対象読者

  • バイオバンクや大規模コホート研究、ゲノム医療、医療データの利活用に関心がある研究者・医療関係者
  • 国家規模の研究インフラの構想、資金調達、運営体制、ガバナンスについて検討している政策担当者・事業開発担当者
  • UK Biobankと海外のバイオバンクの違いや、日本への応用可能性について知りたい方

要約

  • Danish National Biobank(DNB)は、2012年に正式開設された、デンマークの国家的なバイオバンク研究基盤です。
  • UK Biobankと異なり、既存の医療検体や研究試料を活用し、全国の医療・行政データと連結する仕組みを特徴としています。
  • 公的機関と民間財団の共同投資によって整備され、中央保管施設、全国試料レジストリ、研究支援センターを組み合わせて運営されています。
  • 2025年7月公表の全国レジストリ登録規模は約2,740万検体、590万人であり、2026年には中央施設の保管試料が1,200万件を超えています。
  • 現在は、長期的な運営財源、研究利用の審査、分散管理された試料の連携、個人情報保護などが重要な論点となっています。

1. Danish National Biobankとは何か

デンマークのDanish National Biobank(DNB:デンマーク国立バイオバンク)は、2012年3月21日に正式開設された、世界有数の国家的バイオバンク研究基盤です。

その最大の特徴は、UK Biobankのように新たに大規模な研究参加者を募集することを中心とせず、医療制度の中で日常的に蓄積されてきた生体試料を研究資源として活用し、全国の患者・住民情報と連結する仕組みを構築したことにあります。[1][2][3]

DNBの基本的な発想は、「国民の生体試料を国家的なアーカイブとして保存し、研究に活用する」というものです。

既存の医療・研究試料を散逸させず、将来の疾病研究、予防、感染症対策に利用できる国家的インフラとして構想されました。

DNBの規模

2025年7月公表の全国試料レジストリの規模は、以下のとおりです。[4]

指標 規模
正式開設 2012年3月21日
全国レジストリ登録試料数 約2,740万件
全国レジストリ登録対象者数 約590万人

ここで注意したいのは、全国試料レジストリに登録されている試料数と、DNBの中央施設に実際に保管されている試料数は異なるという点です。

DNBは、単一の巨大な保管施設であると同時に、国内の複数の機関が保有する試料を横断的に検索・活用するための研究インフラでもあります。

DNBの5つの特徴

DNBの特徴は、次の5点に整理できます。

  1. 既存試料の研究資源化
    医療現場で採取され、長年保存されてきた生体試料を研究に活用します。

  2. 公的機関と民間財団による共同整備
    国立血清研究所(Statens Serum Institut:SSI)を中心に、Novo Nordisk Foundationなどの資金によって整備されました。

  3. 試料・情報・研究支援の統合
    中央保管施設、全国横断の試料検索レジストリ、研究利用の調整センターを組み合わせています。

  4. 全国規模の医療データ連結
    住民登録、病院診療、病理、疾患などの公的レジストリとの個人単位の連結が可能です。

  5. 長期運営を前提としたガバナンス
    研究利用の審査、試料の管理権限、個人情報保護、運営費用の分担を制度的に管理しています。

特に注目すべき点は、2026年7月1日から、試料の取り出し・受け入れ・保管について利用者負担が導入されたことです。[5]

これは、構築された研究インフラを長期的に維持するための費用負担モデルを考えるうえで、重要な動きといえます。

2. なぜDanish National Biobankが構想されたのか

2.1 設立以前から存在した2つの国家的資産

DNBの誕生には、デンマークの医療・行政制度が長年蓄積してきた2つの資産が重要な役割を果たしました。

第一の資産:国民単位で連結できる行政・医療レジストリ

デンマークでは、個人識別番号(CPR番号)を利用して、住民基本情報、病院受診、診断、治療、病理検査などの情報を長期的に追跡できます。

研究者にとっては、ある時点で採取された血液から測定したバイオマーカーと、その人が数年後に発症した疾患とを関連づけられる点に大きな価値があります。[4]

例えば、ある疾患を発症する10年前に採取された血液が保存されていれば、その試料を分析することで、発症前にどのような生物学的変化が生じていたのかを研究できる可能性があります。

このような研究を可能にするためには、生体試料の保存だけでなく、長期間にわたって個人の医療情報を追跡できる仕組みが必要です。

第二の資産:既に医療現場に蓄積されていた大量の生体試料

DNBの設立前から、デンマークには多様な検体コレクションが存在していました。

主なものとして、以下が挙げられます。

  • 1982年以降の新生児スクリーニングで採取された乾燥ろ紙血
  • 病院やSSIによる日常診療・感染症検査の残余検体
  • 1996年に収集が始まったDanish National Birth Cohort(DNBC)の母体血・臍帯血など
  • がん研究やその他の疫学研究のために収集された試料

これらの試料は、それぞれ異なる目的で採取され、複数の施設に分散して保管されていました。

DNBの構想は、これらの既存試料を物理的・情報的に整理し、研究者が利用できる国家的な研究基盤へ転換するというものでした。[1][3]

2.2 「生物学的な国家公文書館」という発想

SSIの公式説明では、DNB構想の出発点をデンマーク語で「biologisk rigsarkiv」と表現しています。

直訳すると「生物学的な国家アーカイブ」です。[1]

この考え方には、次の3つの目的が含まれています。

  • 将来の医学研究のために生体試料を長期的に保存すること
  • 感染症を含む疾病の予防・原因究明・治療開発に役立てること
  • 医療制度に存在する試料を、国内外の研究者が利用できる研究インフラへ発展させること

これは、特定の疾患を研究するために新たなコホートを構築するというよりも、国家が既に保有する生体試料と情報を、将来の多様な研究に利用できる公共的資産として管理するという発想です。

DNBの成り立ちを理解するうえでは、この点が極めて重要です。

3. 構想から現在までの発展経緯

DNBの発展は、大きく6つの時期に分けて整理できます。

3.1 2008年以前:分散した検体と行政データの蓄積

1982年からの新生児ろ紙血の保存や、1996年に収集が始まったDanish National Birth Cohortなど、後にDNBで利用される研究資源が蓄積されていました。

同時に、全国の住民・医療レジストリも整備されていました。

この時期には、個々の制度や研究プロジェクトが、それぞれの目的で生体試料と情報を蓄積していたことが特徴です。

3.2 2009〜2010年:構想の具体化と初期資金の確保

2009〜2010年頃、DNBの設立構想が本格的に具体化されました。

主要な資金提供者となったNovo Nordisk Foundationは、10年間で1億1,800万デンマーク・クローネ(DKK)の助成を行いました。

デンマークの科学研究担当省、Lundbeck Foundationも支援し、SSIを中心とする全国研究インフラの整備が始まりました。[2]

ここで重要なのは、最初から政府が単独で巨大なバイオバンクを設立したのではなく、公的研究機関と民間財団が役割を分担して構築したことです。

3.3 2011〜2012年:施設建設と正式開設

コペンハーゲンのSSI敷地内に、高度な自動保管・検体処理設備が整備されました。

そして2012年3月21日、DNBが正式に開設されました。[1][2]

これによって、大量の生体試料を長期間保存するとともに、研究者が試料を検索・利用できる国家的な研究基盤が形成されました。

3.4 2016年:全国的な試料検索基盤として成長

2016年には、全国の登録試料を約2,200万件規模で検索できる体制へと成長しました。

同時期の報告では、中央施設の保管試料は約800万件、新規試料の受け入れは年間約100万件とされています。[3]

DNBは、単なる試料保管施設を超え、全国の研究資源を活用するための基盤へと発展しました。

3.5 2024〜2025年:大規模研究インフラの継続運営

全国試料レジストリは、2025年7月公表時点で約2,740万件、590万人分に拡大しました。[4]

また、2025年には試料提供に関するガバナンスの枠組みが更新されました。

これにより、大規模な保管・検索基盤を長期的に運営しながら、試料利用に関する管理責任と審査手続きを明確化する方向が示されました。

3.6 2026年:利用者負担とアクセス手続きの明確化

2026年の公開情報では、DNB中央施設の保管試料は1,200万件超とされています。[6]

また、2026年7月1日から、試料の取り出し・受け入れ・保管に利用者負担が導入されました。[5]

同年8月には、研究利用に必要な6段階の手続きが公式サイトに掲載されています。[7]

このように、DNBは設立から約14年を経て、大規模研究インフラの拡張と、長期運営に必要な制度整備を並行して進めています。

3.7 設立資金と主要な関係機関

DNBの設立・運営には、以下の組織が関与しています。

組織 主な役割
Statens Serum Institut(SSI) 研究インフラの設置、運営、試料管理
Novo Nordisk Foundation 主要な初期資金提供者
デンマーク科学研究担当省 公的資金・政策的支援
Lundbeck Foundation 民間財団による支援
大学・病院・研究機関 試料保有、連携、研究利用

Novo Nordisk Foundationによる2009〜2010年の助成は、10年間の設立・運営支援でした。

したがって、その後の恒久的な運営財源まで同じ助成によって保証されていたわけではありません。

この点は、DNBが現在直面する運営費用の問題を考えるうえでも重要です。

4. DNBの組織構造と特徴

DNBは、単なる巨大な冷凍保存施設ではありません。

その研究インフラは、主に次の3つの機能から構成されています。[1][4]

  1. 全国試料レジストリ
  2. 中央保管施設
  3. 調整センター

これらの機能が、デンマークの全国医療・行政レジストリと組み合わされることで、疫学研究、バイオマーカー研究、遺伝学研究、感染症研究、疾病予防研究などに活用されています。

4.1 中央保管施設:自動化された巨大バイオバンク

SSI敷地内の専用施設には、ロボットによる試料の格納・検索・取り出し、試料処理、検査を行う設備が整備されています。

公式サイトで紹介されている主な設備の特徴は、以下のとおりです。[1][8]

  • 建物面積は3,225㎡
  • 高さ19mの低温保管設備(−20℃)を設置
  • ロボットによる大量の試料格納・取り出し
  • 検体処理、DNA抽出、バイオマーカー分析などの機能も備える

DNB施設は、大量の試料を保存するだけでなく、取り出し時の品質管理やトレーサビリティを維持することを重視しています。

長期間保存された試料を研究に利用する際には、いつ採取され、どのような条件で処理・保存され、どのように取り出されたのかという情報が重要になります。

自動化された保管・処理システムは、こうした管理を大規模に実現するための重要な要素です。

4.2 全国試料レジストリ:物理的に集中させずに全国の試料を検索する

これはDNBの特に重要な設計思想です。

国内のあらゆる生体試料をSSIの建物に移すわけではありません。

各大学・病院・研究機関が保有したままの検体についても、その情報を全国レジストリに登録することで、研究者が横断的に検索できるようにしています。[4]

例えば、研究者は以下のような試料を探索できます。

  • がんと診断される前に採取された血液試料
  • 特定の疾患を持つ人のDNA試料
  • 母子コホートの妊娠期の血液試料
  • 長期追跡可能な対象者の保存検体

研究者は試料の存在を確認したうえで、研究利用に必要な申請や承認に進みます。

つまり、DNBは試料を中央に集めることだけでなく、全国に分散した試料の存在を可視化し、研究者が利用できるようにすることを重視しています。

4.3 調整センター:研究支援と試料提供の一体化

DNBのCoordinating Centre(調整センター)は、研究者の問い合わせに対応します。

主な役割は、以下のとおりです。

  • 研究目的に適した試料の探索
  • 試料の種類・数量・必要量の検討
  • 研究利用の申請支援
  • 関連組織との調整
  • 試料の取り出し・提供に関する支援

さらに、SSIの疫学研究者や統計家との連携を通じて、データ解析や研究設計に関する専門知識も活用しています。[6][7]

したがってDNBは、「試料を探す仕組み」「実際に取り出す仕組み」「研究者を支援する仕組み」を同時に提供しているといえます。

4.4 全国の医療・行政レジストリとの連結

DNBが保有・登録する生体試料は、デンマークの全国医療・行政レジストリと連結することで、さらに大きな研究価値を持ちます。

関連する情報には、以下のようなものがあります。

  • 住民情報
  • 病院受診歴
  • 診断情報
  • 病理情報
  • 疾患情報
  • 長期的な健康状態

個人単位でこれらの情報を連結することにより、試料の採取時点と、その後の疾病発症や健康状態を関連づける研究が可能になります。

ただし、試料や個人情報が研究者に自由に移転されるわけではありません。

研究目的や管理権限に応じた承認が必要です。

5. 現在の規模と研究資源

5.1 中央施設と全国レジストリの規模

2026年公開情報では、DNBの規模は以下のように整理できます。[4][6]

指標 規模 対象
中央施設保管試料 1,200万件超 DNB内で保管
全国レジストリ登録試料 約2,740万件 DNBと国内連携バイオバンク
全国レジストリ登録者 約590万人 登録試料に関連する個人
新規試料受け入れ 年間100万件超 DNBの公式説明による規模

中央施設と全国レジストリの数値を混同しないことが重要です。

また、試料の件数と人数は同じではありません。1人の対象者について複数の試料が存在する場合があります。

5.2 DNB施設内の主要試料構成

2026年8月4日に更新されたDNB公式試料一覧では、以下のような試料種別と保管規模が紹介されています。[8]

試料の種類 試料数
血清 約330万検体
乾燥ろ紙血 約250万検体
血漿 約140万検体
全血 約83万検体
DNA 約70万検体
バフィーコート 約35万検体
尿 約32万検体
唾液 約9万検体

これらは中央施設における種類別の公表値であり、全国レジストリに登録されているすべての試料の内訳ではありません。

5.3 新生児スクリーニング試料の価値

DNBの試料資源のうち、特に価値が高いものの一つが、新生児スクリーニング試料です。

デンマークでは、1982年以降の出生児の乾燥ろ紙血が保存されています。

そのため、出生時に得られた生物学的情報と、数十年後の疾病発症を関連づける研究が可能になります。

このような試料は、成人後に新たな採血を行っても取得できません。

出生時の状態を示す生体試料が長期間保存されていること自体に、重要な研究価値があります。

5.4 Danish National Birth Cohortとの連携

DNBの重要な研究資源には、Danish National Birth Cohort(DNBC)も含まれます。

DNBCでは、1996〜2002年に妊娠中の母体血や出産時の臍帯血などが収集されました。

これらの試料を長期追跡情報と組み合わせることで、以下のような研究が可能になります。

  • 妊娠期の環境曝露と子どもの健康状態の関連
  • 遺伝的要因と出生後の疾患の関連
  • 妊娠期の生物学的指標と長期的な健康状態の関連

新生児スクリーニング試料と母子コホートの試料は、DNBが持つ長期的な研究価値を象徴する資源といえます。

6. DNBの研究利用制度とガバナンス

DNBの運営を理解するうえでは、誰が試料を所有・管理し、どのような条件で研究者がアクセスできるかが重要です。

6.1 研究利用は原則として個別審査制

2026年8月に更新されたDNBの公式手続きでは、研究利用に必要なプロセスが6段階に整理されています。[7]

第1段階:研究計画・事前相談

研究者はDNBの調整センターに問い合わせ、必要な試料の有無や利用可能性を確認します。

第2段階:研究倫理審査

デンマークのResearch Ethics Committeeによる審査・承認を受けます。

第3段階:所属機関での個人情報処理承認

研究機関側で、個人情報の処理活動に関する記録や承認を確認します。

第4段階:DNBへの申請

研究計画、試料の種類、数量、必要な試料量、承認文書などを提出します。

第5段階:DNB科学委員会による審査

DNBの科学委員会が申請内容を審査します。

書類が完成してから、原則として1か月以内に回答することが示されています。

必要な個人情報保護上の手続きも実施されます。

第6段階:試料の取り出し・提供

利用条件、処理方法、費用、配送などを調整したうえで、試料が提供されます。

6.2 外国の研究者や企業による利用

DNBでは、外国の研究者や企業にも試料を利用する道が設けられています。

ただし、現在のDNBの説明では、デンマークの研究機関がデータ管理者となる共同研究体制が必要です。[7]

また、研究倫理審査とは別に、DNB科学委員会による審査が設けられています。

科学委員会には、以下の関係者が参加しています。

  • SSIの代表者
  • 医学研究分野の代表者
  • デンマークの地域行政の代表者
  • 患者団体の代表者

研究者だけでなく、医療制度と患者の視点を組み込んだガバナンスであることが特徴です。

6.3 すべての試料が同じ条件で利用できるわけではない

DNBでは、試料の管理権限によって利用条件が異なります。[8]

区分 管理上の特徴 研究利用
SSIがデータ管理者となる試料 日常検査、スクリーニング、SSIが管理する研究試料など 必要な承認後、SSI・DNB側で提供を判断
外部機関のために保管している試料 SSIは保管・処理を受託する立場 元の管理主体の許可や研究目的の制限に従う

この区別は、実務上極めて重要です。

全国レジストリで検索可能な試料だからといって、すべての試料を同じ窓口から自由に取得できるわけではありません。

DNBは全国的な検索・調整基盤であると同時に、各試料の元々の利用目的と管理権限を維持する連携型インフラなのです。

6.4 本人の研究利用拒否と同意

デンマークには、Vævsanvendelsesregisteret(生体組織の利用に関する登録制度)があります。[9]

市民は、診療に伴って採取された自身の生体試料について、研究利用を拒否する意思を登録できます。

バイオバンク側には、その情報を確認する義務があります。

また、研究倫理委員会は個別の研究について、対象者への説明や同意取得が必要かどうかを判断します。

したがって、過去に採取された検体の二次利用について、常に新たな個別同意を得る制度でも、同意なしで無制限に利用できる制度でもありません。

研究利用の許可と本人の権利を、制度的に調整する仕組みが設けられています。

7. Danish National Biobankが現在直面する課題

DNBの運営上の課題を考える際には、公式資料で確認できる事実と、そこから考えられる中長期的な課題を分けて理解する必要があります。

DNBの年間赤字、利用申請の却下率、保管容量の逼迫度などについては、公開資料だけでは定量的に検証できません。

したがって、財政危機や研究停滞が実際に発生していると断定するものではありません。

7.1 課題① 長期保管と運営財源の持続可能性

DNBの初期整備には、巨額の民間財団助成が用いられました。

しかし、保管試料が毎年増えるインフラでは、最初の建設資金だけでは不十分です。

長期的には、以下のような費用が継続的に発生します。

  • 冷凍設備の運転
  • 電力
  • 機器更新
  • ロボットの保守
  • 品質管理
  • 情報システムの更新
  • 専門人材の確保

2026年7月1日、DNBは試料の取り出し、受け入れ、保管への利用者負担を導入しました。[5][7]

これは、研究インフラに必要な費用の一部を利用者にも負担してもらう仕組みへの変更です。

今後の論点は、利用料をどこまで徴収するか、基礎研究の利用機会を損なわずに設備更新費を確保できるか、公共財としての基盤維持費を誰が負担するかという点です。

ただし、料金導入が財政難の直接的結果であるとする根拠は確認できていません。

7.2 課題② データ・試料アクセスに必要な多段階審査

DNB自身が、アクセス申請は長く感じられる可能性があると公式サイトに記載しています。[7]

実際には、研究倫理審査、研究機関での個人情報処理承認、DNB審査、試料提供のための最終調整などが必要です。

科学委員会による回答目標は、書類が整ってから約1か月です。

しかし、これは倫理審査から試料受領までの全期間が1か月という意味ではありません。

特に新生児スクリーニング検体については、DNBが処理期間の長さに注意を促しています。

今後の論点として、次の点が挙げられます。

  • 研究者の申請負担の軽減
  • 審査書類の標準化
  • 国際共同研究の円滑化
  • 審査速度と個人情報保護の両立

大規模な研究インフラでは、試料を保管する能力だけでなく、研究者が実際に利用できるまでの時間も重要になります。

7.3 課題③ 全国の試料保管主体が分散していること

DNBの全国レジストリは非常に大規模ですが、登録試料の全量をDNBが直接管理しているわけではありません。

病院、大学、研究機関などが試料を所有・管理するため、同一の研究目的であっても、次の条件が異なる場合があります。

  • 保管場所
  • 試料品質
  • 試料の提供条件
  • 必要な許可
  • 利用可能な試料量

全国の試料を横断的に利用するためには、試料情報の標準化や品質指標の共通化、各機関のデータ更新頻度の調整などが重要になります。

また、試料を検索できることと、実際にその試料を取得できることの間には違いがあります。

これは連携型バイオバンクに構造的に伴う課題であり、DNBの運営失敗を示すものではありません。[4][8]

7.4 課題④ 研究価値と市民のプライバシー・信頼の両立

出生時の検体を数十年間保管し、後年の疾患情報と連結できることは、DNBにとって重要な研究上の強みです。

一方で、遺伝子解析技術の発展によって、過去に採取した検体から得られる情報は増えています。

採取当時には想定されていなかった研究が可能になるため、研究利用の範囲、本人の意思、将来の利用目的に関する透明性が重要になります。

実際、デンマーク保健当局は2015〜2016年に、生体試料の研究利用に関する倫理・法律上の問題を検討する作業部会を設けています。

また、DNBの市民向け説明では、研究に使われた自分の試料がどのプロジェクトに提供されたかについて、個別に情報開示を受ける権利には制限があることも明記されています。

今後の論点は、次のとおりです。

  • 市民が研究利用をどの程度把握できるべきか
  • 研究利用の拒否権をどのように周知するか
  • 遺伝情報利用の透明性をどのように高めるか

DNBのような国家規模の研究インフラにおいては、研究上の価値を高めることと、市民の信頼を維持することを両立させる必要があります。

7.5 課題⑤ 希少試料の枯渇と保存品質の管理

生体試料の一部は、研究に利用するたびに消費されます。

特に貴重な過去の検体は、追加採取できないこともあります。

デンマーク保健データ庁は、希少な試料の利用申請について、代替可能な試料ではなくその検体が必要な理由、分析技術の精度、研究チームの能力などの説明を要求しています。

これは、バイオバンクが単なる試料の提供サービスではなく、将来世代の研究のために有限資源を配分する機関でもあることを意味します。

また、長期間保存された異なる年代・採取条件の試料を比較する場合、分析前の試料品質や前処理履歴によるばらつきにも注意が必要です。

7.6 現在の課題の整理

課題 公開資料で確認できる事実 調査上の評価
財源 2026年7月から利用者負担を導入 持続的な費用分担が重要な論点
審査の複雑さ 複数の承認が必要 研究開始までの手続き負担
分散管理 DNB自身が管理しない試料もある 横断利用の調整コスト
倫理・プライバシー 研究利用拒否制度、倫理審査、開示制限 信頼と利用価値の両立が必要
試料の有限性 希少検体には追加審査上の説明が必要 公平な配分と長期品質管理

これらの課題は、DNB固有の問題であると同時に、国家規模のバイオバンクを長期運営する際に共通して生じうる問題でもあります。

8. UK Biobankとの比較

DNBとUK Biobankは、大規模な生体試料・医療情報を研究に利用するという目的を共有しています。

しかし、研究資源をどのように獲得し、研究者に届けるかという基本設計が異なります。[1][4][10]

8.1 基本的な設計思想の違い

比較項目 Danish National Biobank UK Biobank
設立 2012年開設 2003年設立
基本的な発想 既存の医療検体・研究試料を国家的に活用 研究目的で大規模な前向きコホートを形成
対象者 全国の医療・研究試料提供者 約50万人の研究参加者
試料収集 日常診療・スクリーニング・既存研究中心 標準化された研究参加時の採血・測定中心
データの強み 全国住民・医療レジストリとの連結 詳細なベースライン測定、ゲノム、画像、追跡情報
研究基盤の構成 中央保管+全国分散試料検索+調整センター 統一コホート+高度なデータ解析環境
資金モデル 政府・財団による整備、利用者負担 政府・公益財団等による支援、研究利用料
研究利用 試料ごとの管理権限、倫理・科学審査を重視 適格研究者への研究データアクセスを中心に設計

8.2 UK Biobank:研究参加者を起点にしたモデル

UK Biobankは、研究のために大規模な参加者集団を形成し、標準化された測定を行うモデルです。

研究参加時に収集された情報と、その後の追跡情報を組み合わせることで、参加者ごとの多層的なデータを蓄積しています。[10]

主な特徴は、次のとおりです。

  • あらかじめ定義された研究参加者集団
  • 標準化された研究参加時の測定
  • ゲノム情報や画像情報
  • 継続的な健康状態の追跡

このモデルでは、研究参加者に対して、統一的な方法で収集した詳細なデータを蓄積できることが強みです。

8.3 Danish National Biobank:既存の医療資産を起点にしたモデル

一方、DNBは、医療現場や研究機関に既に存在する試料と、長年蓄積された行政・医療レジストリを組み合わせるモデルです。

新たな参加者募集への依存を抑え、医療制度の中で継続的に生じる試料を研究資源化できることが特徴です。

そのため、研究のために新たに測定した情報だけでなく、診療や公衆衛生の活動を通じて蓄積された情報を利用できます。

8.4 両者は競合するモデルではなく、補完的なモデル

DNBは、UK Biobankの小規模版ではありません。

両者の違いは、次のように整理できます。

  • UK Biobank:標準化された研究参加者集団をつくるモデル
  • Danish National Biobank:医療制度全体に蓄積された試料を研究インフラ化するモデル

それぞれ異なる長所があります。

例えば、UK Biobank型の精密な測定データと、DNB型の長期的・全国的な医療レジストリ連結は、それぞれ異なる研究価値をもたらします。

両者は、研究目的に応じて補完的に考えることができます。

9. 日本への示唆

DNBの事例は、日本で全国規模のバイオバンクや医療データ研究基盤を構想する際にも参考になります。

特に重要なのは、次の4点だと考えます。

9.1 新規コホートだけではなく、既存の試料・情報資産を再編する

大規模な研究参加者募集を一から行う以外にも、全国規模のバイオバンクを構築する方法があります。

既存の病院、研究機関、健診、スクリーニングなどの試料資産を横断検索可能にする方法です。

DNBは、既存の医療資産を研究インフラとして活用するモデルを示しています。

この方法では、新たなコホートの構築とは異なり、医療制度の中に既に存在している試料と情報を整理・連携させることが重要になります。

9.2 巨大な中央保管施設よりも、全国の所在情報の統合が価値を生む

DNBの全国登録試料数は、中央施設の保管試料数を大きく上回っています。

このことは、分散保管と一元検索を組み合わせるモデルの有効性を示しています。

すべての試料を1か所に集めることが、必ずしも国家的バイオバンクを構築するための唯一の方法ではありません。

ただし、全国の試料を連携させるには、次のような要素が不可欠です。

  • 共通の試料属性
  • 品質情報の標準化
  • 利用権限の明確化
  • 保管主体間の調整
  • 研究者が検索・申請できる仕組み

試料の物理的な集約以上に、情報と運営制度の統合が重要になります。

9.3 バイオバンクと行政・医療データの連結制度を一体的に設計する

DNBの研究価値は、生体試料の数だけで説明できません。

長期間追跡できる個人単位の医療情報との連結が重要です。

例えば、出生時の試料と数十年後の疾病発症情報を結びつけることで、通常の横断研究では得られない知見を生み出せる可能性があります。

日本で同様のモデルを採用するには、以下を別途検討する必要があります。

  • 個人を長期的に追跡するための識別子
  • 試料と医療データを連結する仕組み
  • 同意・法的根拠
  • データ管理者間の連携
  • 個人情報保護と研究利用の両立

バイオバンク施設だけを整備しても、医療情報との連結が十分でなければ、その研究価値を最大限に引き出すことは難しくなります。

9.4 設立時点から、10年後・20年後の運営財源を考える

DNBは、民間財団による長期初期助成を活用して設立されました。

一方で、2026年には新たな利用者負担を導入しています。

この経緯から、バイオバンクの運営財源は、設立時点から長期的な視点で考える必要があることが分かります。

特に、次の費用を分けて検討することが重要です。

  • 設立費
  • 継続的な保管費
  • 設備更新費
  • 情報システムの維持・更新費
  • 研究利用の支援費

そのうえで、国費、研究費、利用料などの適切な費用分担を設計する必要があります。

巨大なバイオバンクの価値は、設立した時点ではなく、長期間にわたって研究者が利用できる状態を維持することで実現します。

10. 総合評価:DNBの歴史から何を学べるか

Danish National Biobankの歴史は、4つの段階に整理できます。

第1段階:既存資産の蓄積

1980年代からの新生児スクリーニング試料、1990年代からのコホート研究、国民を広くカバーする行政・医療レジストリなどが整備されました。

これらの資産は、DNBが正式に設立される以前から存在していました。

第2段階:研究インフラへの統合

2009〜2012年にかけて、公的機関と民間財団の共同投資により、中央保管施設・全国検索レジストリ・調整センターが形成されました。

この段階で、分散していた医療・研究資産を国家的な研究インフラとして活用する基盤が整えられました。

第3段階:全国研究インフラとしての拡張

2010年代から2020年代にかけて登録試料・保管試料が増加し、全国の研究機関を横断する検索・研究支援基盤へと発展しました。

試料の長期保存と、個人単位の医療データ連結が重要な研究価値を形成しています。

第4段階:長期運営とガバナンスの成熟

現在は、既存試料の二次利用に伴う管理権限、倫理、アクセス手続き、維持費の分担などを制度的に管理する段階にあります。

2026年の利用者負担導入は、その長期運営を考えるうえで注目すべき動きです。

バイオバンクの本質は、試料数だけでは決まらない

DNBの事例から得られる最も重要な教訓は、国家的なバイオバンクの競争力は、集めた検体の総数だけでは決まらないということです。

保管された検体を長期間にわたり識別・連結・保全し、適切な審査のもとで研究利用できる仕組みが重要です。

UK Biobankは、標準化された研究参加者集団を形成することによって、大規模な医学研究基盤を実現しました。

一方、DNBは、既に存在する医療資産と全国の情報システムを連結することによって、異なる形の国家的研究基盤を実現しました。

この違いは、今後のバイオバンク構想を検討するうえで重要な視点になります。

ただし、制度変更の背景や長期的な財政状況を厳密に評価するには、公開サイトの説明に加えて、次の情報を確認する追加調査が必要です。

  • DNBの運営予算
  • 年間の試料利用実績
  • 研究利用申請の審査所要期間
  • 利用者負担導入前後の影響
  • DNBの研究成果への貢献

これらを把握することで、DNBを単なる施設・制度の比較対象としてではなく、国家的なバイオバンクの持続可能な事業・運営モデルとして、より具体的に評価できるようになります。

参考文献

[1] Statens Serum Institut(SSI), “Om DNB,” Danish National Biobank. https://www.nationalbiobank.dk/om-dnb

[2] Science Cluster Denmark, “The Danish National Biobank,” Partner Profile. https://sciencecluster.dk/partner/the-danish-national-biobank/

[3] Statens Serum Institut(SSI), “EPI-NEWS, No. 47 — 2016,” 2016. https://en.ssi.dk/news/epi-news/2016/no-47---2016

[4] Danish National Biobank, “Danish Biobank Register,” 2025年7月公表情報. https://www.danishnationalbiobank.com/danish-biobank-register

[5] Danish National Biobank, “Access to Research Samples,” 2026年7月の利用者負担導入に関する情報. https://www.danishnationalbiobank.com/research-info/access-to-research-samples

[6] Danish National Biobank, “Research Info,” 2026年公開情報. https://www.danishnationalbiobank.com/research-info

[7] Danish National Biobank, “Access to Research Samples,” 2026年8月更新情報. https://www.danishnationalbiobank.com/research-info/access-to-research-samples

[8] Danish National Biobank, “DNB Biological Samples,” 2026年8月4日更新情報. https://www.danishnationalbiobank.com/research-info/dnb-biological-samples

[9] Sundhedsdatastyrelsen(デンマーク保健データ庁), “Vævsanvendelsesregisteret.” https://sundhedsdatastyrelsen.dk/data-og-registre/nationale-sundhedsregistre/vaevsanvendelsesregisteret

[10] UK Biobank, “Our History.” https://www.ukbiobank.ac.uk/about-us/our-history/