対象読者

  • ナノポアシーケンシングや次世代シーケンシング(NGS)の技術動向に関心がある研究者・科学者
  • 中国のゲノム解析機器メーカーや、Oxford Nanopore Technologies(ONT)を取り巻く競争環境に関心がある方
  • ディープテック企業の創業、研究開発、製品化、資金調達、事業成長の過程を知りたい方

要約

  • Qitan Technology(齐碳科技)は、2016年に中国・成都で創業した、独自のナノポアシーケンシング技術を開発する企業です。
  • ゲノミクス、材料科学、電子回路を専門とする3人の共同創業者を中心に、装置・フローセル・試薬・解析ソフトウェアを一体開発する事業基盤を構築してきました。
  • 2020年の初期製品発表から、2023年の中通量機、2025年の高通量機へと展開し、単一リード精度も公表値で約90%から99%へと改善しました。
  • 大規模な資金調達と研究開発投資によって技術実証から量産・商業化への移行を進めましたが、収益性、顧客の継続利用、ONTに対する実運用上の競争力には未検証の部分が残っています。

1. Qitan Technologyとはどのような企業なのか

Qitan Technology(齐碳科技、以下Qitan)は、2016年9月26日に中国・成都で設立された、ナノポアシーケンシング技術を独自開発する企業です。

同社の発展を理解するうえで重要なのは、単に中国製シーケンサーを開発した企業ではなく、ナノポアシーケンシングの基盤となるタンパク質、フローセル、検出回路、試薬、解析アルゴリズムを統合し、商業的に成立するプラットフォームを構築しようとしてきた企業だという点です。

また、英国のOxford Nanopore Technologies(ONT)の技術的・商業的な先行を前提に、中国国内で代替可能な独立プラットフォームを構築することが、創業以来の重要な経営課題でした。

1.1. 創業から現在までの5つの段階

Qitanの歴史は、おおむね次の5段階に分けられます。

時期 発展段階 主な出来事
2016〜2019年 基礎技術の確立 ナノポア測定の原理実証、プロトタイプ開発、異分野の研究開発チーム形成
2020〜2021年 製品化・量産への転換 QNome-9604を発表し、商業化モデルQNome-3841を投入。成都に生産拠点を整備
2022〜2023年 高精度化・中通量化 K2生化システム、QPursueシリーズを導入。アプリケーション開発と顧客基盤形成を強化
2024〜2025年 高通量化・製品ラインアップの拡張 2025年にQPinnacle2とO2生化システムを発表。低・中・高通量のプラットフォームをそろえる
2026年 商業的な持続可能性の検証段階 製品性能と製品群の拡充は確認できる一方、売上成長、収益性、実稼働規模については公開情報による検証が必要

2025年9月には、最大公称出力量800 Gbの高通量機QPinnacle2と、単一リード精度99%をうたうO2生化システムを発表しました。

また、同年の投資家側発表では、QNomeのユーザーが300以上、QPursueのユーザーが200以上と報告されています。[7]

この段階での最大の論点は、装置開発に成功したかどうかではなく、ONTなどに対抗できる性能・コスト・消耗品供給・解析エコシステムを、継続的かつ大規模に提供できるかどうかだと考えられます。

これは公開された技術発表や事業展開を踏まえた分析であり、収益性や市場シェアの優位性がすでに実証されたという意味ではありません。

2. 設立の経緯:なぜ2016年にナノポア測定に挑んだのか

2.1. 創業者3人の出会いと問題意識

Qitanは、異なる専門性を持つ3人の研究者によって設立されました。

謝丹(谢丹 / Xie Dan)

共同創業者であり、ゲノミクス・バイオインフォマティクスを専門とする研究者です。

米国イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で生物医学工学の博士号を取得し、スタンフォード大学医学部で博士研究員を経験しました。

NGSデータ解析の経験を通じ、短いリードでは解決が難しいゲノム解析上の課題に着目しました。

白浄衛(白净卫 / Bai Jingwei)

共同創業者・首席科学者であり、タンパク質、微細加工、測定デバイスに関する技術を担う中心人物です。

UCLAで材料科学の博士号を取得し、IBM Watson研究所でポスドクを経験しました。

Illuminaでシーケンシング関連技術に従事した経歴があり、微細デバイスと分子測定技術に関する専門性を持っています。

胡庚(Hu Geng)

共同創業者・董事長であり、電子回路・企業経営を専門としています。

清華大学の自動化系博士で、電子回路や計測システムの専門性を持ち、創業後は企業経営と技術開発組織の構築を牽引しました。

工商情報でも法定代表者として登録されています。

創業に関するエピソードも具体的です。

2016年、謝丹は米国サンディエゴで白浄衛と面会し、ナノポアシーケンシングへの共同挑戦を決めました。

その後、謝丹の高校時代の同級生だった胡庚が合流し、成都で会社を設立したと報じられています。[1]

ここで重要なのは、3人の専門性が、ナノポアシーケンサーの実現に必要な技術要素をほぼ補完し合っていたことです。

専門領域 必要な技術 創業チームの強み
分子生物学 孔タンパク質、DNA移動制御 タンパク質・分子測定技術
電子・デバイス フローセル、微小電流の検出・増幅 材料科学、微細加工、電子回路
計算科学 信号処理、Basecalling、解析 ゲノミクス、バイオインフォマティクス

これらの技術を統合することで、装置・フローセル・試薬・ソフトウェアからなる独自のナノポアシーケンシングプラットフォームを構築する方針でした。

2.2. なぜIllumina型の短読長シーケンサーを作らなかったのか

2016年当時、短読長NGSはすでに確立された大きな市場でした。

そこに新規参入するには、フローセル、光学検出、シーケンシング化学、ライブラリ調製、解析パイプラインなどで、既存プレイヤーと競争する必要がありました。

一方、ナノポアシーケンシングは、当時まだ大規模な市場普及の初期段階にありました。

Qitanの創業者たちは、ナノポアの持つ次の特性に着目しました。

  • 長いDNA分子を連続的に読み取れるため、構造多型、リピート配列、ハプロタイプ解析などに適しています。
  • 塩基取り込みに伴う蛍光を測定するのではなく、分子通過に伴うイオン電流変化を測定します。
  • リアルタイムにデータを取得でき、小型化・可搬化の余地があります。
  • シーケンシングの時間・場所・利用者を拡大できる可能性があります。

つまりQitanは、成熟したNGS市場の装置をそのまま模倣するのではなく、技術転換期に新たなプラットフォーム保有企業になることを狙ったと解釈できます。

創業者へのインタビューでも、短読長の限界、ナノポア方式の簡潔な測定原理、装置の小型化と応用可能性が起業動機として説明されています。[1]

ただし、ナノポア方式の理論上の利点と、実際の製品が達成できる精度・通量・運用コストは別問題です。

この差を埋めることが、その後10年近くにわたるQitanの研究開発の中心課題になりました。

3. 技術・製品・事業の変遷

3.1. 2016〜2019年:まず電流信号を取得するまで

創業初期のQitanは、非常に小規模な研究開発組織でした。

報道によれば、初期チームは借りた微細加工施設で最初の流体チップを作製し、菓子箱を利用して電子回路のノイズを遮蔽しながら、信号増幅回路を調整しました。

数多くの失敗を経て、最初のシーケンシング信号を取得したとされています。[2]

製品の見た目や機能よりも、まず以下の要素を実現する必要がありました。

  1. 膜中にナノポアタンパク質を安定的に組み込みます。
  2. 電場によってDNAをナノポアへ導入し、その移動速度を制御します。
  3. 塩基配列に依存するpAスケールの電流変化を記録します。
  4. 信号を増幅・デジタル化し、ノイズから分離します。
  5. 信号波形を塩基配列に変換します。

これは一つの装置の開発というより、分子生物学・材料科学・半導体・電子回路・情報処理を横断するシステム開発です。

この期間の主要な節目は、2017年の原理試作機、2018年の工学試作機、2019年の製品化に向けた完成度向上でした。

2018年には北京の研究開発拠点も設置されています。

初期の経営上のボトルネックは、技術だけではありませんでした。

設立直後は会社の知名度も実績も乏しく、優秀な研究者の採用と資金調達が困難だったと、創業者が回顧しています。[2]

3.2. 2020〜2021年:実証から商品へ

QNome-9604(2020年9月発表)

QNome-9604は、中国国内で独自開発されたナノポアシーケンサーとして発表された初期モデルです。

技術実証から装置としての製品化へ移行した節目ですが、その後の量産商用モデルとは区別する必要があります。

QNome-3841(2021年12月発表)

QNome-3841は、商業的に量産可能な小型シーケンサーとして投入されました。

装置だけでなく測定用チップと試薬をセットで提供し、顧客が実際に利用できる製品群の供給を開始しました。

2021年モデルについて、当時公表された性能は次のとおりです。

指標 QNome-3841の発表値
データ出力 1〜1.5 Gb
単一リード精度 約90%
Consensus精度 50×で約99.9%
形態 手のひらサイズの小型装置

この時点での単一リード精度は約90%でしたが、十分なカバレッジを確保することでConsensus精度を高められることが示されていました。

ここでの大きな出来事は、2021年末に成都・天府国際生物城の生産拠点が完成したことです。

同拠点について、公表された生産能力は年間シーケンサー2,000台、試薬・チップ100万セットでした。[2]

これは生産設備の設計能力であり、実生産台数や年間販売台数を意味するものではありません。

この時点で、Qitanは研究開発主体の会社から、消耗品を継続供給するライフサイエンス機器メーカーへと転換し始めたと考えられます。

3.3. 2022〜2023年:小型機から中通量プラットフォームへ

2022年6月には、QNome-3841hexを発表しました。

この時期の変化は、装置を増やすことに加え、顧客が必要とする処理量と作業の自動化に合わせたプラットフォーム拡張を進めたことです。

製品 発表年 主な特徴
QNome-3841hex 2022年 最大6タスクを独立運用。公称最大18 Gb
K2生化システム 2023年 ナノポア測定の精度改善
QPursue-6k 2023年 1フローセルで公称60 Gb
QPursue-6khex 2023年 最大6フローセル、公称360 Gb
QPrenano-100 2023年 最大24サンプルの自動ライブラリ調製

2023年のQPursueでは、K2生化システムと新しい解析アルゴリズムの組み合わせによって、単一リード精度97%、70×でConsensus Q50と報告されています。[5]

これは、単にサンプル処理能力を増強したというより、ナノポア方式で常に問題となる精度と通量を、同時に改善しようとする技術開発でした。

また、2023年には初の顧客体験センターを成都に開設し、ナノポアシーケンシングをテーマとしたREADs2023を開催しています。

こうした取り組みは、顧客が装置を実際に試用できる環境を整え、装置販売だけでは成立しないアプリケーション開発のコミュニティを形成する試みと捉えられます。

3.4. 2024〜2025年:高通量化とQ20到達

2024年の公開情報では、新たな主力ハードウェアよりも、既存プラットフォームの市場普及と、臨床用途に向けた開発・登録手続きが目立ちます。

2025年3月には、医療用途向けモデルQNome-3841hexDxについて、中国食品薬品検定研究院による医療機器検査報告書の取得が報告されました。

ただし、検査報告書の取得は医療機器の販売承認と同義ではありません。

その後、2025年9月23日にQPinnacle2とO2生化システムが発表されました。[6]

QPinnacle2

QPinnacle2は、最大公称データ出力量800 Gbをうたう高通量ナノポアシーケンサーです。

400 Gbのフローセルを2つ使用する構成で、従来の小型機・中通量機から、さらに大規模なゲノム解析へと適用範囲を広げる製品です。

O2生化システム

O2生化システムは、公表単一リード精度99%、すなわちQ20相当を実現したとされる新しい測定システムです。

O2の性能改善は、以下の要素の組み合わせによるものだと説明されています。

  • 新規ナノポアタンパク質
  • DNA移動速度を制御するタンパク質
  • 新規ポリマー膜材料
  • アダプター
  • 反応試薬
  • Basecallingアルゴリズム

同社発表によると、測定ノイズを20%低減し、高品質な膜形成率を90%以上としています。[6]

この技術的進歩は重要です。

ナノポア方式では、単一リード精度の改善が必要なConsensus深度や解析後処理の負担を減らし、実際の利用可能なアプリケーションを拡張するためです。

ただし、公表されたQ20は、あらゆる配列条件で99%の精度が保証されるという意味ではありません。

反復配列、ホモポリマー、修飾塩基、特定の配列コンテキストにおけるエラー特性は、独立したデータで評価する必要があります。

3.5. 製品世代を横断する比較

各製品について公表された最大データ出力量を比較すると、次のようになります。

製品 発表年 公称最大データ出力量
QNome-3841 2021年 1.5 Gb
QNome-3841hex 2022年 18 Gb
QPursue-6k 2023年 60 Gb
QPursue-6khex 2023年 360 Gb
QPinnacle2 2025年 800 Gb

なお、これらは製品の公称値であり、測定条件やフローセル数が異なるため、同一条件での性能比較ではありません。

Qitanは創業から一貫してナノポア方式に集中しているため、注力分野の変化は「測定原理の変更」ではなく、同じコア技術を高精度・高通量・多用途に拡張してきたことにあります。

4. 資本的変遷:どのような投資家が、何を支えたのか

Qitanは、装置販売による十分なキャッシュフローが生まれる前から、多額の資本を必要とする事業でした。

以下は確認できた主要な資金調達です。

時期 ラウンド 公表調達額 主な投資家
2017年4月 初期資金調達 300万元 合力投資など
2018年4月 Pre-A 2,000万元 雅惠投資、中関村系投資家など
2019年8月 戦略投資 4,000万元 中関村系投資家、雅惠投資、百度VC
2020年5月 A 1億元超 高榕資本、銀杏谷資本など
2021年6月 B 4億元超 高瓴創投、鼎暉VGCが共同主導
2022年12月 C 7億元 美団が主導、華盖資本、博遠資本
2023年12月 C+ 約1億元 策源資本、国生資本
2025年12月 D 非公開 北商資本

2017〜2020年のラウンド名称には、データベース間の差異があります。

2025年Dラウンドは複数の企業データベースに記載されていますが、公開額や詳しい取引条件は確認できません。[8]

公開調達額を機械的に合算すると、およそ15億元強(約15.3億元)となります。

ただし、これは確認されたラウンドの規模を集計したもので、現在の手元資金や企業価値を示すものではありません。

4.1. 2017〜2019年:研究開発を支える初期投資家

この段階の資金は主に研究開発に投入されました。

投資判断の中心は、原理実証が成功するか、独自の技術基盤を構築できるかという点だったと考えられます。

創業から間もない時期には、まだ製品販売の実績がなく、投資家は技術的な可能性と創業チームの能力を評価する必要がありました。

4.2. 2020〜2021年:製品化と量産への大型資金

高榕資本、高瓴創投、鼎暉VGCなどの参加によって、資金調達規模が拡大しました。

2021年Bラウンドでは、開発の継続だけでなく、量産と市場投入が明確な目的となりました。[3]

研究開発主体の企業から製造業としての体制を構築するうえで、この時期の大型調達は重要な意味を持っていたと考えられます。

4.3. 2022年:美団による大型投資

2022年12月には、美団が主導する7億元のCラウンドが実施されました。

この時点でQitanは、すでに商品を販売し、100以上の機関顧客にサービスを提供していると説明していました。

この投資を単に資金調達と見るだけでなく、大規模商業化への期待を反映するものと捉えられます。

ただし、美団の具体的な投資目的や事業シナジーは、この情報だけでは断定できません。

4.4. 2023〜2025年:地域産業資本と継続資金

2023年のC+では、成都高新区系の策源資本や成都生物城基金が参加しました。[4]

2025年12月には、北商資本が参加したDラウンドが企業データベース上に記録されています。[8]

国産先端機器を育成する地域産業政策と、事業の成長資金が結びついていることが読み取れます。

特に興味深いのは、中関村発展集団による支援です。

同グループは2019年以降、複数回にわたり資本面から支援したほか、追加投資家との接続、研究開発拠点、生産拠点の整備にも関与したとしています。[7]

このことは、Qitanが「VCから資金を得て研究開発する企業」から、地域の産業基盤と結びついた技術メーカーへと成長してきたことを示しています。

ただし、現在の正確な株主構成、創業者持分の希薄化、各投資ラウンドの評価額、優先株の条件までは、公開情報から再構成できません。

5. 人的・組織的変遷

5.1. 創業者主導型から、専門研究開発組織へ

Qitanの人員規模について、公開情報から確認できる節目は以下のとおりです。

時期 人員規模 特徴
2016年 少人数の創業チーム 3人の共同創業者を中心に発足
2022年6月 約250人 北京・広州にも研究開発拠点
2022年12月 約270人 75%以上が技術研究開発職
2023年以降の企業紹介 300人超との記載 成都・北京・広州・南京に拠点

2022年時点では、社員の半数以上が修士・博士号保有者だったと報じられています。

2026年の実際の従業員数は確認できていません。

各種企業データベースの人数表示にも大きな差があるため、300人超という情報を現在の人数として断定することは避けるべきです。

5.2. 研究開発拠点の役割

拠点は成都を中心に、北京、広州、南京へと拡張されています。

成都は本社と量産拠点の所在地であり、北京などには研究開発機能が置かれています。

重要なのは、開発組織の地理的拡張により、ナノポア測定に必要な幅広い研究分野の人材を獲得しやすくなった可能性があることです。

ただし、各拠点で具体的にどの分子技術やハードウェア領域を担当しているかについては、十分に裏付けられる情報がありません。

5.3. 創業者3人の役割は維持されているのか

2025年9月の新製品発表では、謝丹が会社の技術開発方針を説明し、白浄衛がO2生化システムの技術詳細を説明しています。[6]

胡庚も2023年末のC+ラウンドでは、董事長として発言していました。[4]

このことから、少なくとも2025年まで、創業者が技術戦略と経営の双方で重要な役割を果たしていたことが確認できます。

現時点で、創業者が大規模に離脱した、経営権が外部投資家に移った、あるいは研究開発トップが交代したといった事実を裏付ける公開情報は見つかっていません。

一方で、正式な取締役会構成、経営陣の時系列、持株比率、各拠点責任者の変更は追跡できていないため、組織の安定性を十分に評価するには追加調査が必要です。

6. Qitanが直面してきた課題と、その克服方法

Qitanの課題は、事業の成熟段階に応じて変化してきました。

段階 主要課題 採用した対応
創業期 研究開発人材・資金が集まらない 異分野の共同創業者、段階的な資金調達
技術実証期 微小電流を安定して取得できない 孔タンパク質、膜、回路、チップの自社開発
商品化期 実験室での成功を量産へ移せない 生産拠点整備、試薬・フローセルの一体開発
市場投入期 精度・通量が限定的 K2、QPursueの投入
拡大期 高精度化と大規模解析への対応 O2、QPinnacle2の投入
現在 継続的な顧客利用と収益性の立証 製品群・アプリケーション・臨床開発を拡張中

6.1. 課題①:原理実証と商用化の間にある巨大な技術的隔たり

ナノポア測定は、DNAが孔を通過した際の電流変化を観測できれば終わりという技術ではありません。

商用化のためには、膜形成の成功率、孔タンパク質の安定性、DNA輸送速度、チャンネルごとの信号品質、歩留まり、チップの保存安定性などを、同時に高める必要があります。

Qitanは、これらを外部技術に全面依存せず、内部で開発する戦略を採りました。

2022年の取材で、共同創業者の謝丹は、原材料の95%以上が国産化されていると述べています。[1]

これはサプライチェーンの強靱化という意味では重要ですが、「すべての知的財産権について海外企業と係争するリスクがない」という意味ではありません。

特許の実施自由度(Freedom to Operate:FTO)は別途検討が必要です。

6.2. 課題②:低い単一リード精度

技術的に最も明確な進展が見られるのが、精度改善です。

世代 年 公表単一リード精度
QNome 2021年 約90%
K2 2023年 約97%
O2 2025年 約99%

Q20はエラー率1%、Q15相当は約3.16%、Q10は10%です。

そのため、単一リード精度が90%から99%に上がることは、単なる9ポイントの改善ではなく、公表値上ではエラー率が10分の1になったことを意味します。

Qitanは2025年のO2発表時、次の要素を改善したと説明しています。[6]

  • 孔タンパク質の設計
  • DNA移動速度の制御
  • 膜材料と膜形成歩留まり
  • 信号ノイズと孔の閉塞
  • アダプター・試薬・Basecalling

ただし、精度の変遷を厳密に評価するには、同一参照試料を使った比較が欠かせません。

特にホモポリマー、リピート、SV検出、SNV/indelコール、修飾塩基検出で、エラーの質がどう変わったかを検証する必要があります。

6.3. 課題③:単一機種の限界とアプリケーションの広がり

2021年の初期商用モデルでは、処理可能なデータ量が限定され、大規模なゲノム解析には不向きでした。

Qitan自身も、初期の小通量製品だけでは用途が制約されると認識し、開発投資を継続したと説明しています。[2]

そこで同社は、小型機を廃止するのではなく、処理規模の異なる製品を追加する戦略を選びました。

製品系列 主な位置づけ 想定する利用場面
QNome 小型・小通量 オンサイト測定、迅速解析、小規模研究
QPursue 中通量 研究機関、中規模解析
QPinnacle2 高通量 大規模ゲノム解析、コホート研究

これによって、特定用途だけではなく、病原体解析、遺伝性疾患研究、法医学、農業、環境モニタリングなどへ事業領域を拡張しました。[7]

6.4. 課題④:研究用機器から臨床機器への移行

ナノポアシーケンシングを研究用途で使えることと、臨床検査に利用できることは別です。

臨床用途では、測定精度に加えて、ロット間再現性、品質マネジメント、検体ごとの性能、規制適合性、トレーサビリティなどが必要になります。

Qitanはこの分野でも段階的に取り組んできました。

2024年には、同社の医療機器に関する中国の第二類医療機器登録証取得が報じられています。

ただし、当該登録対象をすべてのシーケンサー製品へ一般化することはできません。

2025年3月には、QNome-3841hexDxの検査報告書取得が発表されました。

これは規制申請に向けた進展ですが、同モデルの第三類医療機器登録承認が完了したことを示すものではありません。

臨床向け装置の認可と継続利用は、Qitanの次の成長を左右する重要な領域と考えられます。

6.5. 課題⑤:コロナ禍による開発・生産・営業の制約

2020〜2022年には、感染症対策に伴う顧客訪問の制限、展示会や学会の開催困難、原材料価格の上昇といった問題もありました。

その際Qitanは、研究開発投資を縮小するのではなく、むしろ増やす選択をしています。

2022年の人民網の取材では、2021年の研究開発投資が前年比2.6倍だったと報じられています。[2]

この判断は、短期的な営業環境が悪化しても、製品性能で先行企業との差を縮める方針を優先したものと解釈できます。

7. 顧客・市場開拓の変遷

同社の対外説明には、装置数ではなく「サービスを提供した機関・ユーザー」の増加が繰り返し登場します。

時期 公表された顧客・ユーザー数 備考
2022年末 100機関超 サービス提供先の機関数
2023年末 200機関超 サービス提供先の機関数
2025年後半 QNomeが300ユーザー超、QPursueが200ユーザー超 製品群ごとの報告値

2025年の2製品のユーザー集合には重複の可能性があるため、500のユニーク顧客を獲得したと断定はできません。[4][7]

2023年の策源資本の公表資料では、サービス提供先として、疾病予防管理機関、税関、がん研究機関、協和医院、華西医院などが挙げられています。[4]

この顧客構成からは、大学や研究所への初期導入に加えて、公衆衛生・医療・検疫・法医学などの実務に近い領域を狙ってきたことが読み取れます。

ただし、「顧客数が増加した」ことと「売上が継続的に増加した」ことは同義ではありません。

研究目的の評価導入、無償提供、継続的な消耗品購入などの内訳は、公開数字からは識別できません。

8. 2026年現在、何が実現し、何がまだ不明なのか

2026年4月には、中国儀器儀表学会の企業紹介にQitanが掲載され、ナノポアシーケンサー、チップ、試薬の研究開発・製造を主業務として紹介されています。

これまでの歴史を総括すると、以下のように整理できます。

評価領域 現状について言えること
原理実証 達成
商用製品開発 達成
生産拠点整備 達成
低・中・高通量ラインアップ 発表済み
単一リードQ20 企業公表値として達成
複数分野への顧客導入 公表事例あり
臨床向け製品の規制対応 進行を確認
独立した包括的性能評価 十分な公開資料を確認できず
売上・利益・キャッシュフロー 未確認
フローセルの実稼働量・継続購入率 未確認
ONTとの実運用コスト比較 未確認
2026年の詳細な経営・株主構成 未確認

2025年12月のDラウンドを含め、2026年時点でも事業継続と追加資本調達の形跡は確認できます。

ただし、それだけで経営の健全性や長期的な資金余力を判断することはできません。

9. ゲノム科学・事業開発の視点から見たQitanの特徴

Qitanの発展を考えるうえで、特に重要だと考えられるポイントは3つあります。

9.1. 「シーケンサーを製造する」こと自体が競争戦略

Qitanは、既存シーケンサーの販売代理や解析サービスから参入した会社ではありません。

装置・チップ・試薬・解析ソフトウェアを含む測定基盤そのものを構築しています。

これは技術開発負担が非常に大きい一方、成功すればフローセルや試薬の継続供給を含むプラットフォーム事業を形成できます。

装置単体の売上よりも、稼働装置数、フローセル使用頻度、反応試薬の継続購入、アプリケーションの定着が長期的には重要になると考えられます。

9.2. 国内調達と独自開発が経済合理性を持つ

中国は大きな研究開発市場・臨床検査市場を持ち、国産の先端計測技術への政策的支援も存在します。

Qitanにとって、自社技術の開発と国内供給網の確立には、研究機器の輸入依存を減らすという産業政策上の意義と、供給・サービス体制を国内で管理するという事業上の意義があります。

ただし、中国国内の支援を受けていることが、そのまま海外市場での競争力を意味するわけではありません。

輸出先の規制、知的財産権、サービス網、試薬物流などは別の課題です。

9.3. 今後の競争は、技術そのものよりも「実際に使えるワークフロー」に移る

QitanはすでにQ20と高通量機を発表しています。

ここから先の差別化では、単純なGb数以上に、実際の研究成果や業務での使いやすさが重要になります。

例えば、次のような項目です。

  • ヒトゲノム30×解析に必要な実測時間と総コスト
  • SV、SNV、indel、DNAメチル化解析の実測性能
  • フローセルごとの品質ばらつきと有効リード割合
  • 保存・輸送後のチップの性能維持
  • Basecallingと二次解析の計算資源コスト
  • ONTベースの既存パイプラインからの移行容易性
  • 臨床・検査用途の安定した品質保証

これらが評価されなければ、発表資料上で高性能な装置が、必ずしも継続的に利用されるプラットフォームになるとは限りません。

10. 総合評価:技術的自立から、持続的な競争優位へ

Qitanの10年間は、次のように要約できます。

創業の賭けは、「中国国内でナノポアシーケンシングの独自基盤を作れるか」という技術的な挑戦でした。

2016〜2019年は原理実証を進め、2020〜2021年には装置・消耗品の量産へ移行しました。

その後、2022〜2023年に精度と通量を引き上げ、2025年には高通量機とQ20精度を公表する段階まで到達しました。

人的には、ゲノミクス、材料・タンパク質工学、電子回路を専門とする3人の共同創業者を中心に、数百人規模の技術組織へ成長しました。

資本面では、初期のVC資金、民間の大規模成長投資、地域産業資本による継続的な支援を受けています。

この点で、Qitanは研究成果を事業化したディープテック企業の事例として、非常に興味深い存在です。

一方で、技術的自立、商業化、持続的な競争優位は、それぞれ異なる段階です。

原理実証と製品化を達成したことは確認できますが、ONTに対してどの程度の経済的優位性があるのか、高頻度利用顧客がどの程度定着しているのか、十分な収益性に到達しているのかは、引き続き検証が必要です。

10.1. 今後、さらに調べる価値が高い点

特に技術評価や事業提携の可能性を検討する場合には、以下の点を深掘りすることが有益です。

  • Qitanの独自ナノポアタンパク質とモータータンパク質に関する特許
  • O2のBasecalling性能を実証する論文・公開データ
  • ONTとの実コスト比較
  • 主要顧客による独立した利用報告
  • 最新の医療機器承認状況

現段階の結論としては、Qitanは中国におけるナノポア技術の研究開発から量産・商業化への移行を実現した有力企業である一方、グローバル市場における製品競争力と持続的な収益性については、公開情報だけではまだ評価しきれない企業と位置づけるのが適切です。

技術的な成功を、どのように商業的な成功へ結びつけていくのか。

この点が、今後のQitanを追ううえで最も注目すべきテーマだと考えられます。

参考文献

以下は、今回の調査で特に情報価値が高かった公開資料です。本文中の番号は対応する資料を示しています。

[1] 毎日経済新聞, “謝丹へのインタビュー,” 2022年. https://www.nbd.com.cn/articles/2485769.html

[2] 人民網, “基因测序新锐的逆行哲学,” 2022年. https://sc.people.com.cn/n2/2022/0510/c379471-35260503.html

[3] Forbes China, “齐碳科技完成超4亿元B轮融资,” 2021年. https://www.forbeschina.com/business/55721

[4] 策源資本(Orinno Capital), “齐碳科技C+轮融资に関する投資情報,” 2023年. https://www.orinnocapital.com/news/244.html

[5] 中国儀器儀表学会, “齐碳科技QPursue発表に関する記事,” 2023年. https://fxxh.cis.org.cn/news/4979.html

[6] 儀器信息網, “齐碳科技QPinnacle2とO2生化システムの発表,” 2025年. https://www.instrument.com.cn/news/20250925/840100.shtml

[7] 中関村発展集団, “齐碳科技の製品群と顧客基盤に関する報告,” 2025年. https://www.zgcgroup.com.cn/Home/NewsCenter/DomesticNews/art/2025/art_132c0e42c6fb4d7680e7629e896c5704.html

[8] innoHere, “齐碳科技融资历程,” 企業資金調達データベース. https://www.innohere.com/ir/100822/finance.html

※本記事は2026年11月3日を基準とする公開情報の調査に基づいています。