対象読者

  • AIを使った生体内シミュレーションや、Virtual Cell(仮想細胞)の研究に興味がある方。
  • AIによる医薬品開発、分子設計、タンパク質・抗体の機能予測に興味がある方。
  • 生物学的基盤モデル(Foundation Model)の研究史と、現在の技術的課題を体系的に理解したい方。

要約

  • MAMMALは、タンパク質・抗体・低分子・遺伝子発現・連続数値などの異種データを共通の形式で扱い、分類・回帰・生成を統一的に実行する生物学的基盤モデルです。
  • 研究史上は、個別の生物学的対象を学習するモデルから、複数の対象とタスクを統合するGeneralist Modelへの発展を代表する研究です。ただし、生物学的な共通言語という発想そのものを初めて提案したわけではありません。
  • MAMMALは11のベンチマークのうち9つで最高水準の性能を報告しています。一方、共通の形式で多様なタスクを解けることと、生物学的メカニズムを理解していることは区別する必要があります。
  • 2026年には、3D構造や自然言語を統合するBioMatrix、未知の薬物への細胞応答を重視するMAP、物理・幾何学的情報を扱うADiTなど、異なる方向への発展が進んでいます。
  • Virtual Cellの実現に向けて重要なのは、対象やタスクの統合だけではありません。情報表現の十分性、領域間の知識転移、未知条件への汎化、因果関係、時間発展を、どこまで実証できるかが今後の核心的な課題となります。

1. はじめに:MAMMALは生物学の統一モデルなのか

MAMMAL(Molecular Aligned Multi-Modal Architecture and Language)は、タンパク質、抗体、低分子化合物、遺伝子発現などの異なる生物学的データを、単一のモデルで扱うことを目指した基盤モデルです。

プレプリントは2024年10月28日に公開され、査読版は2026年5月4日に npj Drug Discovery に掲載されました。[1][2]

そのため、MAMMALの新規性を考える際には、2026年に登場した研究としてではなく、主に2024年時点の研究状況に位置づけることが適切です。

MAMMALの研究史上の位置づけは、次のように表現できます。

個別の分子・タンパク質・細胞を学習する基盤モデルから、創薬に関わる異種の生物学的対象とタスクを共通の形式で扱うGeneralist Modelへの発展を代表する研究です。

MAMMALは約20億のサンプルで事前学習され、11のDownstream Tasksのうち9つでState-of-the-Art(SOTA)を達成したと報告しています。[2]

これだけ多様なタスクで高い性能を示したことは重要です。

しかし、ここで一つの疑問が生まれます。

異なる生物学的対象を共通のモデルで扱えることは、生物学的現象を統一的に理解したことを意味するのでしょうか。

例えば、あるモデルがタンパク質の結合を予測し、抗体配列を生成し、薬物に対する細胞の感受性を推定できたとします。

それは複数の予測問題を解く能力を示しています。しかし、タンパク質の構造変化、分子間相互作用、細胞内シグナル伝達、細胞状態の時間変化を、一貫した生物学的メカニズムとして理解していることの証明にはなりません。

この区別は、AIによる創薬だけでなく、Virtual Cell(仮想細胞)や生体内シミュレーションを考えるうえでも重要です。

本記事では、MAMMALが登場するまでの研究史を振り返り、その技術的な成果を確認します。

そのうえで、MAMMALの設計が暗黙に置いている前提と、現時点で十分に検証されていない能力を整理します。

さらに、2026年時点の関連研究と比較し、次世代の生物学的基盤モデルに何が必要なのかを考察します。

2. 第1段階:生物学的対象を個別に言語モデル化する研究

2.1. タンパク質の言語モデル

2019〜2022年ごろ、生物学的基盤モデルの研究では、それぞれの生物学的対象に特化したモデルが発展しました。

タンパク質分野では、ESMやProtTransなどが代表的です。

これらの研究では、大量のアミノ酸配列を言語モデルに学習させることで、タンパク質の進化、構造、機能に関わる情報を内部表現として獲得できることが示されました。

例えば、ESMの代表的な研究では、約2億5,000万のタンパク質配列が学習に使用されています。[5]

また、ProGenでは、言語モデルを利用したタンパク質生成が研究され、生成したタンパク質の機能について実験的な検証も行われました。

ここでの重要な発見は、タンパク質のアミノ酸配列を自然言語の文章のように扱い、その統計的な規則性から生物学的な情報を学習できるということです。

ただし、配列の統計的な規則性を学習することと、タンパク質の物理的な振る舞いを直接シミュレーションすることは異なります。

この違いは、その後の研究でも重要な論点になります。

2.2. 低分子の言語モデル

低分子化合物の分野では、SMILESなどの分子表記を学習するモデルが発展しました。

代表例がMoLFormerです。

MoLFormerでは、10億規模のSMILESを用いて分子の表現を学習しています。[6]

SMILESは、分子の結合関係などを文字列として表現する方法です。

この形式によって、自然言語処理のために開発されたTransformerなどの技術を、低分子化合物の学習にも適用できます。

この時期の研究は、概念的には次のように整理できます。

  • タンパク質 → タンパク質言語モデル
  • 低分子化合物 → 化学言語モデル

つまり、各対象を「言語」として学習することが中心でした。

ただし、それぞれのモデルは基本的に独立しており、異なる生物学的対象の関係を共通のモデルで扱うことが主目的ではありませんでした。

2.3. 細胞の基盤モデル

同じころ、細胞を対象とする基盤モデルの研究も発展しました。

特に、single-cell RNA-seqなどの大量の遺伝子発現データから細胞状態を学習するモデルが登場しました。

代表的なものとしてGeneformerとscGPTがあります。

Geneformerは約3,000万、scGPTは3,300万を超えるSingle-Cell Profileを学習に使用しました。[7][8]

これらの研究によって、細胞状態についても、言語モデルやTransformerを基盤とする大規模な表現学習が可能であることが示されました。

ただし、細胞の遺伝子発現を学習したことは、細胞の全状態を再現できることを意味しません。

細胞の振る舞いには、タンパク質の活性、翻訳後修飾、代謝状態、周囲の細胞、細胞外環境なども関与するためです。

この段階で、タンパク質、低分子、細胞という主要な研究領域では、それぞれの基盤モデルが成立しました。

一方、それらの情報を統一的に扱う仕組みは、まだ十分に実現されていませんでした。

3. 第2段階:異なるモダリティを統合する研究

2022〜2024年には、個別に学習されていた生物学的データを、同じモデルや表現空間の中で結びつける研究が発展しました。

主な方向性は次の3つです。

  • 分子と自然言語の対応付け
  • 分子とタンパク質の対応付け
  • 分子の配列表現と3D構造の統合

3.1. 分子と自然言語の統合

MolT5は、分子文字列と自然言語の間の変換を扱うモデルです。[9]

また、MoleculeSTMでは、分子構造とテキストの間で対照学習(Contrastive Learning)を行い、それぞれの情報を対応付けています。

こうした研究は、分子を単なる文字列として扱う段階から、その分子の性質や説明との関係をモデル化する方向へ進んだものです。

例えば、化合物の構造と、その化合物の生物学的作用や化学的性質を記述した文章を結びつけることが考えられます。

3.2. 分子の3D構造を学習する研究

Uni-Molでは、分子の3D構造を直接学習する方向が研究されました。

SMILESのような1次元の文字列表現だけでなく、原子の空間的な配置そのものを学習する点が重要です。

分子の機能や相互作用は、化学的な結合関係だけで決まるわけではありません。

原子の3次元配置、分子のコンフォメーション、相互作用する相手との位置関係なども関与します。

そのため、分子の言語表現と3D構造表現をどのように結びつけるかが、重要な研究方向となりました。

3.3. BioT5とBioT5+:生物学的な共通言語への接近

BioT5およびBioT5+は、MAMMALの前史として特に重要です。

BioT5では、タンパク質、低分子、自然言語をT5型のモデルに統合しました。

BioT5+では、Instruction Tuningや数値表現についても強化されています。[10]

つまり、生物学的に異なる対象をTransformerの共通言語として扱うという発想自体は、MAMMALが初めて提案したものではありません。

MAMMALの新規性を正しく理解するには、単に異種データを統合したという事実だけでなく、共通言語の設計方法、扱うタスク、数値情報の取り込み方、学習方式の違いを見る必要があります。

3.4. Tx-LLM:創薬タスクのGeneralist化

2024年には、Tx-LLMも登場しました。

Tx-LLMでは、低分子、タンパク質、核酸、細胞株、疾患などの情報を自然言語と組み合わせ、66種類の治療薬開発関連タスクを単一のGeneralist LLMで扱っています。

研究では709のデータセットが使用されました。[11]

これはMAMMALと非常に近い時期に登場した重要な比較対象です。

この段階では、個別の生物学的対象を学習するだけでなく、創薬に必要な多様な予測や生成を単一のモデルで扱うことが、主要な研究テーマになっていました。

4. 第3段階:MAMMALが提案した共通の生物学的言語

この研究史の中で、MAMMALは何を新しく提案したのでしょうか。

その特徴は、巨大な汎用LLMに生物学的知識を追加するというよりも、生物学や創薬に適した共通のDomain-Specific Language(DSL)を設計する発想にあります。

4.1. 異なる生物学的対象を共通形式に変換する

MAMMALでは、異なる生物学的対象を次のように表現します。

生物学的対象 MAMMALでの主な表現
低分子化合物 SMILES
タンパク質 アミノ酸配列
抗体 アミノ酸配列
細胞・遺伝子発現 発現量に基づいて順位付けした遺伝子名の配列
連続数値 埋め込み空間への直接投影

これらを特殊なトークンで区切り、複数の生物学的対象を一つのStructured Promptとして記述します。[2]

例えば、タンパク質と低分子の相互作用を予測する場合、タンパク質のアミノ酸配列と化合物のSMILESを共通の入力形式に配置します。

重要なのは、単に異なるデータを連結するだけでなく、それぞれのデータの種類や関係性を構造化された形式で指定できる点です。

これによって、複数の創薬タスクを共通のインターフェースで扱えます。

4.2. 連続数値を直接扱う

MAMMALの特徴の一つが、連続数値の取り扱いです。

一般的な言語モデルでは、数値を文字列としてトークン化することが多くあります。

これに対してMAMMALでは、IC50や結合親和性などの連続値を、学習可能な投影層を通して埋め込み空間に直接取り込めるようにしています。

数値を単なる文字列ではなく、量的な意味を持つ情報として扱うことを意図した設計です。

創薬では、結合親和性、薬物感受性、分子特性など、多くの重要な予測対象が連続値です。

そのため、この設計には実用上の意義があります。

4.3. 分類・回帰・生成を共通アーキテクチャで扱う

MAMMALは、T5を基盤としたTransformerアーキテクチャを使用しています。

この共通モデルによって、次のタスクを扱います。

  • Classification(分類)
  • Regression(回帰)
  • Sequence Generation(配列生成)

事前学習には約20億サンプルが使用されています。

学習対象には、単なるMasked Language Modelingだけでなく、タンパク質間相互作用や抗体生成などに関わるタスクも含まれます。[2]

つまり、MAMMALが目指したのは、生物学的な対象の入力形式だけを共通化することではありません。

多様な生物学的データと予測・生成タスクを、共有されたモデルの枠組みで扱うことです。

4.4. BioT5やTx-LLMとの思想的な違い

MAMMALとBioT5、Tx-LLMは、いずれも異種の生物学的情報を統合する研究です。

ただし、重視する設計思想には違いがあります。

BioT5やTx-LLMは、自然言語モデルの枠組みを活用し、生物学的情報や創薬タスクを統合する方向の研究と整理できます。

一方、MAMMALは、生物学的対象、数値、相互作用、タスクを構造化された形式で記述することを重視しています。

言い換えると、前者が自然言語との接続やLLM的な汎用性を重視するのに対して、MAMMALは生物学的データのための共通プロトコルを明確に設計している点に特徴があります。

もちろん、両者は完全に対立するアプローチではありません。

MAMMALの重要性は、共通言語そのものの発明というよりも、創薬に特化した構造化言語を通じて、多数の異なる生物学的対象とタスクを統合したことにあります。

5. MAMMALの「マルチモーダル性」をどう評価するか

MAMMALを理解するうえで重要なのが、「マルチモーダル」という言葉の意味です。

MAMMALは確かにマルチモーダルモデルですが、実際には多くの生物学的情報を1次元の配列として表現します。

例えば、次のような変換です。

  • タンパク質 → アミノ酸配列
  • 低分子化合物 → SMILES
  • 細胞 → 発現量に基づいて順位付けした遺伝子名の配列

このため、MAMMALのマルチモーダル性は、少なくとも二つの観点から評価する必要があります。

5.1. 生物学的対象の広さ:Breadth Across Biological Entities

MAMMALは、多様な生物学的対象を共通モデルで扱います。

これは、Multi-EntityあるいはMulti-Domainという意味での広さです。

創薬では、化合物とタンパク質の相互作用、抗体と抗原の結合、薬物に対する細胞の反応など、異なる対象の関係を扱う必要があります。

MAMMALの強みは、こうした対象の違いを横断できることにあります。

5.2. 各対象の内部表現の深さ:Depth Across Modalities

一方、各生物学的対象の内部にある多様な情報を、すべて直接表現しているわけではありません。

例えば、タンパク質についてはアミノ酸配列が主な入力であり、3D構造を明示的な空間表現として扱う設計ではありません。

この点で、ESM3とは方向性が異なります。

ESM3は、タンパク質の配列、構造、機能を統合的に学習するモデルです。[3]

つまり、両者の特徴は次のように整理できます。

MAMMALは、生物学的対象とタスクの種類の広さに強みがあります。

ESM3は、タンパク質という対象の内部におけるモダリティの深さに強みがあります。

両者は、どちらか一方が常に優れているという関係ではありません。

ただし、ここからさらに重要な問題が生まれます。

生物学的情報を共通の配列に変換したとき、予測に必要な情報はどの程度保持されるのでしょうか。

この問いは、MAMMALの技術的限界を考えるうえで中心的な論点になります。

6. MAMMALが暗黙に置いている前提

MAMMALは、多数のベンチマークで高い性能を達成しています。

しかし、その設計を詳しく見ると、いくつかの重要な前提が存在します。

ここでいう「暗黙の前提」とは、論文の著者が必ずしも明示的に主張していることではありません。

モデルの設計が成立し、高い汎用性を実現するために期待されている性質を、研究上の仮説として整理したものです。

6.1. 前提①:生物学的情報は1次元配列に変換しても十分に表現できる

最初の前提は、異なる生物学的対象を配列に変換しても、多くの予測タスクに必要な情報を保持できるというものです。

しかし、1次元の表現には、明示的には含まれない情報があります。

対象 主な表現 明示的には表現されない主な情報
タンパク質 アミノ酸配列 3D構造、構造揺らぎ、翻訳後修飾、環境依存性
低分子 SMILES コンフォマー、立体配置の詳細、溶媒中での状態
細胞 遺伝子発現順位 発現量の詳細、タンパク質活性、空間配置、細胞の履歴
分子間相互作用 複数の配列の組み合わせ 結合姿勢、熱力学、動力学、環境条件

もちろん、アミノ酸配列からタンパク質の構造や機能に関わる情報を推定することは可能です。

また、SMILESから分子の結合関係を復元でき、立体化学に関する情報を記述できる場合もあります。

しかし、配列から推定できる情報と、入力に明示的に存在する情報は同じではありません。

特に、同一のタンパク質配列であっても、環境や結合相手によって構造や機能が変わり得ます。

また、同じ遺伝子発現順位を持つ細胞でも、実際の発現量、タンパク質のリン酸化状態、代謝状態などが異なれば、薬物に対する応答が変化する可能性があります。

したがって、問題は単に「3D情報を追加すると性能が向上するか」ではありません。

そもそも現在の入力情報だけで、予測したい生物学的現象を十分に決定できるのかという、より根本的な問題です。

入力に必要な情報が欠落していれば、モデルを大規模化しても、その情報を完全に復元できるとは限りません。

6.2. 前提②:異なる生物学的対象には共有可能な規則性がある

MAMMALは、タンパク質、化合物、遺伝子発現などを共有Transformerで学習します。

ここには、異なる領域のデータを共同学習することで、相互に有益な表現を獲得できるという期待があります。

これはマルチタスク学習やTransfer Learningの基本的な考え方と共通します。

しかし、共通のモデルで複数のタスクを学習できることと、生物学的に意味のある共通表現が獲得されたことは同じではありません。

例えば、次の可能性を区別する必要があります。

  • 異なる生物学的領域の間で、本当に知識転移が起きている。
  • 同じモデル内部で、領域ごとに異なる特徴が実質的に独立して学習されている。
  • 大規模事前学習によって、一般的な正則化効果が生じている。
  • あるタスクの学習が、別のタスクの性能を低下させるNegative Transferが起きている。

MAMMALの高い予測性能は、統合アーキテクチャの実用性を支持します。

ただし、それだけで、生物学的な共通原理が内部表現として獲得されたと結論することはできません。

そのためには、単一ドメインでの学習、複数ドメインでの共同学習、特定モダリティの除去、共有パラメータの制限などを比較する必要があります。

6.3. 前提③:異なるタスクの共同学習は互いに利益をもたらす

MAMMALは、分類、回帰、配列生成を共通の枠組みで扱います。

しかし、それぞれのタスクに必要な情報は必ずしも一致しません。

例えば、薬物の結合有無を分類するための特徴と、新規抗体配列を生成するための特徴は、異なる可能性があります。

複数のタスクを共同学習することによって、共通の生物学的特徴が強化される場合もあれば、互いの学習が干渉する場合もあります。

したがって、重要なのは総合的な性能だけではありません。

どのタスクの学習が、どの別のタスクの性能に寄与したのかを検証する必要があります。

6.4. 前提④:観測データから学習した関係は未知条件にも利用できる

創薬において、特に注意すべき前提です。

MAMMALの多くのタスクは、既存の実験データを教師信号として学習します。

しかし、創薬データにはさまざまな選択バイアスがあります。

例えば、実験で測定される化合物は、ランダムに選ばれた化学空間全体の標本ではありません。

合成可能性、過去の研究成果、研究者の仮説、測定施設の設備などに基づいて選択されています。

同様に、実験で使用されるタンパク質や細胞株にも偏りがあります。

そのため、モデルが高い予測性能を示していても、生物学的な一般則ではなく、既存の実験データに特有の統計的規則性を学習している可能性があります。

この問題を評価するには、ランダムなTrain/Test分割だけでなく、未知の化合物骨格、未知の標的、未知の細胞、異なる測定施設などを用いた検証が必要です。

6.5. 前提⑤:静的な分子・細胞情報から生物学的機能を予測できる

MAMMALでは、分子の配列や細胞の遺伝子発現などを入力として、特定の性質や実験結果を予測します。

しかし、生物学的な現象は本質的に動的です。

例えば、同じ初期状態の細胞であっても、薬物の投与量、投与時間、周囲の細胞、過去の刺激履歴によって応答が変わり得ます。

したがって、ある時点の細胞状態から薬物感受性を予測する能力と、細胞の状態が時間とともにどのように変化するかを予測する能力は異なります。

これは、Virtual Cellとの関係で特に重要です。

6.6. 前提⑥:大量の事前学習によって汎用的な生物学的知識が得られる

MAMMALは約20億のサンプルを用いて事前学習しています。[2]

この規模は重要ですが、サンプル数の多さが、そのまま独立した生物学的知識の量を表すわけではありません。

大量のサンプルに類似配列、重複した実験、特定条件に偏ったデータが含まれる場合、サンプル数と情報の多様性は一致しません。

また、データ量の増加によって性能が改善するとしても、それが未知条件への汎化や因果関係の理解につながるとは限りません。

大規模事前学習の価値を評価するには、データ量だけでなく、多様性、独立性、事前学習タスクの組み合わせ、Downstream Tasksへの転移効果を調べる必要があります。

6.7. 前提⑦:個別タスクでの高性能は創薬全体の有用性につながる

MAMMALの成果は、多数のDownstream Tasksで高い性能を示したことです。

しかし、創薬では、個別の予測タスクで高い性能を示すだけでは十分ではありません。

候補化合物が高い結合親和性を持っていても、選択性、毒性、薬物動態、製造可能性などの条件を同時に満たさなければ、実際の医薬品にはつながりません。

したがって、個々のタスクの予測精度と、創薬プロセス全体での意思決定の有効性は区別する必要があります。

これはMAMMALだけに特有の問題ではなく、創薬AI全般に共通する課題です。

7. MAMMALの評価結果は何を実証しているのか

MAMMALは、論文で評価した11のDownstream Tasksのうち9つでSOTAを達成し、残る2つでも競争力のある結果を報告しています。[2]

評価対象には、次のようなタスクが含まれます。

  • 低分子の性質の予測
  • Drug–Target Interaction(DTI)
  • Protein–Protein Interaction(PPI)
  • 薬物に対する細胞応答の予測
  • 抗体設計

これは、異なる生物学的対象とタスクを単一アーキテクチャで扱うというMAMMALの目的に対して、重要な実証結果です。

ただし、各結果が何を示しているのかを丁寧に区別する必要があります。

7.1. 9/11 SOTAという結果の意味

11タスク中9タスクでSOTAという結果は、評価に使用されたベンチマークと比較対象の範囲で得られたものです。

すべての創薬タスクで、あらゆる既存モデルより優れていることを意味しません。

タスクによって、使用されるBaseline、データ分割、Fine-tuning条件などは異なります。

また、MAMMALの結果は、共通の事前学習モデルを出発点として、個々のDownstream TasksにFine-tuningした評価を含んでいます。

したがって、「11種類のタスクを共通アーキテクチャで扱えること」と、「11種類のタスクを追加学習なしで高精度に解けること」は区別しなければなりません。

さらに、論文で比較できるのは、公開された結果などを利用できるモデルの範囲に限られます。[2]

7.2. AlphaFold 3との比較

MAMMALの論文では、AlphaFold 3との比較も行われています。

抗体と抗原の結合を扱うベンチマークでは、7種類の抗原標的のうち5種類で、Fine-tuningされたMAMMALの予測スコアがAlphaFold 3のConfidence Scoreより優れた結果を示したと報告しています。[2]

これは興味深い結果ですが、比較条件には注意が必要です。

MAMMAL側は、結合予測のためにFine-tuningされたClassifierです。

一方、AlphaFold 3側では、構造予測から得られるConfidence Scoreを、結合可能性のProxyとして使用しています。

つまり、両者は同一の学習目的を持つモデルではありません。

このため、結果を「MAMMALはAlphaFold 3より一般的に結合予測能力が高い」と解釈することは適切ではありません。

また、結合可能性の分類における優劣は、3D構造予測や複合体構造予測の能力全体の優劣を意味しません。

7.3. 未知の標的・薬物への汎化も一部検証されている

MAMMALの汎化能力については、慎重かつ公平に評価する必要があります。

「未知条件への汎化はまったく検証されていない」とするのは正確ではありません。

原著論文では、学習用データから特定のタンパク質クラスを保留するDTI評価が実施されています。

具体的には、4種類のタンパク質クラスを保留した条件での評価が含まれます。[2]

これは、一般的なランダム分割よりも、未知の標的群への汎化を意識した評価です。

さらに、薬物に対する細胞応答の予測では、GDSCの学習用データに含まれない4種類の薬物について、72時間の細胞生存率実験を行っています。

その結果、実験で観察された薬物間の効力順位が、モデルの予測した順位と一致したことが報告されています。[2]

これは既存ベンチマーク上の数値比較を超えた実験検証として重要です。

一方、この結果だけで、未知の化合物全般に対する定量的な予測精度や、すべての細胞条件への汎化が確立されたわけではありません。

特に、GDSC1・GDSC2を使ったランダム分割の評価では、学習とテストに同じ薬物や細胞株が登場する可能性があります。

未測定の組み合わせを予測できることと、未知の薬物と未知の細胞の組み合わせを予測できることは、難易度が異なります。

7.4. 抗体生成の性能と、実験的に有用な抗体の設計は異なる

MAMMALでは、抗体のCDR領域のアミノ酸配列を補完するタスクも評価しています。

特にCDRH3では、Amino Acid Recovery(AAR)の改善が報告されています。[2]

これは、抗体配列の統計的な特徴を学習し、既知配列の一部を適切に補完する能力を示す結果です。

しかし、AARが高いことと、新規に生成した抗体が高い結合親和性、選択性、安定性を持つことは同じではありません。

実用的な抗体設計を検証するには、生成配列について、実際の結合、Off-target作用、発現量、凝集、熱安定性なども評価する必要があります。

7.5. 現時点の実証範囲を整理する

評価項目 MAMMALで確認されたこと 残る課題
多様なタスクへの対応 11タスクで高い性能 未評価のタスクへの適応
共通アーキテクチャ 複数の生物学的対象を統合 共通知識が実際に転移しているか
未知の標的への汎化 保留したタンパク質クラスで一部検証 多様な未知標的・複合条件
未知の薬物への汎化 4薬物での実験的検証 広範な化学空間への外挿
抗体配列生成 配列補完性能の改善 新規抗体の実験的な機能・開発適性
3D構造の直接表現 主な設計対象ではない 原子・立体構造情報の統合
生物学的因果性 十分な実証はない 介入とメカニズムの検証
細胞の時間発展 中心的な実証対象ではない 動的な細胞状態の予測
創薬全体の有効性 個別の予測タスクで成果 前向きの創薬ワークフロー検証

このように、MAMMALは多様な予測タスクを統合する基盤として有望ですが、それを生物学的現象全体の統一モデルと呼ぶには、さらに検証すべき項目があります。

8. 2026年の関連研究:何が進化しているのか

2026年時点では、MAMMALと同様に生物学的情報を統合する研究が、複数の方向へ発展しています。

その違いを整理すると、次のようになります。

モデル 公開時期 主な方向性 MAMMALとの関係
MAMMAL 2024年プレプリント、2026年査読版 低分子、タンパク質、抗体、遺伝子発現、数値の共通言語化 生物学的対象と予測タスクの広さを重視
ESM3 2024〜2025年 タンパク質の配列・構造・機能の統合 対象を絞り、内部モダリティを深く統合 [3]
TxGemma 2025年 66種類の創薬タスクと自然言語対話 LLMの汎用性、対話、推論、Agent的利用を重視 [12]
BioMatrix 2026年プレプリント 低分子・タンパク質の配列、3D構造、自然言語の統合 Native Multimodalityを拡張 [4]
ADiT ICLR 2026 All-Atom・3D構造を用いた結合親和性予測 物理・幾何学的な表現を重視 [13]
MAP 2026年8月 薬物、タンパク質、メカニズム知識、細胞応答の統合 未知の薬物への細胞応答の汎化を重視 [14]
UCE 2026年 生物種をまたいだ普遍的な細胞表現 Cross-Speciesな細胞表現を重視 [15]

重要なのは、これらのモデルが単一の方向に進化しているわけではないことです。

また、後から登場したモデルが、先行モデルの機能をすべて包含するとも限りません。

以下では、特にMAMMALとの比較で重要な研究を取り上げます。

9. BioMatrix:共通言語から3D構造を含むNative Multimodalityへ

2026年6月に公開されたBioMatrixは、MAMMALの研究史上の位置づけを考えるうえで、重要な比較対象です。[4]

9.1. BioMatrixの技術的特徴

BioMatrixは、低分子とタンパク質について、次のモダリティを統合するモデルです。

  • Sequence(配列)
  • Structure(構造)
  • Natural Language(自然言語)

これらを共通の離散トークン空間に変換し、単一のNext-Token Predictionによって処理することを目指しています。

モデルはQwen3を基盤としており、1.7Bおよび4Bパラメータの構成があります。

304.4Bトークンを使った継続事前学習が行われ、評価には6カテゴリーにわたる80のDownstream Tasksが使用されています。

そのうち77タスクでSOTAまたは競争力のある性能が報告されています。[4]

BioMatrixの特徴は、外部のEncoder、Projection Adapter、モダリティごとの出力Headにできるだけ依存せず、複数のモダリティを共通のトークンとして読み書きする設計にあります。

9.2. MAMMALとの本質的な違い

MAMMALでは、異なる生物学的対象を共通の構造化言語に変換しました。

一方、BioMatrixでは、分子の配列表現だけでなく、3D構造や自然言語も共通トークンとして直接扱うことを目指しています。

これは、共通の言語を用いるという思想を、より多様なモダリティへ拡張する方向と捉えられます。

ただし、BioMatrixがMAMMALのすべての機能を包含しているわけではありません。

MAMMALには、遺伝子発現を表現する仕組みや、連続数値を直接埋め込み空間に投影する特徴があります。

BioMatrixは、低分子とタンパク質の配列、構造、自然言語を中心に設計されています。

したがって、両者の重点は次のように異なります。

MAMMAL:Breadth Across Biological Entities

異なる生物学的対象とタスクを横断する広さを重視します。

BioMatrix:Depth Across Modalities of Molecular Entities

低分子とタンパク質に関するモダリティの深さを重視します。

9.3. 3D構造を統合すれば、生物学的メカニズムを理解できるのか

ここでも注意が必要です。

3D構造をモデルに取り込むことは、分子間相互作用を理解するうえで有用です。

しかし、3D構造を扱えることと、生物学的な因果関係や時間発展を正しく予測できることは同じではありません。

例えば、静的な結合構造を予測できても、細胞内でのシグナル伝達、代謝変化、薬物の長時間作用を再現できるとは限りません。

したがって、BioMatrixが示すNative Multimodalityの方向は重要ですが、それだけでVirtual Cellに必要な能力が完成するわけではありません。

10. MAP:未知の薬物に対する細胞応答の予測

2026年8月26日に Nature Machine Intelligence に掲載されたMAPは、MAMMALとは異なる方向で生物学的情報の統合を進めた研究です。[14]

MAPの中心的な目的は、薬物を与えたときの細胞応答を予測することです。

特に、学習時に細胞応答が観測されていない薬物に対する予測を重視しています。

これは、Virtual Cellに向けた重要な研究課題です。

10.1. Knowledge Graphによる生物学的知識の統合

MAPでは、14の公開情報源を統合したKnowledge Graphを構築しています。

その情報規模は次のとおりです。

  • 18万を超える薬物
  • 約2万3,000の遺伝子
  • 約69万の生物学的メカニズムに関する関係

これらを利用して、分子構造、タンパク質配列、生物学的メカニズムに関するテキストを対応付けています。

さらに、学習した表現をSingle-Cell Foundation Modelと組み合わせることで、薬物を投与した場合の細胞応答を予測します。[14]

10.2. 未知の薬物へのZero-Shot Generalization

MAPで重要なのは、未知の薬物に対する汎化性能を明確な評価対象としていることです。

具体的には、学習時に細胞応答が測定されていない薬物に対して、応答を予測できるかを検証しています。

研究では、このZero-Shot条件において既存のBaselineに対する性能改善が報告されています。[14]

ただし、ここでいうZero-Shotは、薬物に関するあらゆる情報が未知であることを意味するわけではありません。

細胞応答の学習データに含まれていなくても、薬物の構造や既知の生物学的関係などを利用できる場合があります。

そのため、Zero-Shotという言葉を使う際には、何が未知で、何が既知なのかを明確にする必要があります。

10.3. 生物学的メカニズムに関する知識の重要性

MAPは、薬物の構造と細胞応答の統計的な対応だけでなく、薬物と遺伝子の関係、作用機序に関する既知の情報を利用することを重視しています。

これは、未知条件への汎化を改善するために、生物学的なメカニズムに関する知識を表現へ取り込む方向です。

ただし、既知のメカニズム情報を利用していることと、モデルが新しい因果メカニズムを自律的に発見・検証できることは異なります。

この区別も重要です。

MAMMALが共通形式による多様なタスクの統合を重視したのに対して、MAPは細胞応答という問題に重点を置き、未知薬物への汎化とメカニズム知識の活用を進めています。

これは、2024〜2026年の研究を通じて、モデルの評価軸がどのように多様化しているかを示す例です。

11. ESM3・ADiT・UCE・TxGemma:異なる方向への発展

MAMMALに関連する研究が、すべて単一の巨大な生物学的言語モデルを目指しているわけではありません。

2024〜2026年には、異なる課題に対応する研究が並行して発展しています。

11.1. ESM3:タンパク質内部のマルチモーダル化

ESM3は、タンパク質の配列、構造、機能を統合するモデルです。[3]

MAMMALに比べると、扱う生物学的対象の種類は限定されています。

一方、タンパク質という一つの対象について、複数の情報を深く統合しています。

これは、生物学的対象の種類を増やすことよりも、一つの対象を豊かに表現する方向です。

11.2. ADiT:物理・幾何学的情報の活用

ADiTは、All-Atomや3D構造を用いた結合親和性予測に取り組む研究です。[13]

MAMMALのように多様なタスクを広く扱うモデルではなく、特定の問題に重点を置いたSpecialist Modelに近い位置づけです。

分子間相互作用では、原子間距離、立体配置、結合部位の形状などが重要になります。

そのため、物理的・幾何学的な情報を直接扱うことは、配列中心のモデルとは異なる強みになります。

ただし、All-Atom表現を用いることと、物理法則が完全に保証されたモデルであることは同じではありません。

11.3. UCE:生物種をまたぐ普遍的な細胞表現

UCE(Universal Cell Embedding)は、異なる生物種をまたいで利用できる細胞表現の学習を重視する研究です。[15]

MAMMALでは、細胞の遺伝子発現を遺伝子名の順位付き配列として扱います。

これに対してUCEは、細胞を共通の潜在表現空間に配置し、組織や生物種を横断した表現学習を目指しています。

UCEの論文では、3,600万細胞を含む統合アトラスを構築し、1,000種類を超える細胞タイプ、8つの生物種にわたるデータを扱っています。[15]

これは、細胞側から汎用的な生物学的表現を獲得する方向です。

ただし、細胞の共通表現を獲得することと、介入後の状態変化を予測できることは、別の能力です。

11.4. TxGemma:創薬タスクとLLMの対話・推論の接続

TxGemmaは、66種類の治療薬開発関連タスクを扱う研究です。[12]

MAMMALが構造化された生物学的データの表現設計に特徴を持つのに対して、TxGemmaはLLMとしての汎用性や、自然言語対話、推論、Agent的な利用との接続を重視しています。

ここには、異なる二つの方向性があります。

一つは、生物学的なデータそのものを共通形式で学習する方向です。

もう一つは、生物学的なデータや予測モデルを、自然言語による推論や研究ワークフローへ接続する方向です。

実際の創薬研究では、両者が補完的に利用される可能性があります。

12. 研究史をどう整理すべきか:単純な進歩の直線ではない

ここまでの研究を、歴史的な流れとして整理してみます。

12.1. 第1段階:2019〜2022年 — 個別ドメインの言語モデル化

代表的な研究:

  • ESM
  • ProtTrans
  • MoLFormer

この段階では、タンパク質や低分子を、それぞれ独立した言語として学習する研究が発展しました。

12.2. 第2段階:2022〜2024年 — 異なるモダリティの対応付け

代表的な研究:

  • MolT5
  • MoleculeSTM
  • Uni-Mol
  • BioT5
  • BioT5+

分子、タンパク質、自然言語、3D構造などを結びつける研究が進みました。

12.3. 第3段階:2023〜2024年 — 生物学的モデルのGeneralist化

代表的な研究:

  • Geneformer
  • scGPT
  • Tx-LLM
  • MAMMAL

この時期には、細胞表現の汎用化に加え、複数の生物学的対象や創薬タスクを共通モデルで扱う方向が発展しました。

ただし、GeneformerやscGPTは主に細胞を対象とする研究であり、MAMMALやTx-LLMと同じ意味でのMulti-Entity Generalist Modelではありません。

MAMMALは、特に創薬に関連する多様な対象を、Structured Biological Languageとして扱う方向を明確に示しました。

12.4. 第4段階:2024〜2026年 — Native Multimodalityの発展

代表的な研究:

  • ESM3
  • BioMatrix

この方向では、配列だけでなく、3D構造、機能、自然言語などを直接統合することが重視されています。

対象の広さに加え、それぞれの生物学的対象について、より豊かな情報を表現する方向です。

12.5. 第5段階:2026年以降の重要課題 — 汎化・メカニズム・Virtual Cell

関連する研究:

  • MAP
  • UCE
  • ADiT

この方向では、未知の薬物、未知の細胞、異なる生物種、異なる実験条件などへの汎化が重要になります。

さらに、生物学的メカニズム、物理的な相互作用、動的な細胞状態をどのように予測するかが、重要な研究課題になります。

12.6. この5段階は、一方向の進化ではない

ここで注意したいのは、これらの段階が厳密な時系列や、性能の上下関係を表すわけではないことです。

例えば、ESM3とMAMMALでは研究目的が異なります。

BioMatrixがMAMMALより後に公開されたからといって、MAMMALのすべての能力を包含するわけではありません。

また、MAPのように未知薬物への細胞応答を重視する研究と、ADiTのように分子の幾何学的情報を重視する研究は、異なる問題を解こうとしています。

このため、生物学的基盤モデルの発展は、少なくとも次の二つの軸で考えると理解しやすくなります。

第1の軸:対象・タスクの統合の広さ

異なる生物学的対象や予測タスクを、どれだけ共通のモデルで扱えるかという軸です。

MAMMALやTx-LLMが代表的です。

第2の軸:表現する生物学的現象の深さ

3D構造、物理的相互作用、生物学的メカニズム、時間発展などを、どこまで詳細に扱えるかという軸です。

ESM3、BioMatrix、ADiT、MAPなどは、この軸の異なる側面を追求しています。

MAMMALは、第1の軸における重要な研究です。

一方、Virtual Cellに向けては、対象・タスクの広さと、生物学的現象を表現する深さの両方が必要になると考えられます。

13. MAMMALに残る未検証課題:何を確かめるべきか

MAMMALの成果を認めたうえで、今後の研究にとって重要な未検証課題を整理します。

特に重視したいのは、共通表現の有用性、未知条件への汎化、生物学的因果性の3点です。

13.1. 未知の薬物・標的・細胞への汎化

未知条件への汎化には、異なる難易度があります。

例えば、次のような条件を区別できます。

評価条件 予測する内容 主な課題
既知薬物 × 既知細胞 既知対象の未測定の組み合わせ 補間性能
未知薬物 × 既知細胞 学習時に応答データのない薬物 Drug-cold Generalization
既知薬物 × 未知細胞 未知の細胞タイプ・細胞株 Cell-cold Generalization
未知薬物 × 未知標的・細胞 両方が未観測の組み合わせ Double-cold Generalization
未知薬物 × 新しい実験条件 異なる投与量、測定時間、施設など Distribution Shift
未知の複合介入 複数薬物や遺伝子操作の組み合わせ Compositional Generalization

MAMMALは、この一部について検証を行っています。

しかし、すべての未知条件に対する頑健な性能が確立されたわけではありません。

特に、薬物と標的が同時に未知である条件や、測定時期による分割、未知の実験施設への転移などは、重要な追加検証の対象です。

また、Activity Cliffにも注意が必要です。

Activity Cliffとは、構造が非常によく似た化合物の間で、生物活性が大きく異なる現象です。

このような条件では、化学構造の一般的な類似性を学習するだけでは、十分な予測性能が得られない可能性があります。

13.2. 領域間の知識転移は本当に起きているのか

MAMMALの中心的な設計思想を検証するためには、複数領域の共同学習が本当に有益かを確認する必要があります。

例えば、Drug–Target Interactionの予測で次のモデルを比較します。

  1. タンパク質と化合物を個別のEncoderで学習するモデル
  2. 共通Transformerを使うが、事前学習を対象領域に限定したモデル
  3. MAMMALのように、複数領域・複数タスクを共同学習するモデル

この比較を、学習データ量や計算予算をできるだけ揃えて実施します。

もし3番目のモデルが明確に優れていれば、統合事前学習の有効性を支持する結果になります。

さらに、Fine-tuningに使うデータ量を変えることで、少数データ条件での転移能力と、大量データ条件での最終性能を区別できます。

また、特定の事前学習タスクを取り除くAblation Studyによって、どの領域からどの領域へ知識転移が起きているかを調べる必要があります。

原著論文では多様なベンチマークの性能が報告されていますが、これらの統制実験を網羅的に確認しない限り、共通の生物学的知識がどのように形成されているかまでは結論できません。

13.3. 生物学的因果性を学習しているのか

予測精度が高いことと、因果メカニズムを捉えていることは異なります。

例えば、薬物Aが細胞Bの増殖を抑制すると正しく予測できても、その理由が特定の標的の阻害によるものなのか、別のOff-target作用によるものなのかは分かりません。

モデルが本当に生物学的なメカニズムを捉えているかを検証するには、介入実験が重要です。

例えば、次のような実験が考えられます。

  • 特定の遺伝子をノックアウトした場合の薬物応答
  • 標的タンパク質の発現量を変化させた場合の応答
  • 薬物と遺伝子操作を組み合わせた場合の応答
  • Rescue実験で機能を回復させた場合の応答

これらを用いることで、単なる観測データの相関を学習しているのか、介入による変化も予測できるのかを検証できます。

ただし、介入結果の予測に成功したことだけで、モデル内部の因果構造が完全に正しいと証明されるわけでもありません。

因果的な解釈には、さらに慎重な検証が必要です。

13.4. 遺伝子発現の順位表現は十分なのか

MAMMALは、細胞の遺伝子発現を順位付きの遺伝子名の配列として表現します。

これは、遺伝子発現をTransformerで扱いやすくする有効な設計です。

一方、順位だけでは、遺伝子間の発現量の差が十分に表現されない可能性があります。

例えば、二つの細胞で遺伝子の発現順位が同じでも、絶対的な発現量や発現比が大きく異なる場合があります。

この情報が薬物応答に重要であれば、順位表現だけでは不足する可能性があります。

そのため、順位のみの表現と、発現量の詳細を保持した表現を比較する実験が重要です。

13.5. 不確実性を正しく推定できるのか

創薬では、予測値の正確さだけでなく、どの程度信頼できる予測なのかを知ることも重要です。

特に、未知の化合物や未知の標的では、モデルが自信を持って誤った予測をすることが問題になります。

したがって、予測性能に加えて、次の評価も必要です。

  • Calibration:予測の信頼度と実際の正答率が一致しているか
  • Uncertainty Estimation:予測の不確実性を適切に推定できるか
  • Abstention:信頼できない条件では予測を控えられるか

これらは、実際の創薬プロセスでモデルを利用するための重要な要件です。

13.6. 実際の創薬ワークフローで価値を生むのか

最後に、個別ベンチマークの性能と実際の創薬成果を結びつける必要があります。

例えば、モデルが選定した化合物を実際に合成・評価し、従来の方法と比較する前向きな研究が考えられます。

その際には、予測精度だけでなく、候補化合物の成功率、実験コスト、計算コスト、探索効率などを評価します。

これは、AIモデルの性能を実際の研究成果に結びつけるために重要です。

13.7. 優先して検証すべき研究課題

優先度 検証テーマ 具体的な方法 明らかにしたいこと
高 未知条件への汎化 Drug-cold、Target-cold、Double-cold、Temporal Split 観測分布を超えて予測できるか
高 統合事前学習の価値 単独学習・共同学習・事前学習なしの比較 領域間の知識転移があるか
高 生物学的因果性 遺伝子操作、薬物介入、Rescue実験 介入効果を予測できるか
中 情報表現の十分性 配列のみ・3D追加・Omics追加の比較 どの情報が不可欠か
中 遺伝子発現表現 順位と発現量を保持した表現の比較 情報圧縮の影響
中 実験条件への依存性 施設・測定条件・細胞株系統別の評価 バッチや環境への頑健性
中 予測の信頼性 Calibration、Uncertainty、Abstention 誤予測を検出できるか
中 計算効率 同等精度での学習・推論コスト比較 Generalist化の実用的価値
中 分子生成の実用性 新規抗体生成とWet-lab検証 生成配列が実験で有用か

これらの実験は、MAMMALだけでなく、その後に登場した生物学的基盤モデルの評価にも役立つと考えられます。

14. Virtual Cellの観点から見るMAMMALの位置づけ

ここまでの議論を、Virtual Cell(仮想細胞)や生体内シミュレーションの観点から考えてみます。

創薬における予測モデルは、特定の入力から特定の出力を求めることが一般的です。

例えば、次のような問題です。

  • 化合物Aとタンパク質Bは結合するか
  • 薬物Aを細胞Bに与えた場合のIC50はいくつか
  • 抗体の一部の配列をどのように補完するか

これらは重要な予測問題です。

一方、Virtual Cellでは、細胞の状態が介入や時間の経過によってどのように変化するかを表現したいと考えます。

14.1. Endpoint PredictionとDynamic Modelingの違い

例えば、薬物Aを細胞Bに投与する場合を考えます。

Endpoint Predictionでは、薬物感受性や生存率など、特定の測定結果を予測します。

一方、動的な細胞モデルでは、薬物投与後に生じる複数の変化を予測することが求められます。

例えば、次のような変化です。

  1. 薬物が特定のタンパク質と相互作用します。
  2. タンパク質の活性やシグナル伝達が変化します。
  3. 遺伝子発現や代謝状態が変化します。
  4. 細胞の増殖、分化、細胞死などに影響が生じます。

このような一連の変化を予測するには、単一のEndpointを予測するモデルとは異なる能力が必要です。

14.2. Virtual Cellに必要な状態遷移モデル

Virtual Cellが目指す動的な予測は、概念的には次のように表現できます。

[ x_{t+\Delta t}=F(x_t,u_t,e_t,\Delta t) ]

ここで、それぞれの変数は次の意味です。

  • (x_t):時刻 (t) における細胞状態
  • (u_t):薬物投与や遺伝子操作などの介入
  • (e_t):細胞外環境や周囲の条件
  • (\Delta t):予測する時間間隔
  • (F):状態遷移を表す関数

このようなモデルでは、初期状態と介入条件から、時間経過後の細胞状態を予測します。

さらに、予測した状態を次の時刻の入力として利用し、細胞状態の時間発展を再現することも考えられます。

MAMMALの主要な実証対象は、このような状態遷移関数そのものではなく、入力された分子・細胞情報から、特定の性質や実験Endpointを予測することです。

したがって、MAMMALをそのままVirtual Cellと呼ぶことは適切ではありません。

14.3. Virtual Cellに向けて必要な4つの能力

Virtual Cellの実現に向けて、特に重要なのは次の4つです。

1. 状態の十分性

観測された遺伝子発現などの情報だけで、将来の細胞状態を予測するために十分なのかを検証する必要があります。

不足する場合には、タンパク質活性、代謝状態、空間情報などを追加する必要があるかもしれません。

2. 時間発展の予測

ある時点の細胞状態だけでなく、異なる時間間隔における変化を予測する必要があります。

また、短時間の予測精度が高くても、長時間の予測で誤差が蓄積する可能性があります。

3. 未知の介入に対する汎化

学習時に観測されていない薬物、遺伝子操作、複合介入などに対して、細胞応答を予測する必要があります。

この観点では、MAPのように未知薬物への応答を重視する研究が参考になります。

4. 階層間の整合性

分子レベルの変化が、細胞や組織レベルの現象と矛盾なく結びつく必要があります。

例えば、標的タンパク質の活性変化から遺伝子発現が変化し、最終的な細胞表現型へつながる関係を扱うことが考えられます。

14.4. MAMMALはVirtual Cellの構成要素になり得るか

MAMMALは、Virtual Cellの完成形ではありません。

しかし、Virtual Cellを構築するうえで、有用な構成要素になる可能性があります。

例えば、分子間相互作用、抗体の特性、薬物に対する特定の細胞応答などを予測するモジュールとして利用する方向です。

その場合、MAMMALのようなGeneralist Modelと、3D構造や物理的相互作用に特化したSpecialist Model、さらに細胞の時間発展を扱うモデルを組み合わせることが考えられます。

ただし、複数のモデルを接続するだけで、整合的な生物学的シミュレーションが成立するわけではありません。

各モデルの入力と出力の意味、誤差の伝播、時間スケールの違い、状態変数の整合性などを検証する必要があります。

15. 次世代の生物学的基盤モデルは何を目指すべきか

MAMMALと後続研究を比較すると、今後の生物学的基盤モデルには、少なくとも四つの研究方向があると考えられます。

15.1. 生物学的対象とタスクを横断する統合

MAMMALが重視した方向です。

タンパク質、低分子、抗体、細胞などを共通の表現やモデルで扱うことは、創薬プロセスの統合に向けて重要です。

ただし、統合すること自体を目的にするのではなく、統合によってどのタスクの予測性能や汎化能力が改善するのかを検証する必要があります。

15.2. 3D構造・物理・幾何学的情報の統合

BioMatrix、ESM3、ADiTなどが示す方向です。

配列情報に加えて、分子の3D構造や物理的な相互作用を扱うことは、分子機能の予測にとって重要です。

ただし、すべてのタスクに3D情報が必要とは限りません。

どの予測問題に、どの情報が必要なのかを見極めることも重要です。

15.3. 生物学的メカニズムと未知条件への汎化

MAPなどが重視する方向です。

観測データに含まれる相関関係だけでなく、薬物と標的、遺伝子、細胞応答などの関係を活用することによって、未知条件での予測を改善することが期待されます。

ただし、既知の生物学的知識を取り込んだモデルであっても、因果的な予測能力は独立して検証する必要があります。

15.4. LLMの推論・対話・Agent的な利用との接続

TxGemmaなどが示す方向です。

創薬研究では、単に数値を予測するだけでなく、研究仮説の生成、実験条件の比較、複数モデルの利用、研究結果の解釈なども重要です。

そのため、生物学的な予測モデルと、自然言語による推論・対話・研究ワークフローを接続する方向にも可能性があります。

ただし、LLMによる説明が自然であることと、その説明が科学的に正しいことは区別する必要があります。

15.5. Generalist ModelとSpecialist Modelは競合するのか

MAMMALは、多様な生物学的タスクを共通アーキテクチャで扱うGeneralist Modelの方向を示しています。

一方、3D構造、分子動力学、細胞状態の時間発展など、特定の問題に対しては、Specialist Modelが優れる可能性があります。

したがって、今後の研究は、すべての機能を一つの巨大モデルに統合する方向だけとは限りません。

共通モデルによって異なる情報を接続しながら、必要な部分では専門的なモデルを利用する設計も考えられます。

このとき重要なのは、単一モデルか複数モデルかという構成そのものよりも、予測の正確さ、未知条件への汎化、計算効率、科学的な検証可能性です。

16. 生物学的基盤モデルの評価軸はどう変わるべきか

ここまでの議論から、今後の生物学的基盤モデルは、単にベンチマーク性能だけで評価することが難しくなると考えられます。

従来の評価では、複数のDownstream Tasksでどれだけ高い性能を達成できるかが重要でした。

これは現在でも重要です。

しかし、創薬やVirtual Cellを考える場合には、さらに別の評価軸が必要です。

例えば、以下のような観点です。

評価軸 主な問い
Task Breadth どれだけ多様なタスクを扱えるか
Entity Breadth どれだけ多様な生物学的対象を扱えるか
Modality Depth 配列・3D構造・機能・Omicsなどをどこまで表現できるか
Cross-Domain Transfer 異なる領域の共同学習が本当に有益か
OOD Generalization 未知の薬物・標的・細胞・条件に汎化できるか
Mechanistic Validity 生物学的メカニズムや介入効果を適切に予測できるか
Temporal Prediction 細胞状態の時間発展を予測できるか
Uncertainty 予測の信頼性を評価できるか
Experimental Validity 独立した実験によって予測を確認できるか
Practical Utility 実際の研究・創薬プロセスに価値をもたらすか

2026年9月4日に Nature Methods に掲載されたPerspectiveでも、Biomedical Foundation Modelの評価において、Reproducibility、Generalization、Replicabilityなどの重要性が議論されています。[16]

また、2026年の関連レビューでも、現実的なデータ分割、分布外評価、不確実性の評価などが重要な論点として挙げられています。[17]

こうした評価では、単に高い平均性能を示すだけでは不十分です。

どの条件で予測でき、どの条件で予測が難しくなるのかを明確にすることが、モデルの科学的な理解と実用化の両方につながります。

17. まとめ:MAMMALが残した最も重要な問い

MAMMALは、2026年時点で最も高度な3D構造モデルというわけではありません。

また、生物学的な因果メカニズムや細胞の時間発展を完全に理解するモデルでもありません。

しかし、創薬に関わるタンパク質、抗体、低分子化合物、遺伝子発現、連続数値を、共通のStructured Biological Languageとして扱い、多様な予測・生成タスクへ適用するという方向を具体的に示した研究です。

約20億の事前学習サンプルを利用し、11のDownstream Tasksのうち9つでSOTAを報告したことは、そのアプローチの有効性を示す重要な成果です。[2]

また、未知の標的群や限定された新規薬物についての検証も行われており、単に既存のランダム分割ベンチマークだけを評価した研究ではありません。

一方、MAMMALの設計には、重要な前提があります。

それは、異なる生物学的対象を共通の計算可能な表現に変換し、多様なタスクを共同学習することで、個別に学習する以上の汎用的な予測能力を獲得できるという考え方です。

この仮説は、MAMMALの成果によって一定程度支持されています。

しかし、そこからさらに、次のような能力が成立するとは限りません。

  • 共通の生物学的メカニズムが内部表現として学習されること
  • 未知の薬物・標的・細胞・実験条件へ広く汎化できること
  • 分子の3D構造や物理的相互作用を十分に表現できること
  • 介入による細胞状態の変化を因果的に予測できること
  • 細胞の時間発展をシミュレーションできること

こうした能力には、それぞれ独立した検証が必要です。

2026年時点の研究動向を見ると、MAMMAL以降の発展は単一の方向ではありません。

BioMatrixは、配列・構造・自然言語をネイティブに統合する方向を進めています。

MAPは、生物学的メカニズムに関する知識を利用し、未知薬物への細胞応答の予測を重視しています。

ADiTは、原子レベルの構造や幾何学的情報を重視しています。

UCEは、生物種をまたぐ細胞表現を追求しています。

TxGemmaは、創薬タスクをLLMの対話・推論・Agent的な利用と結びつける方向を進めています。

これらは、MAMMALを単純に置き換える研究ではありません。

むしろ、MAMMALが統合した対象やタスクの広さに対して、異なる種類の情報、予測能力、汎化能力を拡張しようとする研究です。

したがって、MAMMALは完成された生物学の統一モデルというよりも、異なる生物学的対象とタスクを共通化するGeneralist Architectureの可能性を示した、研究史上の重要なモデルと位置づけるのが適切だと考えられます。

そして、Virtual Cellや生体内シミュレーションを目指すうえでは、次の問いが特に重要になります。

多様な生物学的対象を共通表現で扱う広さと、3D構造・物理・生物学的メカニズム・時間発展を詳細に扱う深さを、どのように両立するのでしょうか。

さらに重要なのは、その統合によって何が実際に可能になるのかを検証することです。

共通のモデルで多くの問題を解けることと、その背後にある共通の生物学的法則を捉えていることは、同じではありません。

「共通表現に何を学習させれば、観測されたデータの範囲を超えて、生物学的に正しい予測ができるのか」。

この問いこそが、MAMMALの成果と限界から導かれる、次世代の生物学的基盤モデルとVirtual Cell研究にとっての中心的な課題だと考えられます。

参考文献

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