシングが速いという理由だけではありません。
脳腫瘍の分子分類には、DNA methylation profile、copy-number variation(CNV)、driver mutationsなどの情報が有用です。
ONTは、native DNAから得られる塩基配列とメチル化シグナルを利用して、リアルタイムで腫瘍分類を進められます。
この場合、重要な性能指標はQ-scoreそのものではありません。
例えば、次のような指標が重要になります。
- 分類に必要な最低限のcoverage
- 分類確信度と検査失敗率
- 手術中に結果を返せる割合
- 希少な腫瘍サブタイプの分類性能
- 病理診断との一致・不一致の解釈
- 患者管理や治療選択への影響
ここで有効性が確立されれば、ONTは単なるシーケンサーではなく、リアルタイム分子病理プラットフォームとして位置づけられる可能性があります。
同様の考え方は、急性白血病、希少疾患、感染症にも展開できます。
例えば希少疾患では、short-read WGSで原因を特定できなかった症例を、repeat expansion、complex SV、deep intronic rearrangement、allele-specific methylationの統合解析によって再評価することに価値があります。
実際にONTは、2026年にMyOme/Nateraの希少疾患解析プラットフォームとの提携や、Genetic AllianceのRISEプログラムへの参加を発表しています。[1]
ただし、臨床への導入速度は技術性能だけでは決まりません。
保険償還、臨床エビデンス、既存検査との統合、検査室認定などが、普及に向けたボトルネックになります。
5.2 BioPharma:中期的に特に注目したい市場です
BioPharmaは、現在のONTの売上高の1割未満ですが、事業構造として非常に魅力的な市場です。
その理由は、研究予算に依存する一回限りの導入と異なり、医薬品製造工程に組み込まれると、反復的な消耗品需要が形成されやすいためです。
主な用途として、次の3つが考えられます。
mRNA therapeuticsの品質管理
RNA identity、integrity、poly(A) tail、sequence variants、修飾情報などを、可能な範囲で統合測定し、従来の複数試験を簡素化する方向です。
Cell & gene therapyの品質管理
Vector integrity、on-target/off-target rearrangement、transgene structure、複雑なgenome editing outcomeなどを、long-read sequencingで評価する用途です。
Biomanufacturingの工程管理
Plasmid identity、construct integrity、engineered cell lineのgenomic stabilityなどを確認する用途です。
これらの中で象徴的なのが、2026年5月に発表されたLonzaとのGMP向けdirect RNA quality control(QC)ソリューションです。[6]
この取り組みでは、従来複数の分析手法を組み合わせて評価していたmRNAのcritical quality attributesを、統合的なシーケンシングワークフローで評価し、検査時間を短縮することを目指しています。
ここには大きな事業機会があります。
製薬会社がONTを製造QCのvalidated methodとして組み込めば、装置の販売価格よりも、試薬供給、工程の再現性、変更管理、規制文書への対応などの価値が重要になります。
一方で、製造工程に組み込まれるためには、厳格なmethod validationが必要です。
ONTが「研究用途で動く技術」から「長期間にわたり変更管理できる技術」へ成熟することが不可欠になります。
5.3 Population-scale Genomics:PromethIONの重要性
ONTが大規模コホート解析に進出していることも重要です。
2026年上期の決算では、UK Biobank関連で15,000以上のサンプルが処理され、週400ゲノム超の解析が実施されたと報告されています。[1]
大規模なlong-read genomicsで問われるのは、装置の最大理論出力だけではありません。
実際には、次のような要素が総コストを左右します。
- DNA extractionによって得られる分子の長さと品質
- Library preparationの自動化
- Flow cell yieldのばらつき
- Sequencing throughputと装置稼働率
- 必要なcoverage
- Basecallingとvariant callingの計算コスト
- Flow cellの再利用や製造歩留まり
2026年5月のLondon Callingでは、ONTはPromethION Plus flow cellを紹介し、追加のwash/reloadなしでyieldを増やす方向を示しました。[7]
これは、大規模解析の経済性を改善し得る技術です。
しかし、大規模コホートでは、すでにshort-read WGSによるデータ蓄積と解析標準化が進んでいます。
そのため、long-read WGSがすべてのコホート解析で必須になるかどうかは、追加で検出できるvariantやepigenomic featuresに、どれだけの集団遺伝学的・医学的価値があるかに依存します。
当面は、すべてのpopulation sequencingをONTに切り替えるというよりも、重要なサブセットでlong-read WGSを実施し、pangenome、SV reference、repeat variation、haplotype resolutionを充実させる方向が現実的だと考えられます。
5.4 Protein sensing:長期的な可能性は大きいものの、現時点では別の評価が必要です
ONTは2026年の技術発表で、nanoporeによるpeptide sequencingとamino-acid callingのデモンストレーションも紹介しています。[7]
これが十分に成熟すれば、DNA、RNA、proteinをナノポア技術で解析するという構想につながります。
ただし、2030年までの主力売上として、この技術の事業貢献を織り込むべきではないと考えます。
DNA/RNA sequencingと比較して、protein sequencingには非常に大きな技術的課題があります。
例えば、次のような課題です。
- 20種類の標準アミノ酸の識別
- Translocationの制御
- Peptide lengthやterminal chemistryへの対応
- Post-translational modification(PTM)の検出
- Proteome全体の解析に必要なdynamic rangeとthroughput
したがって、protein sensingは企業価値の長期的なオプションであり、現在の主力事業の戦略とは分けて評価すべき領域です。
6. 2026年の経営戦略変更をどう読むべきでしょうか
2026年3月にCEOに就任したFrancis Van Parysは、同年8月の決算発表で4つの戦略的優先事項を示しました。[1]
| 戦略 | 実質的な意味 |
|---|---|
| Customer-centric growth | 勝てるClinical・BioPharma用途への集中 |
| Focused innovation | 技術開発を顧客ニーズと収益機会に接続 |
| Disciplined execution | 製品ライン、製造品質、コスト、事業運営の最適化 |
| High-performance culture | 規制対応・GMP対応を含む事業遂行能力の強化 |
この中で最も重要なのは、研究開発主導型の製品ロードマップから、アプリケーション主導型の製品ロードマップへの転換です。
これまでのONTは、新しいchemistry、basecaller、flow cell、シーケンサーを継続的に発表することで競争優位を築いてきました。
研究市場では、技術革新の速度そのものが重要な価値になります。
一方、臨床・製薬市場では、頻繁な技術変更が必ずしも歓迎されるわけではありません。
例えば、GMP QCで使用するbasecalling modelを変更した場合、解析結果への影響評価や再バリデーションが必要になる可能性があります。
そのため、ONTには今後、二層の製品戦略が重要になると考えられます。
一方では、研究用プラットフォームにおいて迅速な技術革新を維持します。
もう一方では、規制市場向けに安定した製品世代と、管理された更新サイクルを提供します。
GridION Q、GridION Dxなどの製品は、この方向性と整合しています。
GridION Dxは英国・欧州でCE/UKCA markingを取得しています。[8]
ただし、装置レベルの規制対応が進んだことと、あらゆるONTベースの検査が臨床的に承認されたことは、明確に区別する必要があります。
また、2026年8月には、非公開のグローバル診断企業とのクロスライセンス契約も発表されています。[1]
この契約には、次の内容が含まれます。
- 2,000万ドルのライセンス収入
- 2027〜2028年の1,500万ドルの製品購入コミットメント
- 対象製品の売上に連動するロイヤルティ
これは、ONTの知的財産を、シーケンサーの直接販売だけでなく、外部企業の診断製品にも展開する戦略として興味深い動きです。
7. 2030年までの経営目標と、その実現可能性
ONTは2026年8月、新たに2030年の財務目標を示しました。[1]
| 時期 | 会社が公表した目標 |
|---|---|
| 2027年 | 調整後EBITDAの損益分岐 |
| 2028年 | フリーキャッシュフロー(FCF)の黒字化 |
| 2030年 | 売上高7億ドル超 |
| 2030年 | 調整後EBITDA margin 15%超 |
これらは会社の目標であり、達成が確定したものではありません。
2026年の売上成長率について、会社は為替一定ベースで16〜20%を予想しています。[1]
ただし、この数字には2,000万ドルの一時的なライセンス収入が含まれていません。
これを含めた見かけ上の成長率は、約23〜27%となる見込みです。
この区別は重要です。
一時的なライセンス収入によって売上高と粗利益率が改善しても、それだけでシーケンシング事業の継続的な成長率や収益性が改善したと解釈することはできません。
7.1 注目すべき指標①:継続的なflow cell消費
装置販売台数よりも重要なのは、既存顧客がどれだけflow cellを使用し続けるかです。
ONTのビジネスモデルでは、装置を導入した顧客が繰り返しflow cellや試薬を購入することで、継続的な売上が生まれます。
したがって、大型研究案件の終了による影響を受けにくい、routine testing由来の安定した消耗品需要が増えるかが重要になります。
7.2 注目すべき指標②:粗利益率の改善
2026年上期の売上総利益率は62.2%に改善しています。
内訳を見ると、consumablesの粗利益率は約75%、装置・サービスの同指標は約34%と報告されています。[1]
製造歩留まり、flow cellの回収・再利用、製品構成の改善が続けば、収益性はさらに改善する余地があります。
7.3 注目すべき指標③:ClinicalとBioPharmaの売上構成比
Research市場の重要性は今後も続くでしょう。
しかし、臨床検査と医薬品製造における反復利用が増えれば、研究予算の変動や大型研究助成金への依存を相対的に低下させられる可能性があります。
ただし、規制市場では導入までに時間がかかります。
また、一度採用されれば必ず安定した収益が得られるという単純な構図でもありません。
競合手法との費用対効果や、製品供給の信頼性は継続的に問われます。
8. 2027〜2030年の3つのシナリオ
ここでは、会社予想そのものではなく、技術・事業面から見た3つのシナリオを整理します。
8.1 強気シナリオ:臨床・製薬ワークフローの標準化に成功する場合
脳腫瘍分類、希少疾患、感染症、mRNA QCなどの領域で、継続的な検査需要が形成されるシナリオです。
ClinicalとBioPharmaの成長が加速し、高い消耗品粗利益率を実際の収益へ転換できるようになります。
このシナリオを見極めるための先行指標は、次のとおりです。
- 複数医療機関でのroutine導入
- GMP/QCワークフローの横展開
- Flow cell利用量の継続的な増加
8.2 基本シナリオ:研究市場を維持しながら段階的に拡大する場合
ClinicalとBioPharmaは高成長を維持するものの、バリデーション、保険償還、購買サイクルのため、市場の立ち上がりは徐々に進むシナリオです。
研究市場と高付加価値用途が並存しながら、収益性も段階的に改善します。
先行指標としては、次の点が重要です。
- 限定用途での臨床導入の進展
- 研究市場の安定成長
- 収益性の漸進的な改善
8.3 弱気シナリオ:優れた技術でありながら商業化が進まない場合
精度や品質の標準化、コスト低下が競争環境に追いつかず、臨床導入が実証段階にとどまるシナリオです。
さらに、研究費の削減や大型研究案件の終了が業績を圧迫する可能性もあります。
先行指標としては、次の点に注意が必要です。
- パイロットからroutine testingへの転換の停滞
- Clinical・BioPharma売上の伸び悩み
- キャッシュ消費の長期化
8.4 現時点では基本シナリオが中心と考えられます
現時点では、基本シナリオを中心に考えるのが妥当だと思います。
ONTの技術的な有用性を裏づける研究や実証例は増えています。
一方で、臨床や製造品質管理への導入は、研究用製品の普及よりも時間がかかるためです。
また、2026年上期の現金・流動性投資は£234.5mで、2025年末の£302.8mから減少しています。[1]
収益性の改善が継続しなければ、財務面の制約が再び重要になる可能性もあります。
9. ゲノム科学の専門家として、今後何をモニターすべきでしょうか
ONTを単なるシーケンサー企業として追跡するよりも、技術がどこまで実際のアプリケーションに利用できるようになったかを確認することが重要です。
特に注目したい研究・技術指標を整理すると、次のようになります。
| 評価する領域 | 注目すべき指標 |
|---|---|
| Human WGS | HG002などでのSNV/indel/SV/STRのstratified benchmark |
| Epigenomics | 5mC/5hmC callingのaccuracy、calibration、haplotype resolution |
| RNA | Full-length transcript recovery、RNA modificationの検証性能 |
| Clinical | Diagnostic yield、turnaround time、failure rate、臨床的有用性 |
| BioPharma | GMP validation、lot間再現性、QC検査の代替率 |
| Economics | Cost per reportable genome、flow cell utilization、repeat revenue |
| Software | Basecaller更新時の再現性、workflow version control、監査可能性 |
特に性能評価では、ONT単独での最高値を見るのではなく、同じサンプル、同じcoverage、同じ臨床要件で比較することが重要です。
例えば、SNVのF1-scoreが非常に高くても、実際の臨床対象が特定のrepeat expansion、complex rearrangement、低頻度モザイク変異である場合、そのアプリケーション固有の検出性能を評価する必要があります。
同様に、methylation classifierの全体的な精度が高くても、低腫瘍含有率のサンプルや、参照データベースに存在しないsubtypeに対してどのように振る舞うかを確認する必要があります。
今後、ONTの技術を評価するときには、最高性能のデモンストレーションと、日常的な検査で再現可能な性能を分けて考えることが重要になるでしょう。
10. 総合評価:ONTの将来をどう考えるべきでしょうか
現状のONTを5つの軸で定性的に評価すると、次のようになります。
| 評価項目 | 評価(5点満点) |
|---|---|
| 技術的差別化 | 5 |
| 研究市場での存在感 | 4 |
| 臨床市場での商業化 | 2 |
| 製薬QC市場の将来性 | 4 |
| 財務・事業遂行の安定性 | 3 |
※5点は非常に強い、1点は弱いことを表します。これは筆者による定性的な評価であり、外部機関の格付けではありません。また、現在の商業化の進展度と将来性は別の評価軸です。
ONTの今後について、科学技術面ではかなり前向きに評価できます。
一方で、事業成長と財務面では慎重に見る必要があります。
今後3〜5年に起こる可能性が高いのは、long-read sequencingによるshort-read sequencingの全面的な置き換えではありません。
むしろ、従来は複数の検査技術を組み合わせなければ得られなかったゲノム情報を、native long-read sequencingによって統合的に取得するアプリケーションが、徐々に標準化していくことだと考えられます。
特に重要なのは、次の3領域です。
10.1 Clinical molecular classification
がん、希少疾患、感染症などにおいて、より早く、より包括的な診断情報を得る用途です。
シーケンシングの速度だけでなく、塩基配列とメチル化などの複数の情報を統合し、臨床的な意思決定につなげられるかが重要になります。
10.2 Biopharmaceutical quality control
RNAや複雑な遺伝子治療製品の品質特性を統合的に評価する用途です。
この市場では、技術性能に加えて、再現性、標準化、規制対応が極めて重要になります。
10.3 Comprehensive genome analysis
SV、repeat、haplotype、DNA modificationなどを、単一のゲノム解析ワークフローに集約する用途です。
ここでは、従来技術よりも多くの情報を同時に得ることで、ゲノム解析全体の価値を高められるかが問われます。
10.4 最終的な見立て
ONTには、これらの領域で中心的なプラットフォームとなる技術的な潜在力があります。
しかし、技術的に実現可能であることと、臨床・産業界で標準として採用されることの間には、大きな隔たりがあります。
研究段階で高い性能を示した技術が、医療現場や医薬品製造工程で利用されるためには、分析性能の検証だけでなく、品質保証、コスト、規制、既存ワークフローとの統合など、多くの条件を満たさなければなりません。
ONTの今後の経営戦略は、その隔たりを埋めるための取り組みと捉えることができます。
2026〜2030年は、ONTが優れた研究用シーケンシング技術を、臨床診断・バイオ医薬品製造・大規模ゲノム解析を支える産業プラットフォームへと転換できるかを証明する期間になるでしょう。
参考文献
[1] Oxford Nanopore Technologies, “Interim Results for the 6 Months Ended 30 June 2026,” 2026. https://www.investegate.co.uk/announcement/rns/oxford-nanopore-technologies--ont/interim-results-for-the-6-months-ended-30-june-26/9728523
[2] Oxford Nanopore Technologies, “Annual Report 2025,” 2026. https://nanoporetech.com/api/assets/f/196663/x/e6a62a9b49/ont-ar25-interactive-final.pdf
[3] Oxford Nanopore Technologies, 技術資料およびDorado basecalling・modified-base calling関連情報. https://nanoporetech.com/
[4] Long-read structural variant callerの比較ベンチマーク研究, 2026年9月公開. ※元の解説で言及した研究です。論文の著者・題名・DOIは特定していないため、公開前に確認が必要です。
[5] NHS East Genomics, “NHS Pilots Rapid Genomic Test to Transform Brain Tumour Diagnosis,” 2026. https://www.eastgenomics.nhs.uk/news-and-events/nhs-pilots-rapid-genomic-test-to-transform-brain-tumour-diagnosis/
[6] Lonza and Oxford Nanopore Technologies, “Lonza and Oxford Nanopore Technologies Launch Direct RNA Sequencing Solution for GMP mRNA Quality Control,” 2026. https://oxfordnanoporedx.com/news/lonza-and-oxford-nanopore-technologies-launch-direct-rna-sequencing-solution-for-gmp-mrna-quality-control
[7] Oxford Nanopore Technologies, “London Calling Technology Update,” 2026. https://nanoporetech.com/news/london-calling-technology-update
[8] Oxford Nanopore Diagnostics, GridION DxおよびCE/UKCA markingに関する製品・規制情報. https://oxfordnanoporedx.com/