対象読者

  • バイオバンクや大規模な医療・健康データ基盤の構築、運営、利活用に関心のある研究者・実務者
  • UK BiobankやChina Kadoorie Biobankなど、世界の大規模コホート研究の特徴や発展の歴史を知りたい方
  • ゲノム・オミクス研究、国際共同研究、医療データの共有制度や長期的な研究基盤の運営に関心のある方

要約

  • China Kadoorie Biobank(CKB)は、中国の約51.3万人を20年以上にわたり追跡する、世界最大級の住民ベースの前向きコホート研究です。 UK Biobankと同規模であり、生活習慣、環境、遺伝的要因と慢性疾患の関係を明らかにすることを目的としています。
  • CKBの構想はUK Biobankよりも古く、1980年代からの英国と中国の疫学研究協力を背景に、1990年代に生まれました。 2001年に香港の慈善財団による初期資金が確保され、2004年から大規模な参加者募集が始まりました。
  • CKBの価値は参加者数だけではありません。 中国国内の地域差、東アジア集団の遺伝的特徴、長期の疾病追跡、公的医療情報との連結、保存血液を活用した研究など、UK Biobankとは異なる科学的価値があります。
  • 現在は、全コホート規模の全ゲノムシーケンスやプロテオミクスなど、分子レベルの研究基盤へと発展しています。 一方で、研究資金の継続確保、生活習慣情報の経時変化、データ品質、遺伝情報の国際共有などが課題となっています。
  • CKBの約20年間の歴史は、大規模な医療データ基盤を長期的に育てるための重要な事例です。 初期のデータ・試料収集への投資と、その後の追跡調査・分析技術・データ共有制度の進化が、研究基盤の価値を高め続けています。

1. China Kadoorie Biobankとは何か

China Kadoorie Biobank(CKB、中国慢性病前瞻性研究)は、中国の約51.3万人を20年以上にわたり追跡する、世界最大級の住民ベースの前向きコホート研究です。

UK Biobankと同規模の研究プロジェクトであり、生活習慣、環境、遺伝的要因と慢性疾患の関係を明らかにすることを目的としています。

CKBの歴史を調べると、単に「中国版UK Biobank」と捉えるだけでは不十分であることがわかります。

まず、CKBの構想はUK Biobankよりも古いという特徴があります。

1980年代からの英国と中国の疫学研究協力を背景に、1990年代に構想され、2001年に香港の慈善財団による資金支援が決まりました。

また、CKBは最初から英国と中国の共同プロジェクトとして設計されました。

オックスフォード大学が初期資金調達や研究・ITシステムの設計を主導し、中国側が大規模な調査実施体制を構築しました。

さらに、CKBでは参加者の募集完了が研究の終点ではありません。

2004~2008年の参加者募集後も、疾病・死亡情報の継続的な追跡、再調査、保存血液のゲノム・プロテオーム解析が進められています。

中国国内の地域差、食生活、環境曝露、疾病構造、東アジア集団の遺伝的特徴を研究できることも重要な特徴です。これにより、欧州系集団を中心とした研究を補完できます。

一方、現在の大きな課題の一つは、データの国際利用です。

中国のヒト遺伝資源管理規制、国境を越えるデータ移転、研究資金の継続確保が、CKBの科学的価値を世界的に活用するうえで重要な問題となっています。

特に興味深いのは、CKBがUK Biobankを参考にして作られたという一方向の関係ではないことです。

CKBの研究方法やITシステムは、後にUK Biobankの設計にも影響を与えました。

2025年のBMJ論文でも、この関係が明示されています。[1][2]

CKBの基本情報

項目 内容
正式名称 China Kadoorie Biobank(CKB)
中国語名称 中国慢性病前瞻性研究
研究形態 住民ベースの前向きコホート研究
参加者数 512,891人
参加者募集期間 2004~2008年
募集時の年齢 30~79歳
研究地域 中国の10地域(都市部5地域、農村部5地域)
追跡期間 約20年以上
主な研究対象 慢性疾患、生活習慣、環境曝露、遺伝的要因、疾病発症・死亡
主な研究機関 オックスフォード大学、中国側研究機関
初期資金提供 Kadoorie Charitable Foundation

これらの基本情報は、CKBの公式資料、北京大学の研究紹介、および関連する学術資料で確認できます。[1][3]

2. CKBはどのように構想され、設立されたのか

2.1 1980年代:英国と中国の疫学研究協力が出発点

CKBの起源は、バイオバンクという仕組みが一般化する以前にさかのぼります。

中心人物は、オックスフォード大学の疫学研究者Richard Peto教授と、中国出身で後に同大学の教授となったZhengming Chen(陳錚鳴)氏です。

Peto教授は1980年代初頭から中国を訪れ、中国の研究者と共同して疾病や死亡原因の疫学研究を進めていました。

1987年にはChen氏がオックスフォード大学に留学し、約1万人の中国人労働者のコホート研究などに携わりました。

その後、研究は大規模臨床試験や、中国人約100万人の死亡原因調査へと拡大しました。

この経験から、研究者たちは次のような構想を持つようになりました。

個別の疾患を調べる研究を繰り返すのではなく、大規模な一般住民集団から健康情報と生体試料を集め、長期間追跡し、将来生まれるさまざまな研究課題に利用できる基盤を構築することです。

当時としては先進的な発想でした。

従来の疫学研究が特定の仮説や疾患を中心としていたのに対し、CKBは特定疾患に限定しない、長期間利用可能な研究インフラを目指したのです。[1]

2.2 1990年代:研究の必要性は認識されたが、資金が集まらなかった

構想を実現するには、数十万人分の調査費用、血液採取・保存施設、ITシステム、長期的な追跡体制が必要でした。

しかし1990年代には、Chen氏とPeto教授がさまざまな資金提供機関に提案しても、十分な支援を得られませんでした。

主な障壁は、特定の研究成果が事前に約束されていない、大規模かつ長期の研究基盤に対して、通常の研究助成制度では資金を出しにくかったことです。

また、既存の大規模疫学研究は欧州系の人々に偏っていました。

中国では生活習慣、疾病構造、遺伝的背景が異なり、急速な経済発展に伴う疾病リスクの変化も生じていました。

そのため、中国固有の健康問題の解明だけでなく、欧州で得られた医学的知見がほかの集団にも適用できるかを検証する研究にも、大きな価値がありました。[1][2]

2.3 2001~2002年:香港の慈善財団が構想を実現に導く

転機となったのは2001年です。

Chen氏とPeto教授は、国際的なたばこ対策活動家であるJudith Mackay医師の紹介を通じ、香港のKadoorie Charitable Foundation(嘉道理慈善基金)に支援を求めました。

同財団は、研究プロジェクトに財団名を付けることを条件に、立ち上げのための一時的な資金提供に同意しました。

これがChina Kadoorie Biobankという名称の由来です。

中国側では2002年に当時の衛生部が研究プロジェクトを承認しました。

当初の名称は*Kadoorie Study of Chronic Disease in China(KSCDC)*で、その後China Kadoorie Biobank(CKB)へ改称されています。

つまり、1990年代の構想形成、2001年の資金確保、2002年の中国当局による承認、2004年の参加者募集開始という順序で実現したことになります。[1][3]

2.4 2004~2008年:大規模な参加者募集とデータ基盤の整備

初期の国際協力では、役割分担が明確でした。

担当 主な役割
オックスフォード大学 初期資金の調達、研究設計、調査手順、ITシステム、品質管理
中国側研究機関・行政組織 調査地域との調整、参加者募集、現地人員の確保、調査・採血、追跡体制
英中共同チーム パイロット研究、調査方法の改良、科学的な方向性と品質管理
Kadoorie Charitable Foundation 初期立ち上げ資金の提供

オックスフォード側は、60以上の専用ITシステムを開発したと報告しています。

電子質問票に論理チェックや入力エラー検出を組み込むことで、大規模調査を原則ペーパーレスで実施しました。

調査対象地域は、疾病構造、環境曝露、住民の移動の少なさ、医療保険の普及、疾病登録制度の品質、現地の協力体制などを考慮して選ばれました。

2004年6月から2008年8月にかけて、512,891人の参加者を登録しました。[1][3]

3. 設立から現在までの発展過程

CKBは参加者募集によって完成したプロジェクトではなく、長期追跡と分析技術の進展によって、研究基盤としての価値を拡大してきました。

3.1 1980年代~1990年代:国際共同研究と構想形成

英国と中国の疫学研究協力が発展し、疾患横断的に利用できる巨大な前向きコホートが構想されました。

この時期には、従来の疾患別研究とは異なる、長期間利用できる研究インフラの重要性が認識されました。

3.2 2001~2002年:資金確保と正式承認

Kadoorie Charitable Foundationが初期資金の提供に合意しました。

2002年には中国の衛生部がプロジェクトを承認し、本格的な準備が進みました。

3.3 2004~2008年:ベースライン調査

中国の10地域で約51.3万人を募集しました。

質問票、身体測定、採血、長期試料保存の仕組みを構築し、大規模な研究基盤が成立しました。

3.4 2008~2014年:追跡基盤の充実

約5%の参加者を対象に、第1回再調査(2008年)と第2回再調査(2013~2014年)を実施しました。

公的医療記録との連携も拡充され、疾病発症や死亡を長期的に追跡する体制が整備されました。

3.5 2012~2018年:生体試料の解析・データ利用拡大

2012年ごろから遺伝子解析などが開始されました。

2016年には外部研究者向けデータアクセスシステムを立ち上げました。

また、中国の国家的な大規模コホート整備でも、モデル事業として位置付けられるようになりました。

3.6 2020~2023年:再調査・ゲノム研究の高度化

2020~2021年に第3回再調査が実施されました。

2023年には10万人超のゲノム解析成果を発表し、GWAS(ゲノムワイド関連解析)結果を検索できるPheWebも公開しました。

3.7 2024~2025年:20周年と全コホート解析への展開

2024年にCKBは設立20周年を迎えました。

全参加者規模の全ゲノムシーケンス計画が進展し、プロテオミクス研究やクラウド解析環境の整備が進みました。

3.8 2026年時点:国際的な研究基盤として継続

2026年時点でも、長期追跡、蓄積試料の分子解析、外部研究利用が続いています。

一方、非遺伝データとゲノムデータでは外部提供の範囲や方法が異なり、クラウド型解析プラットフォームへの移行が重要なテーマとなっています。

この発展過程は、北京大学の研究紹介、CKB公式のデータ・遺伝資源関連情報、2025年のBMJ論文などから確認できます。[2][3][4][5]

4. CKBの研究設計と独自の特徴

4.1 中国国内の地域差を研究できる

CKBは、中国全土を無作為抽出した全国代表標本ではありません。

研究上の目的に合わせて選定した10地域の住民を追跡しています。

この設計は、国全体の平均値を推定することよりも、地域間で大きく異なる生活習慣、疾病リスク、環境条件を比較することに重点を置いています。

たとえば、研究対象となる違いには次のようなものがあります。

  • 食生活
  • 喫煙
  • 飲酒
  • 家庭内の調理・暖房用燃料
  • 大気汚染
  • 身体活動
  • 社会経済的状況

中国では都市部と農村部、北部と南部などで曝露パターンが大きく異なります。

そのため、そうした違いが疾患リスクとどう関係するかを調べられることが、CKBの強みです。[1][3]

4.2 生活習慣と生体試料と疾病発症を結び付けられる

CKBでは、ベースライン時に多面的な情報を収集しています。

データ分類 代表的な内容
人口・社会経済 年齢、性別、教育、職業、婚姻状況
生活習慣 食事、喫煙、飲酒、茶の摂取、身体活動、睡眠
環境曝露 調理・暖房燃料、家庭内空気汚染、地域環境
身体測定 身長、体重、血圧、肺機能など
健康歴 既往歴、家族歴、服薬、女性の生殖関連情報
生体試料 血液由来のDNA、血漿
長期アウトカム 死亡原因、疾病発症、入院歴など

研究者は、最初の調査で収集した生活習慣や検査データを、その後の疾患発症情報と結び付けて解析できます。

これにより、たとえば「ある生活習慣の人で脳卒中がどの程度発生したか」や「特定の遺伝的要因が生活習慣と疾病の関係をどのように変えるか」といった研究が可能になります。[1][3]

4.3 長期追跡には公的データベースを活用

CKBでは、参加者個人の識別番号を用いて、公的な疾病・死亡登録制度および医療保険システムに研究データを連結しています。

基本的な仕組みは、次のようになっています。

  1. 2004~2008年のベースライン調査で、生活習慣、身体測定、血液試料などを収集します。
  2. 公的医療情報との連結によって、疾病登録、死亡登録、医療保険・入院記録などを追跡します。
  3. 一部の参加者には再調査を行い、生活習慣の変化、再測定、追加の生体情報を取得します。
  4. 長期追跡データとゲノム・オミクスデータを統合し、疾病リスク、予後、遺伝要因などを研究します。

この仕組みの利点は、51万人全員に毎年大規模な対面調査をする必要がないことです。

継続的な追跡に公的システムを活用することで、長期研究に必要なコストを抑えながら、疾患発生情報を蓄積できます。

一方、その価値は公的データベースの品質や、継続的な連携の可否にも依存します。[2][3]

4.4 生体試料は将来の解析技術を想定して保存された

CKBは参加者から約10mLの血液を採取し、血漿およびDNAを含む血液成分を長期保存しました。

血液由来の試料は、北京とオックスフォードに分けて保管されています。

ただし、DNAを含む試料の国外移転には中国の規制があり、DNA関連試料は中国国内で管理する設計となっています。

この設計の意味は、初期の技術で実施できる解析だけを目的とせず、将来、新たな分析技術が利用可能になることを前提として試料を保存したという点にあります。

実際に、募集から約20年後、保存試料を活用した大規模ゲノム解析やタンパク質解析が、研究の重要な柱になっています。[5]

5. 最新の研究動向と成果

CKBは現在、単なる疫学コホートから、遺伝学・分子生物学・創薬研究にも利用される研究基盤へと発展しています。

5.1 全ゲノム解析への展開

ゲノム研究の進展は、CKBの発展を理解するうえで重要です。

時期 進展
2012~2013年 約10万人を対象に選択された遺伝子多型を解析
その後 約10万人を対象にカスタムSNPアレイを用いたゲノムワイド解析
2021年 1万人の全ゲノムシーケンス(WGS)パイロットを完了
2023年 10万人超の遺伝情報の解析成果を発表。疾患に関連する新しい遺伝的関連も報告
2024~2025年 約51万人全体のWGSへと拡大
2025~2026年 大規模なゲノムデータを安全に解析するクラウド基盤の整備と国際利用の拡大を推進

2025年1月時点のCKB公式資料では、全コホートのWGS完了目標は2025年第1四半期とされていました。

2025年8月には、シンガポールの国家的精密医療研究プログラムPRECISEが、全ゲノムシーケンスは完了したと報じています。

したがって、全コホート規模のWGSは2025年に完了したとの公表がある一方、そのデータ全件が外部研究者に利用可能になったことを意味するわけではありません。

品質管理、解析環境、アクセス権限の整備は別の段階です。

2023年に発表された約10万人のゲノム解析研究では、CKB参加者の遺伝的特徴や地域間の遺伝集団構造なども分析されています。[6]

5.2 プロテオミクス研究の拡大

CKBの保存血液は、タンパク質や代謝物を網羅的に測定する研究にも使われています。

2025年に発表された研究では、約4,000人の血漿試料に対して、OlinkとSomaScanという異なる測定技術を用いた比較が行われました。

主な内容は次のとおりです。

  • Olink:2,923種類のタンパク質関連測定
  • SomaScan:約6,400種類のタンパク質に対応する測定
  • 研究対象:約3,976人(虚血性心疾患症例を含む)

この研究は、測定技術による結果の違いや、分子マーカーと疾病の関連を理解するための基盤となります。

さらに、2025年9月にはCKBとMetabolonの代謝研究に関する協力が発表され、2026年7月にも心疾患の新しい治療標的につながり得るタンパク質研究が公表されています。

こうした研究は、CKBが疫学的関連の発見に加えて、疾病の生物学的機序や治療標的を検討する段階へ進んでいることを示しています。[7]

5.3 代表的な研究成果

CKBの研究成果には、次のようなものがあります。

脳卒中の病型別リスク研究

中国では欧米より出血性脳卒中の割合が高いという特徴があります。

CKBでは病型を詳細に分類し、虚血性脳卒中と脳内出血のリスク要因の違いを研究しています。

飲酒と循環器疾患の因果関係

東アジア人に特徴的なアルコール代謝関連遺伝子の変異を利用し、「適量飲酒は脳卒中を予防する」という観察研究上の見かけの関連に対して、遺伝的手法から反証を示しました。

創薬標的の探索

ゲノム情報、タンパク質測定、長期的な疾病発症データを組み合わせ、心血管疾患などの新しい治療標的候補を探索しています。

研究成果の蓄積という点では、2025年のPRECISEによる紹介記事は、CKBを利用した学術論文が600報を超えたと報告しています。

このようにCKBは、疫学研究だけでなく、遺伝学、分子生物学、創薬研究へと活用範囲を広げています。[6][7]

6. UK Biobankとの比較

CKBとUK Biobankは、いずれも約50万人規模の大規模な前向きコホート研究です。

しかし、研究の背景、対象集団、運営環境、データ利用制度には違いがあります。

比較項目 China Kadoorie Biobank UK Biobank
構想・開始 1990年代に構想、2004年に募集開始 2000年代前半に構想、2006年に募集開始
初期募集 2004~2008年 2006~2010年
規模 約51.3万人 約50.3万人
募集時の年齢 30~79歳 40~69歳
主な対象 中国の10地域の一般住民 英国の複数地域の一般住民
特徴的な研究価値 中国の地域差、東アジアの遺伝的背景、環境・生活習慣 深い表現型データ、画像研究、広範な国際研究利用
長期追跡 医療保険、疾病・死亡登録との連携 NHSなどの医療・死亡情報との連携
ゲノム研究 2025年に全コホートWGS完了との報告 約50万人のWGSを研究利用
画像研究 一部再調査等で画像・臨床測定を実施 約10万人規模の全身画像研究
データ利用 申請制。ゲノム個票データには中国の規制による制約 国際的な研究利用制度とRAPを整備
運営モデル 英中の研究機関による国際共同研究 英国を拠点とする独立した研究資源

両者のデータ利用制度は現在も更新されており、申請受付状況は個別確認が必要です。[2][4][6]

6.1 CKBとUK Biobankは相互補完的な研究基盤

この比較から、両者は競合するだけでなく、相互補完する研究基盤と考えられます。

たとえば、UK Biobankで見つかった遺伝的関連が中国人集団でも成立するか、あるいはCKBで見られる生活習慣と疾病の関係が英国人集団にも当てはまるかを検証できます。

同時に、異なる遺伝的背景を持つ集団を用いた解析によって、疾病の共通の生物学的機序と集団固有の要因を区別することも期待できます。

そのため、CKBの価値は、UK Biobankと同じ規模の参加者を持っていることだけではありません。

英国と中国という異なる集団を比較できること自体が、医学研究における重要な価値となっています。[2][6]

7. CKBが現在直面している課題

ここでは、CKBの研究チーム自身が公表資料で言及している問題と、研究設計から考えられる方法論上の制約を区別して整理します。

7.1 課題①:遺伝情報の国際的な利用制限

国際共同研究における重要な課題は、中国国内のヒト遺伝資源管理制度と、国際研究協力の間に生じる制約です。

中国では2019年7月からヒト遺伝資源の管理規制が施行され、遺伝資源の採取、保管、国際共同研究、データ利用などが規制されています。

CKBでは、非遺伝データの個票レベルでの外部研究利用は実施されてきましたが、遺伝データについては同じように国外研究者へ提供することが難しい状況が続いています。

2025年10月のBMJ論文では、CKBは英国など国外の研究者にも非遺伝データを共有しているものの、中国の政策上の制約によって遺伝データの国際提供は限定されてきたと説明されています。

この問題への対応として、CKBはクラウド型のResearch Analysis Platform(RAP)を構築しています。

データを国外へ持ち出す代わりに、許可された研究者が安全な計算環境内で解析する方式です。

ただし、公開資料では2026年時点でも試験運用・段階的展開と説明されており、すべてのデータがUK Biobankと同程度に利用可能になっているとは確認できません。[2][4]

7.2 課題②:長期的な研究資金の確保

CKBは、香港の慈善財団による立ち上げ資金を出発点として、その後は複数の資金提供元を確保してきました。

主な支援元には、英国のWellcome、MRC、中国の国家自然科学基金、科学技術部、さらに企業・研究機関との共同研究があります。

長期研究には、参加者追跡、データ管理、試料保存、再調査に加えて、WGSやプロテオミクスなど新技術への投資も必要になります。

CKBの初期設計で重要だった「将来使うために情報と試料を保存する」という考え方は、20年後の研究価値を生みました。

しかし、その価値を実際の成果に変えるためには、継続的な資金が必要です。

さらに、国際共同研究に関わる法規制や地政学的環境の変化によって、利用可能な資金提供制度や国際的な資金調達の方法にも制約が生じています。[1][2]

7.3 課題③:ベースライン調査から20年以上経過したことによる情報の陳腐化

2004~2008年に測定された生活習慣や健康状態は、2026年の参加者の状況と必ずしも一致しません。

この間に中国では、都市化、食生活の変化、喫煙・飲酒行動の変化、医療アクセスの改善などが進んでいます。

CKBは約5%を対象とする再調査を2008年、2013~2014年、2020~2021年に実施しています。

しかし、全参加者について同じ頻度で詳細な生活習慣を測り直しているわけではありません。

そのため、研究上は次の点が問題となります。

  • 過去に測定された曝露と、その後の曝露の変化をどう区別するか
  • 測定誤差や長期的な生活習慣の変化によって、リスク推定がどの程度弱まるか
  • 20年前の生活環境で得られた知見が、現在の若年・中年世代にどこまで適用できるか

これらはCKB固有の欠陥ではなく、長期の前向きコホート研究で共通する課題です。[3]

7.4 課題④:中国全体を代表する標本ではない

CKBでは、代表性だけでなく、疾病登録の品質、長期間追跡できる可能性、地域の協力体制を重視して調査地域を選んでいます。

このため、研究対象者は中国全体からの確率標本ではありません。

疾患リスク要因の関連を調べるうえでは、幅広い曝露や疾病発生率の違いを捉えられる利点があります。

しかし、CKBから得られた数字をそのまま中国全体の有病率や疾病発生率として扱うことはできません。

全国人口の疾病負担を推計する場合には、外部の代表性のあるデータを用いた補正や検証が必要です。[1][3]

7.5 課題⑤:医療データの品質と地域間の標準化

公的医療データとの連結はCKBの大きな強みですが、医療記録が存在することと、研究上必要な情報が正確に得られることは別です。

病院での診断方法や医療アクセス、入院するかどうかの判断は、地域や時代によって異なります。

2025年のBMJ論文でも、コホート間の疾病診断の品質や標準の違い、社会経済的指標の互換性が重要な課題として挙げられています。

一方、CKBでは脳卒中症例の詳細な病型判定など、疾患ごとの品質改善にも取り組んでいます。

したがって、データ品質の問題を一律に「低い」と捉えるのではなく、疾患・測定項目ごとに確認する必要があります。[2]

7.6 課題⑥:バイオバンク試料の有限性と分析費用

CKBでは、採血時に保存した生体試料の量に限りがあります。

多数の研究者がそれぞれ個別に試料の提供を要求すると、試料が消費され、将来の研究に利用できる量が減ってしまいます。

このためCKBは、少数の研究テーマだけに利用するより、広範囲の研究に再利用できる大規模・高効率な測定を優先する考え方を示しています。

大規模なオミクス測定を一度実施し、生成されたデータを多数の研究者で共有することによって、希少な試料を保存しながら科学的価値を最大化する方針です。[5]

7.7 課題⑦:国際共同研究をめぐる制度・地政学上の摩擦

2025年のBMJ論文では、中国の研究者と英国の研究者が、国際共同研究の障壁としていくつかの問題を指摘しています。

中国側では遺伝資源やデータの国境を越えた移転に関する規制があり、欧米側でも一部の中国研究機関との共同研究に制限が設けられるケースがあります。

こうした制約により、研究者がどのような手続きで協力できるのか不明確になったり、研究資金・データ共有・共同分析に追加の負担が生じたりします。

CKBのように、英中両国の研究者が研究設計からデータ解析まで共同で担ってきたプロジェクトは、特に国際協力環境の影響を受けやすい構造にあります。[2]

7.8 現在の課題の整理

CKBの現在の課題をまとめると、次のようになります。

課題 現状 今後の重要な対応
遺伝データの国際共有 規制による制約が大きい 安全なリモート解析基盤
長期資金 複数の資金提供元に依存 多様な資金と共同研究
生活習慣情報の経時変化 再調査は一部の参加者 反復測定・統計的補正
全国代表性 地域を意図的に選定 代表性のある外部データで検証
医療情報の標準化 地域・疾患によって差 診断妥当性検証とデータ品質管理
生体試料の保存 残量が有限 大規模・多項目測定とデータ再利用
国際研究環境 規制・資金・制度の不確実性 透明なガバナンスと国際協力制度

このうち、データ共有、資金、国際研究環境は運営上の制約であり、代表性や経時変化は科学的な解釈・分析方法の課題です。

両者を区別して評価することが重要です。

8. データ共有・外部研究者による利用の実態

CKBがUK Biobankと異なる点として、外部研究者がどのデータを、どのような手続きで利用できるかも重要です。

8.1 現在のデータ利用状況

CKBの公式サイトには、外部研究者によるデータ利用の対象が示されています。

データ 公式サイトに記載された利用状況
ベースラインの質問票・身体測定 外部研究者への提供対象
第1回・第2回再調査 外部研究者への提供対象
死亡・疾病発症データ 2019年1月1日までの追跡分が提供対象
2019~2024年の疾病追跡データ 中国国内で収集・処理済み。今後の公開予定
一部の血液バイオマーカー 外部研究者への提供対象
GWAS集計統計量 PheWebで公開
ゲノム個票・WGSデータ RAPを通じた利用環境を段階的に整備中

この表は、CKB公式のData Overviewの確認時点での記載に基づいています。

2019~2024年分のデータがまだ提供対象に含まれていないことは、追跡調査自体が停止していることを意味しません。[4]

8.2 利用申請と料金

CKBのデータ利用には、研究計画の申請と承認が必要です。

CKBの公開FAQでは、中国本土・香港以外の研究者に対するアクセス料金を、承認された申請1件につき2,500ポンドとしています。

申請内容の審査やデータ利用契約の締結にも一定の期間が必要です。

また、非遺伝データとゲノムデータでは提供方法が異なり、ゲノムデータの利用には中国の規制への対応が必要になります。[4][5]

8.3 データ利用の公式窓口

外部研究者による利用については、次の公式ページで確認できます。

9. CKBの歴史から得られる重要な示唆

CKBを大規模な医療データ基盤の構築事例として評価すると、特に次の4点が重要だと考えられます。

9.1 初期構築資金と長期的な維持資金は分けて設計できる

CKBは、初めから全期間の研究費を確保したのではありません。

慈善財団からの初期投資によって研究基盤を確立し、その後に公的資金、研究助成、企業との共同研究を組み合わせて発展しました。

これは、大規模な研究基盤を構築する際に、初期投資と運営資金を異なる仕組みで確保できることを示しています。

ただし、これは継続的な資金確保が不要であるという意味ではありません。

長期的に価値を生み出すためには、追跡調査、データ管理、試料保存、新技術の導入などに必要な資金を確保し続ける必要があります。[1][2]

9.2 初期段階のデータ・試料収集の設計が、20年後の研究価値を左右する

CKBでは、まだ全ゲノムシーケンスや現在のプロテオミクス技術が一般的ではなかった時期に、大規模な血液保存と疾病追跡を開始しました。

これにより、新技術を過去に採取した試料へ適用できています。

現在の研究技術で可能な分析だけを想定するのではなく、将来の技術進歩を見据えた試料保存やデータ管理の仕組みを構築したことが、長期的な研究価値につながっています。[5][6]

9.3 研究価値は参加者数だけで決まらない

約51万人の登録も重要ですが、CKBの価値は参加者数だけでは説明できません。

むしろ、次のような要素の組み合わせが重要です。

  • 公的医療データとの連結
  • 診断情報の品質
  • 20年以上の追跡
  • 保存試料
  • 異なる地域・遺伝的背景を含むこと

これらの要素によって、生活習慣、環境、遺伝要因、疾病発症を長期的かつ多面的に研究できるようになっています。

単に多数の参加者を集めるだけでなく、長期間にわたって研究可能な品質を維持することが重要です。

9.4 データを持つことと、世界中の研究者が利用できることは別の課題

CKBは貴重なデータを蓄積することに成功しています。

一方、国外研究者によるゲノム個票データの利用には、制度的な制約があります。

今後、研究資源としての価値をさらに高めるためには、データの品質とともに、安全性、法令遵守、研究者の利用しやすさを両立する仕組みが重要になるでしょう。

その一つの取り組みが、CKBで整備されているクラウド型のResearch Analysis Platform(RAP)です。[2][4]

10. 総合評価:CKBの約20年間が示していること

CKBの約20年間は、大きく4つの段階に整理できます。

10.1 構想期:1990年代~2002年

疾患横断型の長期研究基盤を構想し、慈善財団の資金と国際共同研究体制を確保しました。

1980年代から積み重ねられた英国と中国の疫学研究協力が、構想の土台となりました。

10.2 構築期:2004~2008年

大規模な参加者募集、調査・試料保存システム、公的医療データとの追跡基盤を構築しました。

約51.3万人という規模だけでなく、将来の研究に利用できる生体試料とデータを整備したことが重要でした。

10.3 成長期:2009~2023年

長期追跡、再調査、ゲノム研究、外部研究者による利用を拡大しました。

研究成果の蓄積によって、CKBは世界的に重要な疫学研究基盤の一つとなりました。

10.4 高度化期:2024年~現在

全コホート規模のWGS、マルチオミクス、創薬研究、安全なリモートデータ利用へと発展しています。

同時に、国際的なデータ共有、規制への対応、研究資金の確保、データの品質管理といった課題に直面しています。

10.5 大規模医療データ基盤の未来に向けて

CKBは、初期の大規模なデータ・試料収集という投資が、長期追跡と新しい分析技術によって何十年にもわたり価値を生み続けることを示す事例です。

今後の成功を考えるうえでの重要な論点は、さらに多くのデータを収集することだけではありません。

すでに蓄積されたデータを、法令・倫理・安全性を満たしながら、どれだけ多くの質の高い研究に利用可能にできるかにあると考えられます。

CKBの歴史は、大規模な医療データ基盤を新たに構築する際にも、既存の基盤を高度化する際にも、参考になるものです。

参考文献

[1] University of Oxford, “What can half a million Chinese teach us about global health?,” Nuffield Department of Population Health, Oxford University, 2013.
https://www.ndph.ox.ac.uk/longer-reads/crossing-continents-2013-the-china-kadoorie-biobank

[2] “International collaboration in cohort studies in China: opportunities and challenges,” BMJ, vol. 391, 2025年10月23日. DOI: 10.1136/bmj-2024-083354.
https://www.bmj.com/content/391/bmj-2024-083354

[3] 北京大学, “中国慢性病前瞻性研究・项目简介,” China Kadoorie Biobank 公式資料.
https://ckbiobank.pku.edu.cn/xmgk/xmjj.htm

[4] China Kadoorie Biobank, “Data Access,” “Data Overview,” 公式データ利用情報.
https://www.ckbiobank.org/data-access
https://www.ckbiobank.org/data-access/data-overview

[5] China Kadoorie Biobank, “CKB Data Access and Sample Preservation Policy,” 公式ポリシー資料.
https://www.ckbiobank.org/data-access/ckb-data-access-and-sample-preservation-policy

[6] “Genotyping and population characteristics of the China Kadoorie Biobank,” Cell Genomics, 2023. DOI: 10.1016/j.xgen.2023.100361.
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10435379/

[7] China Kadoorie Biobank, “CKB News,” 公式ニュース・研究成果情報, 2025–2026.
https://www.ckbiobank.org/news-1


調査基準日:2026年11月4日

情報の確認状況に関する注記:

2026年11月時点の研究活動は公式ニュースで確認できましたが、全コホートWGSデータの品質管理の最終状況、RAPの一般提供開始日、最新の疾病追跡データの外部公開日については、明確な最新確定情報が確認できませんでした。

そのため、この記事では計画、完了報告、外部公開を区別して記載しています。

また、CKBのデータ利用制度、公開データの範囲、申請料金などは変更される可能性があります。実際の研究利用を検討する際には、最新のCKB公式情報を確認する必要があります。