対象読者

  • UK Biobankや東北メディカル・メガバンク計画(ToMMo)など、大規模バイオバンクやコホート研究に関心のある方
  • ゲノム医療、個別化予防、マルチオミックス解析、医療データの利活用に携わる研究者・医療関係者・企業の方
  • 日本の医療研究基盤がどのように構築され、社会実装に向けてどのような課題を抱えているのかを知りたい方

要約

  • 東北メディカル・メガバンク計画(TMM計画)は、2011年の東日本大震災からの医療復興を出発点として構想され、その後、日本のゲノム医療・個別化予防を支える国家的な研究基盤へと発展しました。
  • 宮城県・岩手県を中心とする約15万人のコホートを構築し、地域住民の健康情報、生体試料、ゲノム・オミックス情報を蓄積しています。特に、妊娠期から子どもとその家族を追跡する三世代コホートが大きな特徴です。
  • UK Biobankと比較すると、ToMMoは三世代の家族情報、日本人集団のゲノム特性、詳細な健康調査、研究参加者への情報還元に独自の強みがあります。
  • 2026年度から第4段階へ移行し、研究資源の利用拡大、医療情報との連結、個別化ヘルスケアへの応用を進めています。
  • 今後の重要な課題は、長期追跡の維持、データの利用しやすさ、社会実装の効果検証、継続的な資金確保です。 大規模な研究資源を構築する段階から、その価値を医療・予防・社会へ還元する段階へと重点が移っています。

1. 東北メディカル・メガバンク計画(ToMMo)とは

1.1 震災復興から生まれた国家的研究プロジェクト

東北メディカル・メガバンク計画(TMM計画)は、2011年の東日本大震災からの医療復興を出発点として構想された、大規模な医学研究プロジェクトです。

東北大学東北メディカル・メガバンク機構(ToMMo)と岩手医科大学いわて東北メディカル・メガバンク機構(IMM)が中心となり、地域住民の長期的な健康調査と、ゲノム情報を活用した次世代医療の研究基盤構築を進めてきました。[1]

この計画には、大きく二つの目的があります。

一つは、震災の被災地域における住民の健康支援と地域医療の復興です。

もう一つは、健康情報、生体試料、ゲノム情報などを長期にわたり収集・解析し、将来の個別化医療や個別化予防に役立てることです。

つまり、ToMMoは単なるゲノムデータの収集事業ではありません。地域の健康を守るという社会的使命と、将来の医療を変えるという科学的使命を併せ持つプロジェクトとして構想された点に特徴があります。

1.2 ToMMoの基本情報

項目 内容
計画名 東北メディカル・メガバンク計画(TMM計画)
主な実施機関 東北大学東北メディカル・メガバンク機構(ToMMo)、岩手医科大学いわて東北メディカル・メガバンク機構(IMM)
構想の出発点 2011年の東日本大震災
ToMMoの設立 2012年2月1日
IMMの設立 2012年7月1日
主な調査地域 宮城県・岩手県
コホート規模 約15万人
主な研究対象 生活習慣、疾病、ゲノム、オミックス、環境要因、家族・世代間の健康
2026年度の事業段階 第4段階

出典:ToMMo公式「背景と経緯」、AMED事業関連資料。[1][3]

1.3 UK Biobankとの共通点

ToMMoと比較される代表的な研究基盤に、英国のUK Biobankがあります。

UK Biobankは、約50万人の参加者について、健康情報、生活習慣、遺伝情報、生体試料などを収集し、長期的に健康状態を追跡する大規模研究基盤です。[5]

ToMMoも、一般住民を長期間追跡し、健康情報・生体試料・ゲノム情報を蓄積して、幅広い研究者による利用を可能にするという点で、UK Biobankと共通しています。

ただし、両者は単に規模が異なるだけではありません。

ToMMoは、震災復興を背景として生まれたことに加え、三世代の家族情報、日本人集団のゲノム特性、地域住民への健康情報の還元など、独自の研究設計と運営方針を持っています。


2. ToMMoはどのように構想・開始されたのか

2.1 発端は2011年の東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、宮城県・岩手県の医療提供体制に甚大な被害をもたらしました。

被災地では、次のような問題が生じました。

  • 医療施設の損壊
  • 医療従事者の不足
  • 住民の避難や移住
  • 慢性疾患の継続的な管理
  • 被災住民に対する長期的な健康支援

こうした状況に対して、東北大学を中心に、短期的な医療復旧だけでなく、長期的な住民健康調査と次世代医療の研究基盤を組み合わせる構想が具体化しました。

計画の成立には、被災自治体による復興政策と、大学による医学研究構想という、二つの動きが重要な役割を果たしました。

2011年6月11日、宮城県知事は東日本大震災復興構想会議で、地域医療再生のためにメディカル・メガバンク構想を実現する必要があると提言しました。

続く6月16日には、東北大学大学院医学系研究科長(当時)の山本雅之氏が、第2回医療イノベーション会議で構想を提案しました。[1]

被災自治体の復興政策と、大学の医学研究構想が接続したことが、ToMMo発足の重要な背景です。

2.2 2011年から2026年までの歩み

ToMMoの構想から現在までの主要な経緯を、時系列で整理します。

時期 主な出来事 意義
2011年 東日本大震災の発生。6月にメディカル・メガバンク構想が具体化。11月21日成立の国の第3次補正予算に事業費を計上 震災復興事業として構想・予算化
2012年 2月1日に東北大学ToMMo、7月1日に岩手医科大学IMMを設置。文部科学省の検討を経て全体計画を策定 研究実施体制を確立
2013〜2017年 地域住民コホートと三世代コホートの参加者募集・ベースライン調査を実施 約15万人規模の研究基盤を形成
2015〜2016年 2015年度からAMEDの統括へ移行。2016年には目標の15万人を超える参加者を確保。遠隔セキュリティルームなど外部利用の仕組みを整備 国家規模の研究インフラとして運営を強化
2017〜2020年 第2段階として、コホート追跡、ゲノム・オミックス統合解析、試料・データの共同利用を推進。2020年には継続・発展の方向性を明確化 データ構築から活用へ移行
2021〜2025年 第3段階として、研究資源の維持・高度化、長期追跡、試料・情報の利活用、研究参加者への還元や社会実装を重視 個別化ヘルスケアへの応用を推進
2026年〜 第4段階へ移行。全ゲノム情報の分譲を拡充し、長期的に持続可能な研究基盤の在り方を検討 研究資源の継続的な利用と社会還元を重視

出典:ToMMo公式「背景と経緯」、AMED事業関連資料、東北大学2026年4月発表。[1][3][4]

2.3 事業目的はどのように変化してきたのか

この経緯から、ToMMoの役割は、大きく三つの方向へ発展してきたと整理できます。

第一の段階は、被災地域の健康復興です。

住民の健康状態を把握し、震災後の健康課題に対応することが重要な目的でした。

第二の段階は、日本のゲノム・バイオバンク研究基盤の構築です。

約15万人規模のコホートを形成し、健康情報、生体試料、ゲノム・オミックス情報を蓄積して、医学研究に活用できる仕組みを整備しました。

第三の段階は、研究資源の継続的な利用と社会への還元です。

長期追跡を維持しながら、研究者や企業によるデータ利用を拡大し、研究成果を疾病の予防、診断、治療などに結び付けることが重要になっています。

このように、ToMMoは震災復興事業として出発しましたが、現在では日本のゲノム医療研究を支える公的な研究インフラとしての役割を担っています。


3. ToMMoの研究基盤の特徴

3.1 二つの異なるコホートを組み合わせている

ToMMoの研究基盤には、研究目的が異なる二つの大規模コホートがあります。

地域住民コホート(TMM CommCohort)

地域住民コホートは、宮城県と岩手県の成人を中心とした研究です。

参加者は約8.4万人で、内訳は宮城県が約5.2万人、岩手県が約3.2万人です。

生活習慣、病歴、身体測定、血液検査、遺伝情報などを収集し、疾病の発症や健康状態の変化を長期間にわたって追跡します。

主な研究対象には、次のような疾患があります。

  • がん
  • 循環器疾患
  • 糖尿病
  • 認知症

これらの疾患について、遺伝的要因や生活環境が発症にどのような影響を及ぼすのかを調べ、将来の予防につなげることを目指しています。

三世代コホート(TMM BirThree Cohort)

三世代コホートは、妊娠期から子どもとその家族を追跡する研究です。

約7.3万人規模の新生児を中心とする家族コホートとして、妊婦、出生した子ども、父親、祖父母、きょうだいなどの健康情報や遺伝情報を関連付けて収集しています。

主な研究対象は、次のような分野です。

  • 子どもの発育
  • アレルギー
  • 生活習慣病の形成過程
  • 遺伝要因と環境要因の世代間関係

なお、約7.3万人という数値は新生児コホートの規模を表したものであり、全参加者数に単純加算するものではありません。

これらの参加者規模は、2025年3月に公表された基本情報に基づいています。[1]

3.2 三世代コホートが持つ科学的な価値

三世代コホートは、ToMMoの科学的な強みの一つです。

血縁関係が判明している家族について、ゲノムと健康状態を比較できるため、一般成人を中心としたコホートでは難しい研究が可能になります。

例えば、子どもの健康状態を研究する場合、次のような要因を同時に考慮できます。

  • 子ども本人の遺伝的特徴
  • 妊娠中の母体環境
  • 家族内で共有する生活習慣
  • 世代間で受け継がれる遺伝的要因

この仕組みによって、遺伝と環境が健康にどのような影響を及ぼすのかを、世代を超えて分析できます。

特に、子どもの発育やアレルギー、生活習慣病の形成過程などを研究するうえで、大きな価値があります。

UK Biobankにも家族関係の情報はありますが、三世代の家族を研究設計の中核に据えているわけではありません。

この三世代コホートは、ToMMoとUK Biobankを比較する際の重要な差別化要因です。

3.3 ゲノムだけでなく、マルチオミックス情報を蓄積している

ToMMoでは、健康調査によって得られた情報と生体試料に対して、さまざまな解析を行っています。

収集対象には、生活習慣、病歴、血液・尿、身体検査、脳MRIなどが含まれます。

さらに、ゲノム情報だけでなく、複数の生体分子情報を組み合わせたマルチオミックス解析を進めています。

データの種類 主な内容
ゲノム DNA配列、遺伝的変異
メタボローム 代謝物、栄養・生活環境との関連
プロテオーム タンパク質の量や変動
その他のオミックス エピゲノム、マイクロバイオームなど
健康・生活情報 生活習慣、病歴、健診結果、身体測定など

これらを統合することで、遺伝要因、環境要因、経時的な変化、疾病発症の関係を分析できます。

2026年8月の東北大学による文部科学省向け報告では、次の成果が示されています。[2]

指標 実績
全ゲノム解析完了数 約12万人
SNPアレイ解析数 約15万人
累計保管試料数 約470万本(2026年3月末)
公開済みメタボローム情報 7.9万検体超

これらの数値は、ToMMoが大規模な生体試料・ゲノム・オミックス研究基盤を構築していることを示しています。

ただし、全ゲノム解析が完了した人数と、外部研究者が分譲を受けられるデータの人数は異なります。

3.4 地域住民への健康情報の還元を重視している

通常の研究用バイオバンクでは、参加者が自分の解析結果を直接受け取る機会は限定的です。

ToMMoは、これとは異なり、健康調査結果の返却を計画の重要な機能として位置付けています。

さらに、臨床的に意味のある遺伝情報を研究参加者に返却する取り組みも進めてきました。

2026年8月の報告によれば、遺伝性乳がん卵巣がん症候群とリンチ症候群の病的バリアント保有者97人に遺伝情報を返却しています。

そのうち78人が医療機関を受診し、早期発見のための検査・経過観察を開始しています。[2]

これは、ゲノム情報を研究に利用するだけでなく、具体的な健康行動や医療介入に結び付ける仕組みとして注目できます。

一方で、こうした遺伝情報の返却には慎重な対応が必要です。

例えば、次のような点が重要になります。

  • 返却する遺伝情報の医学的な妥当性
  • 遺伝カウンセリングの実施
  • 情報を受け取るかどうかについての本人の意向
  • 情報返却後の医療機関でのフォローアップ

なお、ToMMoがすべての研究参加者に対して、すべてのゲノム情報を返却しているわけではありません。

3.5 企業にも開かれた公的研究インフラである

ToMMoは、内部研究者だけが利用する閉じたデータベースではありません。

研究利用の審査を経て、外部の大学・研究機関や企業がデータや生体試料を利用できます。

東北大学側の2026年3月末までの累計実績では、分譲160件、共同研究433件が承認されています。[2]

さらに、2026年4月には、分譲可能な全ゲノム解析情報が約1.5万人分から約6.9万人分に拡大されました。[4]

外部利用に際しては、研究目的の審査や契約が必要です。

また、機密性の高いゲノム情報については、安全な解析環境の利用が求められます。

研究資源の規模を理解する際には、以下の指標を区別する必要があります。

指標 意味
コホート参加者数 調査参加の同意を得た人の数
ゲノム解析完了数 ゲノム解析が完了した人の数
分譲可能データ数 審査・契約に基づき、外部研究者が利用可能な数
実際の研究利用件数 データが研究に活用された案件数

例えば、約12万人分の全ゲノム解析が完了していても、そのすべてが同時点で同じ条件で外部利用できるとは限りません。

研究基盤の価値を評価するためには、保有データの規模だけでなく、研究者が実際に利用できるデータや、研究に活用された実績を確認することが重要です。


4. UK BiobankとToMMoの比較

4.1 研究基盤としての共通点と違い

UK BiobankとToMMoは、ともに前向き住民コホートを基盤とする研究インフラです。

しかし、研究デザイン、対象者、データの特色、外部利用の仕組みには違いがあります。[1][5]

比較項目 UK Biobank ToMMo・TMM計画
出発点 広範な疾病の予防・診断・治療研究 震災復興と次世代医療
参加者規模 約50万人 約15万人
初期参加者 募集時40〜69歳 成人、妊婦、子ども、家族
地理的範囲 英国の広域 宮城県・岩手県中心
家族情報 家族関係の情報はあるが、三世代募集が中心ではない 三世代コホートが中核的特徴
ゲノム解析 大規模ゲノム解析基盤 日本人集団に重点を置いたゲノム解析基盤
医療情報連結 NHS等との連結が中核 健診・公的情報・医療機関等との連結を推進
外部研究利用 国際的な研究者が安全な解析基盤上で利用 国内の産学研究者への分譲・共同研究が中心
参加者への還元 研究参加への貢献を重視 健康調査・遺伝情報の返却を積極的に推進

4.2 規模だけでは研究基盤の価値を比較できない

UK Biobankは約50万人、ToMMoは約15万人という参加者規模です。

しかし、研究基盤の価値は、参加者数だけで決まるわけではありません。

UK Biobankは、大きな標本数と医療記録連結を活用した、多様な疾患・健康アウトカムの研究に適しています。

一方、ToMMoは、次のような研究領域に強みがあります。

  • 妊娠・出生から思春期に至るライフコース
  • 三世代の家族関係
  • 日本人集団のゲノム特性
  • 繰り返し実施する詳細な健康調査
  • 遺伝要因と生活環境の相互作用

この違いを踏まえると、両者は単純に優劣を比較する研究基盤というよりも、異なる特徴を持つ相互補完的な研究資源と考えられます。

UK Biobankが広い成人集団の大規模な疾病研究基盤であるのに対し、ToMMoは家族・世代・生活環境の情報を組み込んだ高密度の研究基盤と捉えることができます。


5. ToMMoが直面している現在の課題

ToMMoは約15万人のコホートを構築し、大規模なゲノム・オミックス情報を蓄積してきました。

一方で、長期的な研究基盤として継続・発展するためには、いくつかの課題があります。

ここでは、AMEDの2025年度事後評価と、2026年8月の文部科学省への報告を中心に整理します。[2][3]

特に、外部評価で実際に指摘されている課題と、研究基盤の特性から考えられる課題を区別します。

5.1 課題① 長期追跡の参加率・回収率を維持すること

長期的なコホート研究では、当初の参加者が継続的に調査に協力することで、データの価値が高まります。

しかし、時間の経過とともに、次のような理由によって調査への参加や回答が難しくなる人が増えます。

  • 転居
  • 高齢化
  • 健康状態の変化
  • 調査への参加負担

2025年度のAMEDによる岩手医科大学側の事後評価では、調査参加者数と郵送調査の回収率が低下傾向にあることが明示されています。

また、参加が得られにくい地域や年齢層への対策が求められています。[3]

この問題には二つの側面があります。

一つは、追跡可能な人数が減ることで、統計的な精度が低下することです。

もう一つは、健康状態や生活環境によって調査から脱落しやすい人が異なる場合、解析結果に偏りが生じる可能性があることです。

ToMMoでは、2026年度から次のような対応を進めています。

  • 高齢者の公的情報による追跡
  • 調査拠点の再編
  • 思春期の子どもを対象とした調査
  • ライフステージに合わせた追跡方法の見直し

長期追跡の質を維持することは、今後の研究基盤の価値を左右する重要な要素です。[2]

5.2 課題② データの継続的な充実と医療情報との連結

大規模な全ゲノム情報があっても、それに結び付く正確な疾病発症情報や治療情報が十分でなければ、臨床的に役立つ研究には限界があります。

ToMMoでは現在、次のような情報との連結を推進しています。

  • 健診情報
  • レセプト情報
  • 疾患登録情報
  • 介護保険情報
  • 医療機関の診療情報

2026年8月の報告では、東北大学病院との照合が完了した約7,000人について、医療情報を収集したとされています。[2]

これは重要な成果である一方、約15万人のコホート全体に対して、医療情報連結をさらに充実させる余地があることも示しています。

UK Biobankでは、NHSの医療記録との連結が研究基盤の重要な部分を占めています。

ToMMoにとっても、医療データ連結の範囲、品質、更新頻度が、長期的な研究価値を左右すると考えられます。

5.3 課題③ 外部研究者・企業によるデータ利用の拡大

ToMMoは、大量のデータを蓄積する段階から、研究者が使いやすい環境を整える段階へ移行しています。

外部研究者がデータを利用するためには、次のような手続きや仕組みが必要になります。

  • 利用審査
  • 契約
  • データの検索と選択
  • 安全な計算環境の利用

ToMMo自身も第4段階の方針で、データアクセス支援、解析環境の整備、研究前のデータ閲覧などを改善項目に掲げています。[2]

また、企業単独での利用も含め、分譲・共同研究を合わせて約300件の利用を目指す方針を示しています。

このことから、データの量や種類だけでなく、研究者が利用を開始するまでの手間や時間を減らすことが重要になっていると解釈できます。

データを大量に保有していても、研究に使われなければ、その価値を十分に発揮することはできません。

5.4 課題④ 研究成果の社会実装と、その効果の検証

AMEDは2025年度の事後評価において、東北大学側に対して、社会実装を評価できるKPIを明示し、定量的な目標を設定するよう求めています。[3]

これは、論文発表数やデータ構築量だけでなく、研究成果が医療や予防にどの程度役立ったのかを具体的に示すことが、次の段階の課題になっていることを意味します。

例えば、今後検証すべき指標として、次のようなものが考えられます。

  • 遺伝的リスクを返却した人のうち、医療機関を受診した割合
  • 受診によって早期発見や適切な予防介入につながった件数
  • 疾病リスクの情報提供による生活習慣改善の有無
  • 実際の診断・治療・予防法に結び付いた研究成果数

ToMMoでは、遺伝情報返却後の医療機関受診など、すでに一部の成果が見えています。

今後は、その効果の持続性や医療経済的な価値などについても、検証することが重要になると考えられます。

5.5 課題⑤ 長期的な財源確保と運営の持続可能性

バイオバンクは、構築して終わりという施設ではありません。

長期的に維持するためには、継続的な費用が必要です。

例えば、次のような費用が発生します。

  • 参加者の長期追跡
  • 生体試料の保存
  • 試料の品質管理
  • データの更新
  • 解析設備の維持
  • 情報セキュリティ対策
  • 専門人材の確保

2025年度のAMED事後評価では、国費に加えて、国内外の民間企業との共同研究資金などを活用し、資金の用途と成果を明確にしながら持続的な運営を行うことが求められています。[3]

2026年の東北大学資料でも、次のような方針が示されています。[2]

  • 有限な試料保管スペースの効率的な利用
  • 解析費用を負担する企業コンソーシアムの形成
  • 国際標準に基づく品質管理

ここでの本質的な問題は、公的資金によって研究インフラを維持する一方で、企業との連携を進める際に、学術的な公平性と参加者の信頼をどう維持するかという点です。

5.6 課題⑥ 遺伝情報の返却に伴う倫理・プライバシーの管理

ゲノムデータは、個人だけでなく、血縁者にも関係する情報です。

三世代コホートでは特に、家族間の情報の取扱いが重要になります。

例えば、臨床的に意味のある遺伝的変異が発見された場合でも、本人がその情報を知りたいとは限りません。

また、遺伝的変異の医学的な解釈が将来的に変わる可能性や、結果の説明に専門的な支援が必要になる場合もあります。

そのため、次のような対応が求められます。

  • 研究参加者の同意
  • 遺伝カウンセリング
  • 安全なデータアクセス
  • 長期間にわたるプライバシー保護
  • 子どもの成長に応じた意思確認

これらは、ToMMoで問題が発生しているという意味ではありません。

三世代コホートと大規模ゲノムデータを運営する際に、継続的な対応が必要となる倫理的・技術的な論点です。

5.7 課題と今後の評価指標の整理

これまでの課題を、現在の状況と今後の重要な評価指標という観点から整理します。

課題 2026年時点の状況 今後の重要な評価指標
追跡参加率 一部で低下傾向。追跡方法を見直し 年齢・地域別の追跡率、回答率
医療情報連結 医療機関・公的情報との連結を拡充 連結率、発症情報の網羅性
外部データ利用 解析データと利用支援を拡充 実利用件数、利用開始までの期間
社会実装 遺伝情報返却などの実績あり 受診、予防介入、臨床成果
財源・運営 企業連携と効率化を推進 継続資金、運営コスト
倫理・信頼 長期的な同意・情報保護が必要 参加者満足度、同意管理、適切な運用

出典:AMED事後評価とToMMo第4段階方針。[2][3]

なお、右列の評価指標は、公表済みの統一KPIではなく、研究基盤の価値を検証するために考えられる分析上の提案です。


6. 2026年度からの第4段階は何を目指しているのか

2026年8月19日の文部科学省作業部会で、東北大学ToMMoは第4段階に向けた方向性を説明しています。[2]

注目すべき取り組みは、特に次の四つです。

6.1 思春期の子どもを毎年調査する

三世代コホートで出生時から追跡してきた子どもたちが、思春期を迎えています。

このため、思春期における健康状態の変化を、より詳細に調べることが重要になります。

重点的な研究対象として、次のような項目があります。

  • ホルモン
  • 免疫
  • アレルギー
  • 心理・発達
  • 生活環境

これは、成人になってから発症する疾病だけでなく、健康が形成される過程そのものを研究する取り組みです。

6.2 女性の健康・性差医学を強化する

思春期、妊娠・出産、更年期、高齢期にわたるデータを活用し、女性の健康に関する研究基盤を充実させる方針です。

研究対象としては、次のような領域が挙げられています。

  • 月経関連疾患
  • 妊娠合併症
  • 更年期症状

長期的な健康情報とゲノム・オミックス情報を組み合わせることで、女性のライフステージに応じた疾病の予防や健康管理に役立てることが期待されます。

6.3 リコンタクトによる新しい研究の仕組みを整える

リコンタクトとは、研究参加者の同意を前提に、特定の遺伝的特徴や健康状態を持つ人に対して、追加研究への参加を案内する仕組みです。

これによって、すでに蓄積されたデータを解析するだけでなく、研究目的に応じて新たな調査や研究参加につなげることができます。

長期的なコホートと新しい研究課題を結び付ける仕組みとして、重要な意味があります。

6.4 データ統合と産業界での利用を拡大する

第4段階では、研究データの利活用と、持続可能な研究基盤の運営も重視されています。

主な方向性は次のとおりです。

  • 医療情報との連結
  • プロテオームなどの追加解析
  • データ利用環境の改善
  • 企業コンソーシアムによる解析資金の確保

これらの取り組みは、ToMMoを単に大量のゲノムデータを保有する研究施設としてではなく、研究者や企業が継続的に新しい研究を行える基盤へと発展させるものと理解できます。

ただし、これらは2026年8月時点で公表された方向性であり、すべての施策が実施・達成されていることを意味するものではありません。

また、2026年8月の文部科学省会議では、第4段階の在り方の一部が非公開議題とされています。

そのため、最終的な運営体制や資金配分の詳細については、公開資料だけでは確認できない部分があります。


7. ToMMoの位置付けと将来性

今回の調査を踏まえると、ToMMoを評価するうえでは、三つの観点が特に重要だと考えられます。

7.1 震災復興事業から、日本のゲノム研究に欠かせない公的インフラへ発展したこと

ToMMoは、震災後の医療復興という社会的な要請から生まれました。

その後、約15万人のコホートを形成し、約12万人分の全ゲノム解析を完了しました。

これは、研究基盤が相当な規模に達していることを示しています。[2]

また、データの分譲や共同研究の仕組みを整備することで、東北大学や岩手医科大学の内部にとどまらず、外部の研究者や企業が活用できる公的な研究インフラとして発展してきました。

7.2 三世代・家族情報・日本人集団のゲノム情報が独自の価値を生んでいること

ToMMoの独自価値は、参加者数の規模だけではありません。

三世代の家族情報、詳細な追跡調査、日本人集団のゲノム情報を組み合わせられることが重要です。

UK Biobankと同じ研究を小規模に繰り返すのではなく、次のような領域で相互補完的な価値を発揮できると考えられます。

  • 思春期の健康
  • 女性の健康
  • 家族内の遺伝・環境相互作用
  • ライフコース全体を通じた健康と疾病の研究

このような領域では、ToMMoの研究設計そのものが科学的な強みになります。

7.3 データの蓄積から社会実装へ転換できるかが重要であること

今後のToMMoの価値を左右するのは、研究資源の蓄積だけでなく、社会実装への転換です。

研究者や企業による利用を拡大することに加えて、健康情報を受け取った研究参加者の行動や疾病予防に、どのような効果があったのかを検証することが重要になります。

研究成果が、実際の健康行動、早期発見、診断、治療、予防などに結び付いているかどうかを、定量的に示す必要があります。

これは、AMEDの外部評価でも求められている方向性です。[3]

7.4 UK Biobankとの比較で継続的に確認すべき指標

UK Biobankとの比較を念頭に置く場合、今後特に継続して確認したいのは、次の五つの指標です。

  1. 外部研究利用の実績:データが実際にどの程度、外部の研究者や企業に利用されているか
  2. 医療情報の連結率:コホート参加者の健康情報と、疾病・診療情報がどの程度結び付いているか
  3. 追跡調査の維持率:長期間にわたり、参加者の健康状態をどの程度継続的に把握できているか
  4. 臨床応用の成果:ゲノム情報や研究成果が、実際の診療・疾病予防にどの程度貢献しているか
  5. 運営財源の持続性:公的資金や企業連携によって、研究基盤を長期的に維持できるか

これらの指標は、ToMMoが大規模な研究資源を構築した成果を、将来にわたってどれだけ生かせるかを評価するうえで重要だと考えられます。


8. まとめ:ToMMoは構築から活用、そして社会実装の段階へ

東北メディカル・メガバンク計画(ToMMo)は、2011年の東日本大震災からの医療復興を出発点として構想されました。

その後、約15万人のコホートを構築し、大規模なゲノム・オミックス情報を蓄積することで、日本のゲノム医療研究を支える公的な研究インフラへと発展しました。

特に、三世代の家族情報、日本人集団のゲノム特性、詳細な健康調査、研究参加者への情報還元という特徴は、UK Biobankとは異なる独自の価値を生み出しています。

一方で、研究基盤の構築が進んだ現在、長期追跡の維持、医療情報との連結、研究者や企業によるデータの利用拡大、社会実装の効果検証、財源の持続可能性などが重要な課題になっています。

2026年度から始まった第4段階では、思春期の健康や女性の健康に関する研究、リコンタクトによる新しい研究、医療情報連結、産業界での利用拡大などが重視されています。

ToMMoは、研究インフラの構築という面で大きく前進してきました。そして現在、その蓄積を生かす次の段階に入っています。

今後の核心は、長期追跡の質を維持しながら、研究資源の利用しやすさを高め、個別化予防・医療への実際の貢献を定量的に示せるかどうかです。

震災復興をきっかけに生まれたToMMoが、今後どのように日本の医療研究を支え、社会に価値を還元していくのか、引き続き注目したいと思います。


参考文献

[1] 東北大学東北メディカル・メガバンク機構, 「背景と経緯」, ToMMo公式ウェブサイト. https://www.megabank.tohoku.ac.jp/tommo/background

[2] 東北大学東北メディカル・メガバンク機構, 「TMM計画の今後の方向性」, 文部科学省 東北メディカル・メガバンク計画関連作業部会資料, 2026年8月19日. https://www.mext.go.jp/content/20260819-mext_life-000051664_03.pdf

[3] 国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED), 「2025年度事後評価結果」, 東北メディカル・メガバンク計画関連事業, 2025年度. https://www.amed.go.jp/program/list/14/01/008_jigo_hyoka-R07.html

[4] 東北大学, 「約6.9万人分の全ゲノム解析情報の分譲に関する発表」, 東北大学プレスリリース, 2026年4月. https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2026/04/press20260424-02-genome.html

[5] UK Biobank, “About our data,” UK Biobank公式ウェブサイト. https://www.ukbiobank.ac.uk/about-our-data/

※本記事は2026年11月4日時点の公表資料を基に構成しています。参加者数、解析完了数、データ分譲件数などは資料の集計時点によって異なります。