対象読者
- 科学研究を支える財団や、企業による研究助成の仕組みに関心がある方
- ライフサイエンス、製薬、バイオテクノロジー分野の研究開発や事業戦略に携わる方
- 長期的な研究投資、産学連携、イノベーション・エコシステムの構築に関心がある方
要約
- Novo Nordisk Foundationは、1924年に設立された財団を起源とする、デンマークの企業所有型公益財団です。インスリン事業から生まれた利益を科学研究や社会課題の解決に還元する仕組みを発展させてきました。
- 財団はNovo Holdingsを通じてNovo NordiskやNovonesisを支配し、企業の長期的な発展と公益活動を両立させています。2025年には118億デンマーク・クローネ(DKK)の新規助成・公益投資を決定しました。
- 現在の重点領域は「健康」「持続可能性」「ライフサイエンス・エコシステム」の3つです。糖尿病研究から、感染症、気候変動、持続可能な食料、AI、量子技術まで支援対象を広げています。
- 一方、Novo Nordiskの業績への依存、企業統治への財団の関与、研究助成の集中、国際的な資金配分、公益投資の成果測定などが重要な課題となっています。
- この財団は、企業が生み出した経済的価値を長期的な科学研究と社会実装へ循環させるモデルとして、日本の研究助成機関、大学、企業にとっても参考になる事例です。
1. Novo Nordisk Foundationとは何か
デンマークの**Novo Nordisk Foundation(ノボ ノルディスク財団)**は、世界的な製薬会社Novo Nordiskを支配する企業所有型財団であり、同時に医学、生命科学、気候変動、食料システム、先端技術などに巨額の資金を提供する研究助成機関です。
この財団を理解するうえで重要なのは、単に「製薬会社が利益の一部を寄付する仕組み」ではないという点です。
財団が企業を保有し、企業から得られる経済的価値を科学研究や社会課題の解決に再投資する、長期的な資本循環モデルを実現しています。
財団の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | Novo Nordisk Foundation |
| 所在国 | デンマーク |
| 起源 | 1924年6月1日 |
| 現在の財団の形成 | 1989年、前身財団の統合 |
| 組織形態 | 企業所有型公益財団(Enterprise Foundation) |
| 主要な保有企業 | Novo Nordisk、Novonesis |
| 投資・資産管理会社 | Novo Holdings A/S |
| 2025年の新規助成・公益投資決定額 | 118億DKK |
| 2025年の助成件数 | 2,206件 |
| 重点分野 | 健康、持続可能性、ライフサイエンス・エコシステム |
財団の公式沿革および2025年の活動実績に基づく情報です。[1][2][3]
なお、118億DKKは2025年に新規決定した助成・公益投資の金額であり、同年の現金支払額とは異なります。
Novo Nordisk Foundationを理解する5つのポイント
この財団には、特に注目すべき5つの特徴があります。
- 1920年代のインスリン研究・製造から誕生したこと。 事業利益を科学・人道目的に還元する思想が創設時から存在します。
- 1989年に競合していた2つの企業グループと財団が統合したこと。 その後、1999〜2000年の組織再編によって現代的な企業所有・投資・助成の体制が整備されました。
- 長期的な企業支配と非営利目的を両立させていること。 Novo Holdingsを通じてNovo NordiskとNovonesisを支配し、投資収益を公益目的に活用しています。
- 重点領域を糖尿病から大幅に拡大していること。 現在は健康、持続可能性、ライフサイエンス・エコシステムを柱に、感染症、気候、食料、AI、量子技術などを支援しています。
- 資金規模と社会的影響力の拡大によって、新たな課題に直面していること。 企業業績への依存、研究助成の公平性、社会的影響力の集中、投資の公益的成果の検証が重要な課題となっています。
特に興味深いのは、財団が研究の発見段階に資金を提供するだけでなく、その成果が事業化されるための研究基盤、人材、インキュベーション、投資までを支援している点です。
2. 設立から現在までの歴史
Novo Nordisk Foundationの歴史は、約100年前のインスリン研究と製造事業にさかのぼります。
現在の財団の特徴を理解するためには、インスリンを起点とする2つの企業と、それぞれの財団がどのように発展し、統合されたのかを知ることが重要です。[1][4]
2-1. 1922〜1924年:インスリンの商業化と公益財団の誕生
Novo Nordisk Foundationの起源は、ノーベル生理学・医学賞受賞者August Krogh(アウグスト・クロー)と、医師Hans Christian Hagedorn(H.C. Hagedorn)らによるインスリン事業にあります。
August Kroghはカナダからインスリン製造の権利を持ち帰り、Hagedornらとともに1923年にNordisk Insulinlaboratoriumを設立しました。
当時、インスリンは糖尿病患者にとって画期的な治療薬でした。
しかし、創業者たちが重視したのは、医薬品を製造・販売して利益を得ることだけではありませんでした。
インスリン事業によって得られる利益を、科学的・人道的な目的に還元することも重要な理念でした。
そのため、事業を財団が所有するという考え方が採用されました。
現在のNovo Nordisk Foundationは、1924年6月1日を設立日としています。[1]
ここに、現在まで受け継がれる「企業活動を通じて生まれた利益を、科学と社会に還元する」という思想の原点があります。
2-2. 1925〜1951年:もう一つのインスリン企業Novoの誕生
Nordiskの設立後、インスリン事業をめぐる競争が始まりました。
Nordiskを離れたHarald PedersenとThorvald Pedersenの兄弟が、1925年にNovo Terapeutisk Laboratoriumを設立しました。
これにより、デンマークにはNordiskとNovoという2つのインスリン企業が存在することになりました。
両社はインスリン市場で競争しながら、それぞれ研究開発能力や事業基盤を拡大しました。
1951年にはNovo Foundationが設立され、Novoの長期的な存続と発展を支える企業所有体制が整えられました。[1]
この時期に形成された2つの財団は、後のNovo Nordisk Foundationの特徴を理解するうえで重要です。
Nordisk系の財団は、科学・人道目的への利益還元を重視していました。
一方、Novo Foundationは、企業の存続と長期的な発展を守る所有機能に強い重点を置いていました。
2-3. 1989年:2つの企業と財団の統合
1989年、長年競争していたNovoとNordiskが合併し、Novo Nordisk A/Sが成立しました。
それとともに、両社の所有構造を支えていた前身財団も統合され、現在のNovo Nordisk Foundationが形成されました。
この統合は、企業としての規模の拡大だけでなく、研究開発能力や公益助成の財源を強化する転換点となりました。[1]
また、財団の役割にとっても重要な意味がありました。
それまで別々に存在していた、
- 企業を長期的に安定させる役割
- 企業から生まれた価値を科学や社会に還元する役割
という2つの伝統が、統合されたからです。
現在の財団が持つ「企業所有」と「公益支援」という二重の機能は、この歴史的な統合によって形成されたものといえます。
2-4. 1999〜2000年:投資持株会社と事業会社の分離
1999年には、財団の資産管理・投資機能を担うNovo A/Sが設立されました。
この会社が、現在のNovo Holdings A/Sです。
続く2000年には、製薬事業を担うNovo Nordiskと、酵素事業を担うNovozymesが分離されました。
その後、Novozymesは2024年にChr. Hansenと統合し、Novonesisとなりました。[1][4]
この再編によって、財団を頂点として、投資持株会社と複数の事業会社がそれぞれの役割を担う現在の組織構造が整備されました。
2-5. 2010年代〜2020年代:研究助成から社会実装へ
2010年代以降、Novo Nordisk Foundationの活動は大きく拡大しました。
従来の糖尿病研究や医療に対する支援を発展させながら、研究成果の事業化や新しい産業の育成にも取り組むようになりました。
その代表例が、BioInnovation Instituteです。
同機関は、研究成果をスタートアップの創出や事業化につなげるためのイノベーション支援拠点です。
また、大規模な研究センターの整備に加え、感染症、気候変動、持続可能な食料生産、先端計算技術などへ活動領域を広げました。[3][5]
財団の役割は、個々の研究者や研究課題に資金を提供することから、科学的発見と社会実装を支える仕組み全体を構築する方向へと発展していきました。
2-6. 2025〜2026年:世界規模の科学・社会課題支援機関へ
2025年には、新規助成・公益投資決定額が過去最高となる118億DKKに達しました。
支援対象も、従来の医療・生命科学研究だけではありません。
WHOとの連携、抗菌薬耐性への対策、CO₂由来の新しい食料原料、量子コンピューターなど、国家的・国際的なプロジェクトにも関与しています。[3]
このようにNovo Nordisk Foundationは、1920年代のインスリン事業に由来する財団から、科学技術を通じて社会課題の解決を目指す世界規模の公益機関へと発展してきました。
3. Novo Nordisk Foundationの組織・運営の特徴
3-1. 財団が企業を所有する独自のガバナンス構造
Novo Nordisk Foundationは、デンマークの**Enterprise Foundation(企業所有型財団)**です。
一般的な企業財団と異なり、財団自体が企業グループの最終的な所有主体となっています。
特定の個人や株主が財団の財産を所有しているわけではありません。
財団はNovo Holdings A/Sを100%保有し、Novo Holdingsを通じてNovo NordiskとNovonesisなどを支配しています。[4][6]
2025年末時点の主要企業に対する所有関係は、次のとおりです。
| 対象企業 | 主な事業 | 株式持分 | 議決権比率 |
|---|---|---|---|
| Novo Nordisk | 製薬 | 28.1% | 77.3% |
| Novonesis | バイオソリューション | 25.5% | 63.4% |
上記はNovo Holdingsを通じた保有比率です。[4][6]
また、Novo Holdingsは、ライフサイエンス分野などの180社を超える企業に直接投資しています。
財団を頂点とする組織構造は、概念的には次のように整理できます。
Novo Nordisk Foundation
(独立した非営利の企業所有型財団)
│
│ 100%保有
▼
Novo Holdings A/S
(持株会社・投資会社)
│
┌───────┼────────┐
│ │ │
▼ ▼ ▼
Novo Nordisk Novonesis その他投資先
製薬 バイオ 180社超
ソリューション
企業収益・投資収益による資産形成
│
▼
Novo Nordisk Foundation
│
▼
研究助成・教育・イノベーション
社会事業
│
▼
大学・研究機関・医療機関
スタートアップ支援機関
国際機関など
この仕組みには、4つの重要な特徴があります。
第一に、長期志向の経営が可能であることです。
財団は定款によって主要企業の支配的な所有権を維持する立場にあります。
そのため、短期的な株主利益だけでなく、企業の持続的な発展を重視した所有者として行動できます。
第二に、財団の資金源が多様であることです。
Novo Nordiskの株式価値や配当だけでなく、Novonesis、未上場のライフサイエンス企業、上場株式、債券、不動産、インフラなどから投資収益を得ています。
第三に、投資と助成の専門機能が分離されていることです。
財団は公益活動を担い、Novo Holdingsが企業所有・資産運用を担います。
第四に、法的な監督を受けていることです。
財団にはデンマークの商業財団法が適用され、Danish Business Authorityの監督対象となっています。[4][6]
この構造は、企業の競争力を長期的に維持しながら、その経済的成果を研究や社会の発展へ還元するための仕組みといえます。
3-2. 財団の資金規模
Novo Nordisk Foundationの公益活動を支えているのは、Novo Holdingsによる企業所有と大規模な資産運用です。
2025年末時点のNovo Holdingsの運用資産総額は、6,940億DKKでした。
また、2025年の投資利益・収益合計は210億DKKと報告されています。[7]
| 財務指標 | 金額・実績 | 対象時点 |
|---|---|---|
| Novo Holdingsの運用資産総額 | 6,940億DKK | 2025年末 |
| Novo Holdingsの投資利益・収益合計 | 210億DKK | 2025年 |
| 財団の新規助成・公益投資決定額 | 118億DKK | 2025年 |
| 財団の助成件数 | 2,206件 | 2025年 |
ただし、運用資産総額には企業グループの保有資産が含まれています。
したがって、6,940億DKKのすべてが、自由に研究助成へ使用できる資金という意味ではありません。
3-3. 助成・公益投資額の推移
財団の新規助成・公益投資決定額は、近年拡大しています。
| 年 | 新規助成・公益投資決定額 |
|---|---|
| 2023年 | 91億DKK |
| 2024年 | 101億DKK |
| 2025年 | 118億DKK |
財団の活動発表による公表値です。[3]
なお、年度ごとの集計範囲や会計上の扱いには注意が必要です。
この金額は、新たに決定された助成・公益投資の規模を示しており、会計上の助成金費用や現金支払額とは必ずしも一致しません。
2025年には118億DKKの公益資金を新たにコミットしましたが、この規模の支援を毎年維持できるかどうかは、保有企業の業績、投資収益、既存資産、財団の長期的な資金配分方針に左右されます。
3-4. 研究助成だけではない多様な支援手法
Novo Nordisk Foundationの特徴は、通常の公募型研究助成だけに依存していないことです。
支援の方法は、大きく5つに分類できます。
| 支援方法 | 特徴 |
|---|---|
| 公募型研究助成 | 研究者が申請し、専門家による審査を通じて選定します。 |
| 長期的な研究者支援 | 研究リーダーや若手研究者のキャリア形成・研究活動を支援します。 |
| 戦略的研究拠点 | 大型センター、設備、研究インフラを長期的に整備します。 |
| 戦略的パートナーシップ | 大学、政府、WHO、他の財団などと共同事業を実施します。 |
| イノベーション支援 | 研究成果の事業化、起業、社会実装に向けた支援を行います。 |
2025年の助成件数の約79%は、公募によるものでした。
一方、資金規模の大きい戦略的なプロジェクトは、財団が主体的に設計して実施する場合もあります。[2][3][6]
このように財団は、研究者が自由な発想に基づいて提案する研究と、社会的な重要性が高い課題を対象とする戦略的な研究投資の両方に取り組んでいます。
4. 現在の重点分野と主要プロジェクト
Novo Nordisk Foundationは、2030年に向けた戦略において、次の3つを重点領域としています。[5]
- 健康(Health)
- 持続可能性(Sustainability)
- ライフサイエンス・エコシステム(Life Science Ecosystem)
4-1. 健康(Health)
健康分野は、財団の歴史的な基盤です。
インスリン・糖尿病研究を出発点に、現在は関連疾患からグローバルヘルスまで対象を拡大しています。
主なテーマは、次のとおりです。
- 糖尿病、肥満、心血管疾患などの心血管代謝疾患
- 感染症、ワクチン、抗菌薬耐性
- 再生医療・細胞治療
- 医療アクセスと健康格差の改善
これらの活動は、個別の研究課題への助成にとどまりません。
病気の予防、治療法の開発、医療体制の整備などを含む、幅広い取り組みとなっています。[5][8]
4-2. 持続可能性(Sustainability)
持続可能性の分野では、生命科学やバイオテクノロジーの知見を、医薬品以外の産業にも展開しています。
主なテーマは、次のとおりです。
- 気候変動対策とグリーントランジション
- 持続可能な食料生産
- 微生物やバイオ技術による産業変革
- CO₂利用など新しい資源循環技術
財団は、ライフサイエンスを医療のための技術としてだけではなく、環境・食料・産業の課題を解決するための基盤技術として位置づけています。[3][5]
4-3. ライフサイエンス・エコシステム
3つ目の重点領域は、研究成果を継続的に生み出すための基盤を整えることです。
主なテーマは、次のとおりです。
- 基礎研究と研究者育成
- AI、データサイエンス、量子コンピューティング
- 大学の教育・研究基盤
- 研究成果の商業化とスタートアップ育成
ここでは、個別の研究プロジェクトに資金を提供するだけでなく、科学的発見を継続的に生み出す国全体の基盤を構築することを目指しています。[5][9]
特にAIや量子技術は、生命科学研究を支える計算基盤としても重要な役割を担います。
4-4. 主要プロジェクト
財団の活動を具体的に理解するために、代表的なプロジェクトを整理します。
| プロジェクト | 目的・特徴 |
|---|---|
| Steno Diabetes Centers | 糖尿病と関連疾患の予防・診療・研究体制を強化します。 |
| Novo Nordisk Foundation Cellerator | 細胞治療の開発・製造・事業化を支援します。 |
| NIVI(ワクチン・免疫) | 呼吸器感染症に対する新規・改良ワクチンの開発を目指します。 |
| BioInnovation Institute | 研究成果の起業・事業化を支援するイノベーション拠点です。 |
| Danish Centre for AI Innovation | Gefionスーパーコンピューターを活用したAI研究基盤を整備します。 |
| QuNorth | 北欧の量子コンピューター研究・産業利用基盤を強化します。 |
これらは、健康、持続可能性、研究基盤、先端技術、イノベーションという財団の戦略を具体化した取り組みです。[3][8][9]
4-5. 注目プロジェクト① WHOとの戦略的連携
2025年の活動として特に注目されるのが、世界保健機関(WHO)との戦略的連携です。
財団は、最大3.8億DKKを4年間で提供する枠組みを発表しました。
対象となるのは、次のような課題です。
- 心血管代謝疾患
- 医療従事者不足
- 医療アクセス格差
- 抗菌薬耐性
この取り組みは、従来の医学研究助成を超え、国際的な医療システムや公衆衛生の課題にも資金を提供する事例です。[3]
4-6. 注目プロジェクト② Acetate Consortium
持続可能な食料生産に関する代表例が、Acetate Consortiumです。
このプロジェクトでは、Gates Foundationとの協力によって、CO₂を原料とする新しい食品素材・製品の開発を推進しています。
2025年には、2年間の延長に向けた共同資金として1.62億DKKをコミットしました。[3]
ここで注目されるのは、微生物やバイオテクノロジーの知見を利用し、従来とは異なる食料生産の仕組みを生み出そうとしている点です。
このプロジェクトは、ライフサイエンスが気候変動や食料供給の課題にどのように貢献できるかを示す事例といえます。
4-7. 注目プロジェクト③ 量子技術の産業基盤
先端技術分野では、量子コンピューティングへの取り組みが注目されます。
財団はデンマークの投資機関EIFOとともに、QuNorth設立へ合計6億DKKを投資しました。
この取り組みは、北欧地域の量子技術における研究力と産業競争力を強化することを目指しています。[3]
また、Danish Centre for AI Innovationでは、Gefionスーパーコンピューターを活用したAI研究基盤の整備が進められています。
これらのプロジェクトに共通するのは、個々の研究への助成だけではなく、新しい技術が研究機関や産業界で活用されるための基盤を整備している点です。
以上の事例から、Novo Nordisk Foundationは、伝統的な医学研究助成機関にとどまらず、科学・産業・国際公共政策を結びつける資金提供者として活動していることが分かります。
5. Novo Nordisk Foundationが直面する課題
Novo Nordisk Foundationは、資産規模と社会的影響力を拡大する一方で、従来の研究助成財団にはなかった複雑な問題に直面しています。
ここでは、実際に報道・指摘されている問題と、公開情報から考えられる中長期的な経営課題を区別して整理します。
5-1. 課題① Novo Nordiskの競争力と財団の資金基盤
最も重要な課題の一つは、財団の資金基盤とNovo Nordiskの企業業績との関係です。
財団は投資資産の多様化を進めていますが、Novo Nordiskは依然としてグループの中核企業です。
特に2024年後半以降、Novo Nordiskは肥満症治療薬市場での競争激化、米国市場の成長鈍化、株価下落などに直面しました。
Eli Lillyとの競争は、大きな経営課題となっています。
2025年にはNovo NordiskのCEO交代や大規模な組織再編が実施されました。[10]
財団にとっての問題は、医薬品の競争力低下が単なる企業経営上の問題にとどまらないことです。
| 企業のリスク | 財団への影響 |
|---|---|
| 肥満症・糖尿病治療薬の競争激化 | 配当成長や保有株式の価値に影響します。 |
| 医薬品価格への圧力 | 将来の利益創出力に影響します。 |
| 新薬開発の不確実性 | 長期的な財源予測が難しくなります。 |
| 特定事業への集中 | 助成拡大計画の持続可能性に影響します。 |
ただし、財団の助成資金はNovo Nordiskの単年度利益と機械的に連動するものではありません。
Novo Holdingsによる投資の多様化と長期的な資産管理が、緩衝機能を持っています。
2025年のNovo Holdingsの投資ポートフォリオ収益率は、報告通貨ベースで2.3%、為替変動を除いたベースで**9.2%**でした。[7]
この数値は、為替変動も資金運用上の重要な要素であることを示しています。
今後の論点は、Novo Nordiskへの集中リスクを抑えつつ、財団が求める長期的な企業支配を維持できるかという点です。
5-2. 課題② 企業統治と財団の影響力の集中
企業統治に関する問題は、2025年に具体的な形で表面化しました。
2025年5月、Novo NordiskはCEOの交代を発表しました。
同社の公表資料では、財団側がCEOの早期交代と取締役会への関与強化を求めたことが説明されています。[10]
その後、2025年11月には取締役会の大幅な変更が行われ、財団理事長のLars Rebien SørensenがNovo Nordiskの会長に就任しました。
Reutersは、一部の投資家が少数株主の権利やガバナンス上の問題を指摘したと報じています。
一方、財団側は、企業の長期的な競争力を守るための対応であると説明しています。[11]
ここには、2つの立場の間に重要なジレンマがあります。
財団による積極的な関与は、長期経営を守るうえで有効になり得ます。
しかし、財団と事業会社の経営判断が過度に一体化すると、独立した監督機能や少数株主との利害調整が難しくなる可能性があります。
今後の論点は、財団が支配株主としてどこまで事業会社の経営に介入し、どこから経営陣と独立取締役に委ねるべきかという点です。
これは企業所有型財団に共通する重要なガバナンス上の課題といえます。
5-3. 課題③ 巨額の研究助成による大学・研究機関への影響
Novo Nordisk Foundationの研究資金は、デンマークの研究環境を大きく発展させる一方、資金配分の集中という問題も生みます。
デンマークの研究資金制度に関する2025年の評価では、Novo Nordisk Foundationなどの民間財団による大型研究センターへの資金提供が、基礎研究分野の優先順位に与える影響の増大が指摘されています。
さらに、デンマークの百科事典Lexは、大型助成が大学の自律性や運営費、人材配分に影響するとの批判を紹介しています。
ただし、大学側には、こうした批判を妥当とは考えない立場もあります。[12]
ここで問題となるのは、研究助成の大きさそのものではありません。
財団の重視する研究テーマに多くの資金や人材が集まり、他分野とのバランスに影響する可能性があるということです。
また、大型研究センターでは、財団による初期投資終了後の維持費や人員確保を誰が担うのかも重要になります。
今後の論点は、大型研究投資と、大学の自律性・研究領域の多様性・長期的な運営負担をどう両立させるかという点です。
5-4. 課題④ グローバル展開と資金配分の公平性
2025年の助成・公益投資決定額のうち、約79%はデンマーク国内の活動に配分されました。[2]
一方、財団はWHOとの連携、インドやアフリカでの活動、国際共同研究などを拡大しています。
これは矛盾ではありませんが、今後の資金配分において重要な選択を迫られることになります。
| 資金配分の方向性 | メリット | 課題 |
|---|---|---|
| デンマーク中心の投資 | 世界水準の研究拠点を集中的に構築できます。 | 資金が地理的に集中します。 |
| 国際共同研究の拡大 | 世界的な課題への影響力を広げられます。 | 成果評価と事業管理が複雑化します。 |
| 低中所得国への直接支援 | 医療アクセスや健康格差の改善につながります。 | 現地の制度・実装能力・持続性への対応が必要です。 |
今後の論点は、デンマークの研究基盤を強化するという役割と、世界全体の健康・環境課題を解決するという目標をどう調整するかという点です。
5-5. 課題⑤ 大規模な投資・助成の社会的成果をどう測るか
もう一つの課題は、財団の活動拡大に伴う成果測定の問題です。
これは、財団の公開情報から考えられる中長期的な課題です。
例えば、研究センターの設立や量子コンピューターの導入は、設備投資額や研究件数だけで成功を評価することはできません。
今後は、次のような成果検証がより重要になると考えられます。
- 医学研究が実際の治療法や患者の健康改善につながったか。
- 脱炭素・食料技術が商業規模で実装されたか。
- AIや量子技術への投資が持続的な研究・産業基盤を生み出したか。
- 財団の支援終了後も研究や事業が自立して継続できるか。
これらは、現在すべてについて実績不足が確認されているという意味ではありません。
長期・大型の公益投資に共通する成果測定上の論点です。
5-6. 5つの課題の総括
| 課題 | 性質 | 主要な検討事項 |
|---|---|---|
| 企業業績への依存 | 顕在化した経営リスク | 収益源の分散と長期的な助成能力 |
| 企業統治への関与 | 2025年に顕在化 | 支配株主の責任と経営の独立性 |
| 研究資金の集中 | 外部機関からの指摘あり | 大学の自律性と研究の多様性 |
| 国内・国外の資金配分 | 戦略的な選択 | 国内基盤と世界的公益の両立 |
| 公益投資の成果測定 | 中長期的な課題 | 実装・社会的成果・持続可能性 |
これらの課題に共通しているのは、財団の資金規模や社会的影響力が大きくなったことで、資金を提供するだけでなく、その意思決定や社会的影響についても説明責任が求められるようになっているという点です。
6. Novo Nordisk Foundationから日本が学べること
Novo Nordisk Foundationを単なる慈善団体として見ると、その本質を十分に捉えられません。
より重要なのは、企業所有、研究資金、研究基盤整備、産業投資、社会実装を長期間にわたり結びつける仕組みです。
特に日本の研究助成機関、大学、製薬企業、ライフサイエンス関連企業にとって、参考になるポイントがあります。
6-1. 長期資本を科学技術の発展に活用する
研究開発では、成果が生まれるまでに10年以上を要するケースがあります。
短期的な研究成果を要求するだけでなく、長期的に研究者・研究拠点・研究基盤を支援するモデルが重要です。
Novo Nordisk Foundationは、企業所有と資産運用を通じて形成した資金を、このような長期投資に活用しています。
6-2. 研究資金だけでなくエコシステム全体に投資する
科学研究の成果を社会に届けるためには、研究費だけでは十分ではありません。
大学への研究費提供に加え、人材育成、研究設備、研究拠点、起業支援、産業との協業までを一体的に考えることで、研究成果の社会実装を促進できます。
BioInnovation Instituteや先端計算技術への投資は、この考え方を具体化した取り組みです。
6-3. 独自の強みから隣接領域へ広げる
Novo Nordisk Foundationは、インスリン・糖尿病という歴史的な強みを起点に、心血管代謝疾患、感染症、再生医療、産業バイオ、AIなどへ活動を拡大しました。
これは、一貫した科学的基盤を維持しながら活動分野を広げる事例です。
従来の専門性を生かしながら、関連する社会課題や新しい技術領域に投資するという発展の仕方は、日本の研究機関や企業にとっても参考になります。
6-4. 資金提供者の影響力にもガバナンスが必要
巨額の資金を提供する機関には、研究テーマの決定や市場・産業の形成に大きな影響力が生じます。
そのため、資金提供者自身のガバナンスも重要になります。
特に、次の点が求められます。
- 研究助成審査の透明性
- 利益相反の適切な管理
- 研究者や研究機関の独立性の尊重
- 研究成果と公益活動の成果の公開
これは、研究助成機関の規模が拡大するほど、より重要になる課題といえます。
7. 総合評価と今後の注目点
Novo Nordisk Foundationは、約100年をかけて、インスリン事業に由来する科学・人道支援の仕組みを、世界規模の研究・社会課題支援モデルへと発展させました。
その成功要因として、次の3つが挙げられます。
7-1. 継続的な資本形成
競争力のある事業会社を長期的に保有するとともに、投資資産を拡大してきました。
これによって、短期的な資金調達に過度に依存せず、大規模かつ長期的な研究・公益投資を実施できる基盤を形成しています。
7-2. 明確な目的
財団は、医学・科学の発展と社会的価値の創出という方向性を長期間維持してきました。
その目的は、インスリン事業に由来する歴史的な理念と結びついています。
一方、具体的な支援分野は、時代の変化や科学技術の発展に合わせて拡大しています。
7-3. 研究から実装までの一貫した支援
財団は、個別の研究助成を超え、大学・医療・先端技術・企業化を支える仕組みを整備しています。
科学的な発見を生み出すだけでなく、その成果が社会で使われるようになるまでを視野に入れていることが特徴です。
7-4. 成功要因そのものが新たな課題を生んでいる
ただし、現在の課題は、これまでの成功要因そのものから生まれています。
企業への強い支配力は長期経営を可能にしますが、少数株主とのガバナンス問題も生じさせます。
巨額の研究助成は研究環境を発展させますが、研究資金や人材の集中を引き起こす可能性があります。
そして、公益目的が拡大するほど、どの社会課題に優先的に資金を投入するのか、誰がその判断を行い、成果をどのように評価するのかが重要になります。
7-5. 今後の最大の論点
今回の調査を踏まえると、今後の最大の論点は、Novo Nordiskという有力な企業を基盤に築いた財団が、特定企業の成長に過度に左右されず、独立した世界的な科学・公益支援機関としての役割を持続できるかどうかだと考えられます。
2025年の企業ガバナンス問題は、その課題が抽象的なものではなく、すでに現実の経営判断として現れていることを示しています。
8. おわりに
Novo Nordisk Foundationは、「企業活動によって富を形成し、その富を使って将来の科学技術・産業・社会を育てる」という循環を制度化した代表的な事例です。
インスリン事業から始まった取り組みは、約100年の間に世界規模の研究・公益支援へと発展しました。
現在は、医学やライフサイエンスだけでなく、気候変動、食料生産、AI、量子技術など、将来の社会を支える科学技術の基盤形成にも関与しています。
その一方で、巨大な資本と影響力を持つ非営利財団が、公共性・独立性・説明責任をどのように確保するのかという課題も抱えています。
Novo Nordisk Foundationは、長期的な研究投資やイノベーション・エコシステムの構築という観点だけでなく、企業と公益財団がどのような関係を築くべきかを考えるうえでも、今後継続して注目すべき組織です。
調査基準日:2026年11月4日。財務・助成額の定量分析には、主として確定済みの2025年度資料を使用しています。2026年度通年の実績値は含めていません。
参考文献
[1] Novo Nordisk Foundation, “History,” Novo Nordisk Foundation, 公式ウェブサイト. https://novonordiskfonden.dk/en/who-we-are/history/
[2] Novo Nordisk Foundation, “Annual Report 2025,” Novo Nordisk Foundation, 2026. https://novonordiskfonden.dk/en/publications/annual-report-2025/
[3] Novo Nordisk Foundation, “DKK 11.8 Billion (€1.6 Billion) Awarded to Benefit People and the Planet in 2025,” Novo Nordisk Foundation, 2026. https://novonordiskfonden.dk/en/news/dkk-11-8-billion-e1-6-billion-awarded-to-benefit-people-and-the-planet-in-2025/
[4] Novo Nordisk Foundation, “History,” Novo Nordisk Foundation, 公式ウェブサイト. https://novonordiskfonden.dk/en/who-we-are/history/
[5] Novo Nordisk Foundation, “Strategy and Goals,” Novo Nordisk Foundation, 公式ウェブサイト. https://novonordiskfonden.dk/en/strategy-goals/
[6] Novo Nordisk Foundation, “Annual Report 2025,” Novo Nordisk Foundation, 2026. https://novonordiskfonden.dk/en/publications/annual-report-2025/
[7] Novo Holdings, “Annual Results 2025,” Novo Holdings, 2026. https://novoholdings.com/annual-results
[8] Novo Nordisk Foundation, “Strategy and Goals,” Novo Nordisk Foundation, 公式ウェブサイト. https://novonordiskfonden.dk/en/strategy-goals/
[9] Novo Nordisk Foundation, “DKK 11.8 Billion (€1.6 Billion) Awarded to Benefit People and the Planet in 2025,” Novo Nordisk Foundation, 2026. https://novonordiskfonden.dk/en/news/dkk-11-8-billion-e1-6-billion-awarded-to-benefit-people-and-the-planet-in-2025/
[10] Novo Nordisk Foundation, “Annual Report 2025,” Novo Nordisk Foundation, 2026. https://novonordiskfonden.dk/en/publications/annual-report-2025/
[11] Reuters, “Novo Nordisk shareholders approve new board chair,” Reuters, 2025. https://www.investing.com/news/stock-market-news/novo-nordisk-shareholders-approve-new-board-chair-4358977
[12] Lex, “Novo Nordisk Fonden,” Lex – Danmarks Nationalleksikon, 公式ウェブサイト. https://lex.dk/Novo_Nordisk_Fonden