対象読者

  • 大規模バイオバンクや長期コホート研究の構築・運営に関心のある研究者、医療関係者、研究機関の担当者
  • ゲノム医療、精密医療、医療ビッグデータの研究開発や政策動向を把握したい方
  • UK BiobankとAll of Us Research Programの違いや、国家規模の研究基盤から得られる教訓を知りたい方

要約

  • All of Us Research Programは、2015年のPrecision Medicine Initiativeを起点に、米国NIHが推進する100万人以上を目標とした大規模な精密医療研究基盤です。
  • UK Biobankと異なり、研究参加者の多様性、参加者との協働、遺伝情報の本人への返却、クラウド上でのデータ利用を特に重視しています。
  • 2026年には88.8万人超が登録され、53.5万人超の全ゲノム配列を含む大規模データが研究利用可能になりました。
  • 一方、長期財源の縮小、参加者の代表性、電子カルテの欠損、継続的な追跡、プライバシー保護などが重要な課題です。
  • All of Usの歴史は、大規模研究基盤の構築だけでなく、その持続可能性と医療への価値還元を考えるうえで重要な示唆を与えています。

1. はじめに:All of Us Research Programとは

米国の「All of Us Research Program」(以下、All of Us)は、2015年にオバマ政権が打ち出したPrecision Medicine Initiative(PMI、精密医療イニシアチブ)を起点とし、2018年5月に全国規模の参加者募集を開始した、米国国立衛生研究所(National Institutes of Health:NIH)主導の長期的な研究基盤です。[1][2]

目標は、米国内の100万人以上からゲノム・医療・生活習慣・環境などの情報を継続的に収集し、個別化された予防・診断・治療の研究を加速することです。

英国のUK Biobankと共通する部分は多いものの、All of Usには、研究から取り残されてきた集団の積極的な参加、参加者との双方向の関係、ゲノム解析結果の本人への返却、クラウド上の研究環境によるデータ利用という特徴があります。

1.1 2026年時点の到達状況

2026年11月4日を調査基準日とした場合、NIHが公表した主な数値は以下のとおりです。

指標 数値 対象時点・備考
累計登録者数 88.8万人超 2026年のNIH公表値
研究利用可能な参加者データ 74.7万人超 2026年6月公開データ
全ゲノム配列データ 53.5万人超 2026年6月公開データ
研究コミュニティ 2.5万人超 NIH公表の利用研究者数

出典:NIHの2026年6月30日のデータリリースおよび資金調達に関する公表資料。[3][4]

これらの数値は、登録者数、研究利用可能なデータを持つ参加者数、ゲノム解析が行われた参加者数という異なる母集団を表しており、互いに同一ではありません。

現在のAll of Usは、大規模なデータ基盤の構築から、継続運営と研究成果の社会実装へと重点が移る転換期にあると捉えられます。

特に重要な論点は、次の5点です。

  1. 長期的な財源の確保: 初期の大型資金が終了するなかで、研究基盤の維持・拡張をどう継続するかという問題です。
  2. データの代表性: 参加者の多様性を高めながら、米国全人口を統計的に代表するわけではないという限界をどう扱うかという問題です。
  3. データの完全性と追跡: 電子カルテの欠損・施設間の分断、継続的なデータ取得をどう改善するかという問題です。
  4. 参加者への価値還元: 遺伝情報を返却し、実際の健康改善につなげる仕組みをどう確立するかという問題です。
  5. プライバシー・信頼関係: 高度に機微なゲノム情報の保護と、研究利用の拡大をどう両立させるかという問題です。

このうち資金問題は、NIH自身が2027年度の見通しとして、2023年度比で約80%の予算縮小を説明しており、すでに新規登録やデータ収集、小児コホートの拡充に影響していると公表しています。[4]

2. All of Usはなぜ構想されたのか

2.1 背景:ゲノム医療の発展と従来の研究コホートの限界

All of Usの起源を理解するには、2000年代に進んだヒトゲノム研究と、大規模疫学研究の発展を押さえる必要があります。

ヒトゲノム計画が2003年に完了し、その後、ゲノム解析技術の低価格化、電子カルテの普及、クラウドコンピューティングの発展によって、大規模な遺伝情報と健康情報を統合することが現実的になりました。

一方、従来のゲノム研究には、大きく2つの限界がありました。

  • 研究参加者が欧州系祖先を持つ集団に偏っていたため、得られた遺伝学的知見を他の集団に適用できるとは限らなかったことです。
  • 遺伝情報だけで疾病を十分に説明できず、生活習慣、社会経済的条件、環境曝露、医療歴などを統合する必要があったことです。

2015年にNIHの作業部会がまとめた計画は、こうした限界を克服するため、全米の多様な集団を対象とする大規模な長期コホートを提案しました。[1][6]

2.2 政策としての出発点:Precision Medicine Initiative(2015年)

2015年1月20日、当時のバラク・オバマ大統領が一般教書演説でPrecision Medicine Initiativeを発表しました。

この政策は、患者の遺伝的特徴や環境、生活習慣に応じた医療の実現を目指したものです。

当初は、がん領域のゲノム医療と、幅広い疾病を対象にした100万人規模の研究コホート構築が大きな柱でした。

当初の2016年度予算では、NIHの大規模コホート構築に1億3,000万ドル、米国国立がん研究所(National Cancer Institute:NCI)のがんゲノム研究に7,000万ドルが配分されました。

つまりAll of Usは、既存研究者が自然発生的に立ち上げたコホートではなく、連邦政府の政策的な優先課題として立ち上がった国家的研究インフラという特徴があります。[1][8]

2.3 初期構想に込められた考え方

初期設計では、参加者を単なる生体試料の提供者ではなく、研究のパートナーとして位置づけました。

これは、参加者に情報を提供してもらうだけでなく、研究運営への意見表明や、研究結果の共有、遺伝情報の本人への返却を可能にする考え方です。

また、特定の疾患に限定せず、幅広い疾病の研究に使えるデータ基盤を作る構想でした。

この点でAll of Usは、精密医療のための研究コホートであると同時に、研究参加の公平性と、研究データを社会的な共有資源として活用することを目指した制度設計でもあります。[1][6]

3. 構想から現在までの年表

All of Usの構想から2026年までの主な出来事を、時系列で整理します。

年 段階 主な出来事
2015年 政策構想・基本設計 1月にPrecision Medicine Initiativeを発表しました。9月にNIH作業部会が100万人規模コホートの基本計画を提言しました。
2016年 組織・研究ネットワークの整備 NIHが研究パートナーに資金を提供しました。参加者募集、バイオバンク、データ基盤の整備を開始しました。10月にAll of Usへ改称し、12月に21st Century Cures Actが成立しました。
2017年 試験運用 5月31日にベータ段階の参加者登録を開始しました。同意取得、試料採取、データ処理などの運用手順を検証しました。
2018年 全国展開 5月6日に全国で正式開始しました。ベータ段階ですでに約2.8万人のコア参加者を確保していました。
2019~2020年 研究データ基盤の公開 2019年に一般向けData Browserを公開しました。2020年に研究者向けResearcher Workbenchの試験運用を開始しました。
2021~2022年 大規模ゲノムデータの研究利用 全ゲノム解析・ジェノタイピングを推進しました。2022年には約9.8万人分のゲノムデータが研究利用可能となり、健康関連の遺伝子検査結果の返却も進展しました。
2023~2024年 ゲノム研究とコホートの拡張 約24.5万人分の全ゲノムデータを公開しました。小児参加の試験的な開始、デジタルヘルス情報の充実、Nature誌での主要成果発表がありました。
2025年 データの規模・種類を拡充 40万人規模のゲノムデータ利用が進み、研究者コミュニティが拡大しました。先住民データの研究利用に関する追加的な保護・審査の仕組みも整備しました。
2026年 大規模データ公開と運営体制の転換 6月に53.5万人超の全ゲノム配列を含む大型データリリースを実施しました。財源縮小への対応が重要課題になりました。10月末にCEOが退任し、暫定CEO体制へ移行しました。

出典:NIHの公式資料、2019年のNEJM論文、2024年のNature論文、2026年のNIH発表を統合しました。[1][2][3]

3.1 2026年の運営体制の変化

2026年9月16日、NIHはAll of UsのCEOであったJosh Denny博士が10月31日付で退任すると発表しました。

博士は2015年の基本計画策定にも関わった中心人物です。

後任の正式選定まで、Chief Operating OfficerのStephanie Devaney博士が暫定CEOを務めることになりました。

NIHは、参加者への約束や研究基盤の中核的な運営は継続すると説明しています。

したがって2026年後半は、財政面だけでなく、初期構想を支えた指導体制から次の段階へ移行する時期でもあります。[2]

4. All of Usの主要な特徴

4.1 多様性を研究設計の中心に置いている

All of Usを特徴づけるのは、参加人数の大きさだけではありません。

医学研究で参加が少なかった集団(Underrepresented in Biomedical Research:UBR)を積極的に組み入れるという方針が、初期構想から研究運営まで一貫しています。

対象には人種・民族的少数派に加えて、地方在住者、高齢者、障害のある人、社会経済的に不利な状況にある人などが含まれます。

2026年6月公開データでは、NIHの広いUBR定義に基づき、データに含まれる参加者の86%が歴史的に研究参加の少なかった集団に該当すると説明されています。

ただし、この86%は人種・民族的少数派のみの割合ではありません。[3]

4.2 複数種類のデータを同じ参加者について統合する

All of Usでは、以下のような情報を収集しています。[3][6]

データの種類 主な内容
ゲノム情報 全ゲノム配列、遺伝子型、構造変異
診療情報 診断、投薬、検査、電子カルテ
質問票 生活習慣、健康状態、社会的背景
身体計測・ウェアラブル 血圧、体格、活動量、睡眠など
生体試料・オミクス 血液、尿、唾液、プロテオームなど
環境・社会要因 居住環境、社会経済的条件、環境曝露

2026年6月の大型データリリースでは、プロテオームデータ約1万人分、RNAシーケンス約9,000人分、ロングリード全ゲノム配列1万4,500人超のデータが新たに含まれました。[3]

重要なのは、すべての参加者についてこれらの情報が完全に揃っているわけではないことです。

解析する疾病や研究目的に応じて、必要な情報が共通して揃う参加者を抽出する必要があります。

4.3 参加者を研究のパートナーとして扱う

All of Usには、次のような参加者との関係づくりの仕組みがあります。[1][6]

  • 電子的なインフォームド・コンセントによる参加手続き
  • 地域団体や医療機関を通じた継続的な関係構築
  • 研究運営・倫理・データ利用に参加者の意見を反映する制度
  • 参加者本人への遺伝的祖先、体質、健康関連の遺伝情報の返却
  • 追加的な研究参加の機会の提供

2026年9月のNIH発表では、健康に関係する個別の遺伝学的結果を27.7万人超に提供したことが報告されています。

このうち、5,620人超には医学的対応が可能な遺伝子に関する情報が、15.8万人超には薬剤応答に関する情報が提供されたとされています。

これは、研究用データを蓄積するだけでなく、参加者が直接的な情報価値を得られる仕組みを構築した例です。

ただし、検査結果の返却と、健康アウトカムの改善が証明されたことは区別する必要があります。

4.4 データそのものではなく、解析環境へのアクセスを提供する

All of Usでは、研究者が機微な個票データを自由にダウンロードして解析する方式ではなく、Researcher Workbenchという管理されたクラウド環境内で解析する仕組みを採用しています。[6]

研究データへのアクセスは、以下のように階層化されています。

アクセス区分 利用可能な内容
Public 一般公開された集計情報
Registered 承認研究者向けの低リスク化データ
Controlled ゲノムなどの機微性が高いデータ

統合データ基盤には、ゲノム、電子カルテ(EHR)、質問票、身体計測、ウェアラブルなどの情報が含まれます。

これらのデータを、アクセス権限に応じてResearcher Workbenchで利用します。

Researcher Workbenchでは、以下のような作業が可能です。

  • 研究対象コホートの抽出
  • 統計解析
  • ゲノム解析
  • 研究者間での共同作業

研究者は本人確認、研修、利用規約への同意などを経てアクセスします。所属機関による契約も必要です。

登録自体は無料ですが、クラウドの計算資源と保存容量には費用が発生します。

この点は国際共同研究や中小規模の研究機関にとって実務上の検討事項です。

5. UK Biobankとの比較

All of UsとUK Biobankは、ゲノム情報と長期的な健康情報を組み合わせる点では共通しています。

しかし、参加者の募集方式、研究の時間軸、参加者との関係に違いがあります。[1][6][7]

比較項目 All of Us UK Biobank
本格開始 2018年 2006~2010年に募集
参加者規模 100万人以上を目標、現在88万人超 約50万人
対象者 米国内の多様な住民。成人を中心に小児にも拡大 参加時40~69歳
参加者募集 現在も募集を継続 基本募集を2010年に終了
募集方法 医療機関、地域団体、オンライン等 英国各地のアセスメント施設
重点 多様性、精密医療、参加者との協働 長期追跡、多層データによる疾病研究
主な情報源 ゲノム、EHR、質問票、身体計測、ウェアラブル等 ゲノム、診療記録、画像、質問票、生体試料等
データ利用 管理されたクラウド解析環境 UK Biobank Research Analysis Platform等
参加者への還元 個別の遺伝学的結果の返却を積極的に実施 主として長期研究への貢献と研究情報の提供

5.1 両者の最も重要な違い

UK Biobankは、すでに成熟した長期追跡コホートです。

2010年に参加者の初期登録を終了しており、その後の15年以上に及ぶ健康状態の変化を分析できます。

特に、新たな疾病発症、死亡、画像所見の変化などを長期に追跡する研究で強みを発揮します。

一方、All of Usは、より新しい、拡張を続けるコホートです。

多様な集団から積極的にデータを収集し、EHRやゲノム情報、ウェアラブル情報を結合した研究を可能にしています。

募集開始からの追跡期間はUK Biobankより短い一方、EHRには加入以前の診療情報が含まれることがあります。

どちらも全人口からの無作為抽出サンプルではありません。

したがって、参加者が多数いることと、人口統計学的な代表性が保証されることは同じではありません。[5][7]

6. これまでに達成した成果

6.1 世界的に重要なゲノム研究基盤の形成

2024年2月、Nature誌に掲載された論文「Genomic data in the All of Us Research Program」は、245,388人分の全ゲノム配列の公開とその特徴を報告しました。[2]

これは、従来十分に研究されてこなかった祖先集団の遺伝的変異を大規模に分析できるようにした点で重要です。

2026年6月には、公開された全ゲノム配列が53.5万人超に拡大しました。[3]

研究利用可能な全ゲノム配列数の推移を整理すると、以下のようになります。

時点 研究利用可能な全ゲノム配列数
2022年 約9.8万人
2023~2024年 約24.5万人
2026年6月 53.5万人超

出典:NIHプログラムの公表情報、Natureの2024年論文、NIHの2026年6月発表。[2][3]

ここで示した人数は研究利用可能なゲノム数であり、累計登録者数とは異なります。

6.2 科学研究での活用

NIHによれば、2026年6月時点でAll of Usデータは1,400報以上の査読付き論文に利用されています。[3]

具体的な研究テーマには、以下のようなものがあります。

  • 遺伝的な心血管疾患リスクの予測
  • 前立腺がんリスクモデル
  • アルツハイマー病に関係する遺伝的変異や既存薬の研究

ただし、発表論文数は研究基盤の利用状況を示す指標であり、臨床上の有用性や医療費削減効果を直接示すものではありません。

6.3 多様性のあるデータを利用した研究

2024年のNature論文は、従来のゲノム研究と比較して、歴史的に研究への参加が少なかった集団が多く含まれることを重要な成果として位置づけています。[2]

また、2025年にはアメリカ先住民・アラスカ先住民を自認する3万人超のデータについて、部族との協議を経て、追加的な保護ルールとともに研究利用を可能にしました。

このように、規模の拡大だけでなく、データの利用方法を参加集団の権利や信頼に合わせて調整している点も特徴的です。

7. 現在の課題

7.1 課題1:財政基盤の大幅な縮小

All of Usは、NIHの通常の年度予算と、2016年の21st Century Cures Actに基づく特別な資金に支えられてきました。

ところが、後者の資金が2026年度で終了することにより、2027年度の通常予算は約1億2,200万ドル、2023年度の水準から約80%減少する見通しとNIHは説明しています。[4]

2026年度にはNIH内外の共同投資による約1億600万ドルの追加支援もありましたが、これによって従来の資金水準が完全に回復するわけではありません。

NIHは、この資金縮小に伴う具体的な影響として、参加者募集の縮小、データ収集の削減、小児コホート拡充の遅れを挙げています。

2023年度の予算水準を100%とした場合、2027年度の見通しは以下のようになります。

比較時点 相対的な予算規模
2023年度(基準) 100%
2027年度(NIHの見通し) 約20%
減少幅 約80%

これはNIHが公表した予算見通しの概数を示したものであり、実際の予算確定額ではありません。

評価:これは最も差し迫った運営課題です。

All of Usの価値は、単年度のゲノム解析ではなく、数十年にわたり健康状態の変化を記録することから生まれます。

したがって、長期財源を失うことは、データの量だけでなく、研究基盤そのものの価値に影響します。

7.2 課題2:研究参加者の代表性と選択バイアス

All of Usの高い多様性は大きな強みですが、参加者は無作為抽出された集団ではありません。

2024年にJournal of the American Medical Informatics Association(JAMIA)に掲載された研究では、All of UsのEHRを持つ約28.7万人と、UK Biobankの約50.2万人を比較しています。[5]

その結果、米国一般人口との比較が可能だった314疾患のうち254疾患(80.9%)がAll of Usで高い有病割合を示しました。

また、UK Biobankとの比較では、2,515の疾病・表現型のうち2,152(85.6%)がAll of Usで高い割合を示しました。

一方で、複数疾患について、両コホートで得られた関連分析には一定の共通性も認められました。

ここから得られる示唆は重要です。

All of Usに多様な人々が参加していることは、米国全人口の疾病有病率をそのまま推定できることを意味しません。

特定疾患の研究、ゲノム関連解析、集団間の比較などでは、募集方法、健康状態、医療へのアクセスによる偏りを考慮する必要があります。

7.3 課題3:EHRデータの欠損と施設間の分断

米国の医療制度は、多くの医療機関・保険者に分かれています。

1人が複数の施設を受診した場合、その医療記録が完全には統合されないことがあります。

その結果、以下の問題が生じます。

  • 診断情報や検査結果が欠落することがあります。
  • 患者の医療機関移動により追跡が不連続になることがあります。
  • 疾病が存在してもEHRに記録されていない場合があります。
  • 医療利用頻度の違いが解析結果に影響することがあります。

2026年6月の公開データで、ゲノム配列は53.5万人超、EHRは約48.2万人分というように、データ種別ごとに利用可能な人数が異なります。[3]

NIHは2026年に、参加者を通じたEHR提供や医療情報交換ネットワークを活用してEHRデータを拡充したと説明していますが、これはデータ連結の重要性を示すものでもあります。

7.4 課題4:参加者の長期維持と継続測定

All of Usは、参加時の1回限りの調査ではなく、長期間の追跡を前提としています。

しかし、参加者の高齢化、転居、研究への関心の変化、デジタル機器の利用状況などにより、継続的なデータ提供が難しくなる可能性があります。

加えて、ウェアラブルデータの提供は全参加者に一様ではありません。

2026年の研究データには、74.7万人超の質問票回答が含まれる一方、Fitbit記録が含まれるのは約6.8万人でした。[3]

研究上の課題は、単に参加者を離脱させないことだけではありません。

どの参加者から、どの時期に、どのような精度でデータが得られ続けるかという点が重要です。

7.5 課題5:個人情報保護とゲノムデータの倫理

全ゲノム配列は、一般的な健康情報以上に機微性が高いデータです。

All of Usは匿名化に相当する識別情報の除去、データアクセスの階層化、クラウド環境内での利用制御などを実施しています。

しかし、ゲノム・医療歴・社会的背景を組み合わせたデータには、再識別や集団への不利益というリスクが残ります。

とりわけ、人種・民族・地域・先住民コミュニティに関する研究では、研究の有用性だけでなく、集団としての利益と不利益を考慮する必要があります。

2025年に導入された先住民データの追加保護には、個人や部族の再識別の禁止、研究者研修、先住民代表を含む研究審査体制などが含まれます。[6]

7.6 課題6:研究成果を実際の医療に結びつけること

All of Usは膨大な研究データを提供し、遺伝子検査結果の返却も進めています。

しかし、以下の4つは、それぞれ異なる段階です。

  1. 研究上の関連を発見することです。
  2. 臨床的に有効な予測モデルを構築することです。
  3. 医療現場で利用することです。
  4. 患者の健康を実際に改善することです。

特に、遺伝情報に基づくリスクの説明、結果返却後の遺伝カウンセリング、医療機関への連携、予測モデルの外部検証などには費用と人材が必要です。

今後は、ゲノム解析数や論文数だけでなく、臨床的有用性、医療アクセス、健康格差への影響まで評価することが重要になります。

8. 今後の発展方向

NIHが公表している方針と、現在の研究基盤の状況を踏まえると、今後の重要な方向性は以下のように整理できます。[4][6]

領域 今後の方向性 主な制約
コホート 100万人目標の達成、長期追跡の充実 募集・維持費用
収集データ ゲノムからマルチオミクス、環境情報へ拡大 測定コストと欠損
研究 疾病リスク、予防、薬剤応答の解析 バイアスと外部検証
臨床応用 遺伝情報の返却、診療への活用 臨床的有用性・費用対効果
データ基盤 クラウド環境と共同研究の拡充 プライバシー・計算費用
組織運営 NIH内外の共同投資、研究パートナーシップ 長期財源の不確実性

NIHは今後の戦略として、100万人の登録に加え、少なくとも50万人から継続的にデータを取得すること、共同研究を拡大することなどを掲げています。

ただし、これらは目標と方向性であり、2027年度以降の財政環境を考えると、すべてが当初想定どおり実現するとは限りません。

9. 総合考察:All of Usから学べること

All of Usの約11年の歴史を振り返ると、3つの段階に整理できます。

9.1 第1段階:2015~2018年

国家的構想を実際の研究基盤へ転換する時期です。

政策的な目標設定、NIHによる資金配分、研究ネットワークの構築、社会的信頼の形成が中心でした。

Precision Medicine Initiativeという国家的な構想から出発し、2018年の全国規模での参加者募集へとつながりました。

9.2 第2段階:2019~2025年

参加者・データ・研究利用を拡大する時期です。

ゲノム解析、EHR統合、研究者向けクラウド基盤、参加者への結果返却などが実装され、研究基盤としての価値が高まりました。

この時期には、データの規模だけでなく、多様な集団の研究参加や、研究成果を本人に還元する仕組みも発展しました。

9.3 第3段階:2026年以降

長期的な持続可能性と医療への価値還元を問われる時期です。

財政基盤の再構築、追跡データの維持、研究成果の実装、参加者との信頼関係の継続が重要になります。

大規模なデータ基盤を構築することに成功した後、長期的に運営し、社会的な価値を生み出し続けるための仕組みが問われています。

9.4 UK Biobankとの比較から得られる教訓

UK Biobankとの比較から特に興味深いのは、コホートの価値が人数だけでは決まらないことです。

UK Biobankは長期間の追跡と豊富な測定データを蓄積してきました。

一方、All of Usは、多様な集団の参加、EHRとの統合、個別の遺伝情報の返却、参加者の研究運営への関与という方向を発展させています。

この2つのプログラムから得られる研究基盤設計上の示唆は、次の4点です。

  1. 初期構築費用と、長期運営費用を分けて考えることが重要です。

    大規模なデータ取得に成功しても、それを維持・更新できなければ長期的な価値は十分に生まれません。

  2. データの規模だけでなく、測定の質、欠損、追跡期間を重視することが重要です。

    特に疾患発症や予後を分析する場合、長期的なデータの一貫性が重要です。

  3. 参加者との関係を研究インフラの一部として設計することが重要です。

    同意取得、データ返却、研究参加の公平性、地域との信頼関係が不可欠です。

  4. 研究利用から医療実装までの経路を明確にすることが重要です。

    論文の蓄積に加えて、予防・診断・治療の改善を評価できる仕組みが必要です。

10. おわりに

All of Usは、「100万人のゲノムデータを集めるプロジェクト」というより、多様な国民の健康情報を長期に統合し、研究と個別化医療を結びつける国家的プラットフォームとして理解するのが適切です。

2026年現在、データ基盤として大きな成果を上げた一方、その長期的な運営モデルを再構築しなければならない段階に入っています。

特に、財政の持続可能性、参加者の代表性、EHRデータの完全性は、現在のAll of Usを理解するうえで重要な課題です。

これらはNIHの公表資料と査読付き研究で裏付けられている論点です。

一方、長期的な費用対効果や実際の健康アウトカムへの貢献については、現段階で確定的な評価を下すには慎重であるべきです。

All of Usの経験は、今後、新たに大規模バイオバンクや精密医療コホートを設計する場合にも重要な教訓になると考えられます。

大規模なデータを集めるだけでなく、研究参加者との信頼関係を築き、継続的に質の高いデータを収集し、その成果を医療と社会に還元することが、長期的な研究基盤の価値を決める重要な要素です。

参考文献

[1] The All of Us Research Program Investigators, “The ‘All of Us’ Research Program,” The New England Journal of Medicine, 381, 668–676, 2019. https://doi.org/10.1056/NEJMsr1809937

[2] All of Us Research Program, “Genomic data in the All of Us Research Program,” Nature, 2024. https://www.nature.com/articles/s41586-023-06957-x

[3] National Institutes of Health, “NIH's All of Us Research Program now largest integrated genomics-health database in the world,” NIH News Release, 2026. https://www.nih.gov/news-events/news-releases/nihs-all-us-research-program-now-largest-integrated-genomics-health-database-world

[4] National Institutes of Health, “Funding and Research Partnerships,” NIH. https://www.nih.gov/allofus/funding

[5] Journal of the American Medical Informatics Association, “All of UsとUK Biobankの比較研究,” 2024. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/38263490/

[6] National Institutes of Health, “All of Us Research Program Protocol,” NIH. https://www.nih.gov/allofus/about/protocol

[7] UK Biobank, “Our history,” UK Biobank. https://www.ukbiobank.ac.uk/about-us/our-history/

[8] 国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED), 「All of Us」, AMED. https://www.amed.go.jp/aboutus/collaboration/ga4gh_dp001.html